司馬 遼太郎 著 『播磨灘物語』

 司馬遼太郎さんの『播磨灘物語』を読み終える。今NHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」を放映しているが、最近これにはまっていて、久々に大河ドラマを毎週見ている。ただ今やっているドラマと史観の違いか、あるいは脚本のためか、雰囲気が違う。まあ基本的な部分は変わらないのだから、それほどこだわる必要はあるまい。ここではあくまでも司馬さんの小説に従って話を進める。
d0331556_533314.jpg 例によって物語の中にその歴史的背景、司馬さんの歴史観がいっぱいのスタイルで話は進む。
 ドラマではもう黒田家が姫路で小寺籐兵衛の家来となっているところから始まっていたが、この本では黒田家はもともとは近江の北の黒田村から出てきて、諸国を転々としている。官兵衛の曾祖父黒田高政が近江から備前福岡に流れ、その後祖父重隆になり播州姫路へ来た。もちろん貧乏であった。ただ黒田家に伝わる目薬が商いとしてあたり、「たちまちいくつかの蔵に金穀を積みあげるほどの身代になった」。その後御着の城主小寺籐兵衛政職に仕えることとなる。
 ドラマでも官兵衛の祖父が目薬を作っている場面があったはずだ。
 ここでは司馬さんによる黒田家の性格がいくつか書かれていて、それが黒田官兵衛という人物のあり方も規定していることが書かれている。また官兵衛の性格も多分うまく言い表しているんじゃないかとも思った。それを書き出してみる。


 黒田氏の歴世の性格に共通したものは、中世的な武家の性格よりも、西欧の近代的な市民的生活を思わせるものがあるということである。人に仕えるよりも自立しようという気構えがつよく、暮らしの面でもとびきり気のきく家政婦のような才覚があり、また江戸期の町人のような用心ぶかさがある。さらには、中世末期の商人のような冒険性に富むという共通性があった。


 官兵衛は、自分自身に対してつめたい男だった。これが官兵衛の生涯にふしぎな魅力をもたせる色調になっているが、ときにかれの欠点にもなった。かれほど自分自身が見えた男はなく、反面、見えるだけに自分の寸法を知ってしまうところがあった。


 かれはただ自分の中でうずいている才能をなんとかこの世で表現してみたいだけが欲望といえば欲望であり、そのいわば表現欲が、奇妙なことに自己の利を拡大してみようという我欲とは無縁のまま存在しているのである。そういう意味からいえば、かれは一種の奇人であった。


 家老が勝手に膨張する例はいくつもあるが、そのときはかならず主家を凌ぎ、やがて主君を毒殺したり戦場で攻め殺したりして、主家を乗っ取ってしまう。
 黒田家の父子は、このあたり、哀れなほど乱世の風をとらない。官兵衛にせよ、その父にせよ、主人の小寺籐兵衛をはるかに凌ぐ器量をもち、しかも若い当主の官兵衛にいたっては無類の策謀の才を蔵しつつ、そういうことを思惑にも考えたことがないというのは、めずらしい例といっていい。


 上巻は黒田家の出自から始まり、秀吉が毛利攻めのため播磨に来て、官兵衛が自分の城である姫路城を秀吉に与えてしまうところで終わる。

d0331556_5342446.jpg 中巻の主な話は、官兵衛が荒木村重に捕らわれ、牢に閉じ込められてしまうところがメインである。その前にこの巻で司馬さんの信長と秀吉の人間的風景が描かれているので、それを書き出してみる。


 信長は力の信奉者で、あくまでも旧勢力を焼きほろぼすという情熱に駆られており、旧勢力の頭を撫でてこれを慕わせようというような政略的徳化主義というものを毛ほど持ちあわせていない。

 要するに信長には天下を斬り従える才はあっても、天下を保つ徳望がないというところがあるであろう。


 羽柴秀吉は、巨大な感受性のもちぬしであった。譬えれば、よく澄んだ池の面のようなものであるかもしれない。感受性が知能の代用するには、私心の曇があってはならず、つねに高い透明度を保っていなければならない。
 「それではあの男が可哀そうだ」
 と、秀吉はよく言う。その可哀そうだという感情が、その男への配慮になり、人や物を動かして手をつくすようになる。やがてその人物は秀吉の計算の中に入って、かれのためにはたらくようになる。


