南木 佳士 著 『天地有情』

南木 佳士 著 『天地有情』 _d0331556_6392582.jpg 天地有情とは南木さんの座右の銘であるそうだ。出典は哲学者大森荘蔵のエッセイによるらしい。意味は、


 自分の心の中の感情だと思い込んでいるものは、実はこの世界全体の感情のほんの一つの小さな前景に過ぎない。此のことは、お天気と気分について考えてみればわかるだろう。雲の低く垂れ込めた暗鬱な梅雨の世界は、それ自体として陰鬱なのであり、その一点としての私も又陰鬱な気分になる。天高く晴れ渡った秋の世界はそれ自身晴れがましいのであり、その一前景としての私も又晴れがましくなる。簡単に言えば、世界は感情的なのであり、天地有情なのである。その天地に地続きの我々人間も又、其の微小な前景として、其の有情に参加する。それが我々が「心の中」にしまい込まれていると思いこんでいる感情に他ならない。(天地有情)


 こういうもの考え方は好きである。特に最近はそう思う。自然が人間の心に及ぼす影響というのは、確かにあるはずだ。この思想は人間とは自然の一部であり、そこに「参加」しているだけである。人間は自然をコントロールできるほど、それを超越している存在ではないのだ。

 さて、このエッセイでも南木さんは開高健さんのことを触れている。


 田舎暮らしと人見知りの激しさゆえ、小説を書くうえでの生身の師匠を持ち得なかったわたしだが、小説家とは本来こういうものでなければならない、と勝手に師と仰いでいた作家はいる。それが開高健だ。(開高健、その過剰なる語彙)


 ところでその師と仰ぐ開高さんの作品を南木さんはわずらわしく感じるようになっている。


 正直なところ、いま、開高健の作品、とくに小説を読み返してみると、その過剰なる語彙がわずらわしく感じられることがある。(開高健、その過剰なる語彙)


 これがよくわかるのである。確かに開高さんの作品を最初に読んだとき、その語彙の豊穣さに圧倒される。ひとつの事象、あるいは人間、あるいは自然、あるいは食べ物を表現するとき、これでもかというぐらい漢字が並ぶ。その漢字の多さによって、そのものの奥深さを表したいという、それこそその奥にある本質を突き詰めるかのような表現方法をとる。
 だから本を読むことに楽しみを覚えた頃、開高さんの文章表現はある意味衝撃的であった。しかしその後いろいろな作家が書く文章を読んでくると、そこまで必要なのだろうか、と思うようになった。いや、本当はそうではないのではないか、と思うようになってきた。まさしく南木さんがいう通りだと今では思うのである。


 単純で平易な言いまわしの方が、潤沢な語彙で塗りかためるよりも、人間の存在そのもののしぶとさ、不気味さを読者のからだの奥深くに届かせることができるのではないかと思えてならない。
 おそらく、それは開高健自身がいちばんよく理解していたのだろう。豊か過ぎる語彙を駆使したこの作家は、きっと誰よりも言葉の無力さを知り抜いていたのだ。(開高健、その過剰なる語彙)


 本当は平易な文章ほど難しいものはないと思う。難しい漢字を使い、あるいはカタカナを使い、権威あるような表現を使って読む側を惑わせる、圧倒させる文章は、ときにことの本質を見失わせないか、とも思う。いくら言葉を紡いでも現実には太刀打ちできないのではないか、と思うこともあり、そう思ったとき、言葉は無力なのだ、と感じてしまう。確かに南木さんが言うように、開高さんはそのことを知っていたのだ。知っていたが、そうするしかなかったのだ、と思える。
 南木さんの文章には確かに開高健の影響を感じるところがあるが、自分に起こったことを出来るだけリアルに表現されている。それはエッセイ、私小説という形だから出来ているところがあるのかもしれない。
 そんな言葉の一言半句を書き出してみる。


 死にゆく人を前にすると、世俗の価値の原色が急速に色あせる。ただの存在に還ってゆく人を見ていると、地位とか名誉とかいったものは存在を底上げしていた幻影なのだという事実が身に沁みて理解される。(厳寒の日)


 ふるさとが懐かしいのは風景そのものではなく、そこで共に生きてきた人たちなのだとの感をあらためて深くした。(ふるさとの裏山)


 病気とは、身体との距離のとり方を見失ってしまうことにほかならない。(本を読む元気)


 生きるっていうのは、きっとだれかしら憎まれ続けることなのだ(くしゃみ)


 しかし、人生が復路に入っているのを明確に自覚する今日このごろ、往路でほったらかししてきた私の過去の世界の細部をときにきちんと見つめ直してみようと努めている。(井戸)


 最初からなにもしないで自然死を待つのも勇気がいるが、一度始めてしまった延命措置を途中で中断するのはもっと苦痛なのだ。(井戸)


 もはやだれからも、生き急いでいる、と指摘されない歳になった。
 だから、気がねなく、あせっている。(あとがき)


南木 佳士 著 『天地有情』 岩波書店(2004/01発売)
by office_kmoto | 2015-04-28 06:41 | Comments(0)

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