 さて、信長に取り立てられ、重臣となった荒木村重は信長を裏切った。信長のやり方について行けなくなったところであろう。その結果、御着の城主小寺籐兵衛も織田を裏切った。もともと籐兵衛は優柔不断なところがあり、官兵衛に押し切られた形で織田についたが、地理的条件で毛利の側に付くことがいつまでも頭から離れなかった。そこに村重が織田を裏切ったということで、籐兵衛も寝返ったのである。
 官兵衛の立場がこれで危うくなる。官兵衛は籐兵衛を説得に行くが、村重を説得できたら、また織田に付くと言う。だから村重を説得してこいというのであった。しかし籐兵衛は官兵衛が疎ましくなっている。籐兵衛は荒木村重に「あなたのほうへ官兵衛をやった。有無をいわさず殺してもらいたい」という口上を持った急使を走らせた。


 御着城を出た官兵衛は姫路に寄らず、父の宗円には手紙だけを送り、そのまま摂津の伊丹をめざした。
 -官兵衛を殺してくれ。
 と、主人の藤兵衛が荒木村重へ言い送っているなど、のちに秀吉が天下第一等の智者と半ば嫉妬まじりにいったほどの官兵衛でさえ、思慮のなかにまったく浮かんでいなかった。官兵衛ほどに人間の善悪や心理の機微の洞察に長じた者でさえ、人間というものがそれほどの悪をするものであるとは、思ってもいなかった。
 官兵衛は少年のころから藤兵衛に仕え、骨を砕いて尽くしてきた。日常、主家のために良かれとのみ思い、強引に説いて織田家に属したのも毛利についていれば亡びを待つのみだと思ったからである。人の主たる者が、人間の情としてそういう家来を殺すことがありうるだろうか。官兵衛はふとそういうことを思いつつも、まさかと打ち消した。

 官兵衛はこのあたり、小寺藤兵衛という男を見誤っていたであろう。
 藤兵衛は、本来、聡明な男ではない。しかし若いころは取柄があった。家運の衰弱をふせぐためには士を愛さなければならぬということを、かれなりの努力でそう思い、そのために黒田家を招いたりもした。しかしすでに老い、そういう精神の張りをうしなっている。
 老いるにつれて藤兵衛の中につよくなったのは、自己愛である。いまの藤兵衛の精神像は、もはや一個の自己愛のかたまりであるにすぎない。藤兵衛のすべての思案はその中で湧き、人間が無数の他者との関係で生きている動物であることを忘れてしまっていた。
 -官兵衛を村重に殺させよう。
 とまるで人に草を刈らせるように手軽に思ったのも、そうであった。藤兵衛は播州の名門の家にうまれ、その地位のまま老いた。心もひからび、自分の行為に畏れを持たぬということでえたいの知れぬ人間になっているということを、気づきもしない。
 官兵衛も、藤兵衛がそこまでに化っているとは、気づかなかったのである。


 これを読んだ時、身につまされる思いであった。まったく自分と同じだな、と思ったのである。人は平気で人を裏切られるのである。保身のためだけにそれがいとも簡単にできる。多分歳をとればとるほど、「自己愛」が強くなっていくのだろう。それは仕方がないこととはいえ、そうなった時、晩節を汚す。人生の最終結果をみっともないものにしてしまう。そうならないように、どこまで出来るか、そのことで苦しまされて来たのだから、余計に考えてしまうところである。

 信長は村重を許せなかった。そのため大がかりな村重討伐へ向かう。


 信長が荒木村重を激しく憎んだのは、謀反についてはもとよりのことだが、村重への憎悪を狂おしくしてしまったのは、村重のきたなさであった。村重は一命をたすかりたさに、家来や妻子を置き捨ててしまった。さらに村重だけでなく、村重臣である荒木久左衛門以下も、同様のことをした。
 「前代未聞」
 という言葉が、信長の側近衆のあいだにもささやかれた。
 信長にすれば、この倫理的事態になまぬるく対応しては世の中がどうなるかわからないという支配者らしい感覚も、激しい憎悪とともに当然持ったであろう。かれは村重とその党類のきたなさに対し、類例のない報復手段をもって世間の見せしめしようとした。


 信長は有岡城開城後、荒木村重関係者のことごとく殺してしまう。このとき官兵衛は土牢から約1年ぶりに助け出される。しかし長い牢屋生活で力が弱り、髭は伸び放題、痩せ細り、皮膚病も患い、髪が抜けて禿頭になり、膝の関節が曲がってしまう。これは生涯回復することはなかった。
 村重の有岡城が落ちた後、秀吉は織田に刃向かう別所氏がいる三木城を攻める。普通合戦といえば、敵味方刀や槍、あるいは鉄砲で相手に向かっていくのを想像するが、秀吉の場合、城の周りに大がかりな土木工事をして、敵が城から出てこられなくしてしまう。城に立てこもった敵は、そのうち食料も尽きていく。いわゆる干し殺しである。結局城は落ちる。配下の兵たちを救うことを条件に城主の別所氏らの腹を切らせる。

d0331556_5351327.jpg 下巻は秀吉の毛利責めである。しかし秀吉が毛利責めをしている最中、明智光秀が信長を襲う、本能寺の変が起こり、秀吉は「大返し」して明智討伐に向かう。
 毛利責めは備中高松城がまず手始めである。城主清水宗治である。ここでも秀吉は直接戦いをしない。高松城が川の窪地にあるため、川の流れを変えて、高松城に川の水を流し込み、水責めにするのである。そのため大がかりな土木工事をここでも行う。


 (えらいことをする)
 官兵衛は、蛙ヶ鼻からそれを見つつ、戦争というものを土木か建築のようにおもっている秀吉の感覚に驚歎する思いがした。


 この高松城をめぐっては政治的駆け引きがあり、「政治の凄み」がここで展開される。
 毛利も高松城付近まで来てはいる。しかし秀吉の軍勢の数にはかなわない。そこに武田勝頼を討った信長の軍勢がこちらに向かっている。
 毛利は和睦を打ち出す。それに当たり怪僧安国寺恵瓊が、備中、備後、因幡、伯耆、美作の5カ国を秀吉に差し上げようという。秀吉は官兵衛に相談する。


 「おうけなされませ」


 しかし秀吉にはこれだけ大きな相手と講和を独断でやる権限は、信長から与えられていない。しかも信長は毛利を滅ぼしたいのだ。ただ秀吉は違っていた。


 信長には中世をこわして近世をもたらすという革命的気分が旺溢していたが、秀吉はそれよりも天下統一を拙速であっても仕遂げるということにあった。


 秀吉は信長を説得してみようと考える。ただし、それには、秀吉に立つ瀬を作ってもらわなければならなかった。


 秀吉は、信長に命ぜられて合戦にきた。しかし実際にやったことといえば、高松城のまわりに大堰堤をきずいて七つ川の流れをこれに入れ、湖水を作っただけである。合戦はおろか小部隊の遭遇戦もやっておらず、要するに合戦らしいことは何もしていない。これでは勝ったのか引き分けたのか。すこしもわからず、前線の総司令官である秀吉としては、信長に報告することもできないのである。
 「敵に、負けたというしるしを示さねば、毛利が救えたとしても、わしの立場はあるまい」


 恵瓊は水に浮かぶ高松城へ向かいたいと官兵衛たちに言う。


 「あの城まで、行かせてもらえまいか」
 「ご用は?」
 「お察しあれ」


 恵瓊が播州三木城のように終戦処理をしようとしている。
 恵瓊は毛利側の人間である。その恵瓊が毛利のために戦っている高松城城主清水宗治に切腹をするように言いに行くのである。そうすれば毛利が救われる。これを「政治の凄み」と言わずとして何を言うかである。
 結局秀吉と恵瓊の描くとおりになる。そして毛利と講和しようとする矢先、本能寺の変が起こるのである。
 信長が光秀に殺されたことを聞いた秀吉は慌てて講和を進め、そのまま光秀討伐に向かう。光秀を討った者が次の天下を狙えるため、一刻も早く秀吉は引き返したかったのである。これが「「大返し」である。

 この小説はこの先雑になる。この後はほとんど官兵衛の晩年となってしまうのだ。そこが残念であった。後はドラマで話を楽しもうと思う。


司馬 遼太郎著 『播磨灘物語』 〈上〉 講談社(1982/09発売)

司馬 遼太郎著 『播磨灘物語』 〈中〉 講談社(1982/09発売)

司馬 遼太郎著 『播磨灘物語』 〈下〉 講談社(1982/09発売)
トラックバックURL : http://kmoto.exblog.jp/tb/20928502
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
by office_kmoto | 2014-07-21 05:37 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

言葉拾い、残夢整理、あれこれ


by office_kmoto
プロフィールを見る
画像一覧