内館 牧子 著 『終わった人』

内館 牧子 著 『終わった人』 _d0331556_11142324.jpg 定年って生前葬だな。


 田代壮介は東大を卒業後一流メガバンクに入行したが、人事闘争に敗れ、49歳の時30人ほどの子会社へ出向となり、そして51歳の時転籍となった。その時思うのであった。


 俺は終わった。
激しく熱く面白く仕事をしてきた者ほど、この脱力感と虚無感は深い。もはやサラリーマンとして先に何もない。せいぜい、子会社の社長になるか専務になるかというところだ。これが六十五歳ならいいが、五十一歳で「終わった人」なのだ。


 組織というところはでは、本人の実力や貢献度、人格識見とは別な力学が働く。


 サラリーマンは、人生のカードを他人に握られる。配属先も他人が決め、出世するのもしないのも、他人が決める。


 こうなってみると高校から努力して、東大法学部に入学し、その後一流メガバンクに入行しても、それに意味があったのか、と思うようになる。ただ出向と転籍という経験をしたお陰で今日の定年の日はあの時に較べてショックはない。だからそれはそれで役だったと思うのであった。


 一流大学に行こうが、どんなコースを歩もうが、人間行きつくところには大差はない。しょせん「残るも桜散るも桜」なのだ。


 しかし田代はまだ「やれる」という意識が強い。自分には高学歴、メガバンクでの経験もある。こういう人間は仕事を失うと厄介である。そしてこうした中で培われたプライドの高さが今後の自分の身の処し方で苦しむことになる。
 従弟のトシから言われたことに、納得出来ない。


 「壮さんの定年もそうだけど、どんな仕事でも若いヤツらが取ってかわる。俺は『生涯現役』ってあり得ないと思うし、それに向かって努力する気もまったくないね。あがくよりも、上手に枯れる方がずっとカッコいい」
 「そうだけど、俺は生涯現役であろうとする気持、わかるし、わるくないと思うね。実際、若い人が崇め、社会から注目される老齢現役だって多いんじゃないか」
 「ああ、ヤツらはやっぱり天才なんだよ。あがいてしがみつくレベルの才能じゃなくてさ、俳優でも作家でも映画監督でも芸術家でも何でも、世代交代と無縁でいられるヤツは天才よ。それと同時に並ぼうったって、努力でどうにかなるもんじゃない」


 とにかく田代は退職後、再び社会に出たいとあがく。スポーツクラブやカルチャーセンターでジジババとお茶を飲んで会話を楽しんでいられる自分ではない。俺は違うのだ、という意識と、実際の現実の落差に苦悩する。
 田代の妻千草は現役で美容院で働いていたので、そんな田代の愚痴など鬱陶しくて仕方がない。自然と田代と距離が出てくる。


 定年というのは、夫も妻も不幸にする。


 「生前葬」以来、俺は所属する場がなく、自分自身の存在を肯定できなかった。肯定できない自分のどこに、誇りを持てるというのだ。
 「暇だ」とか「やることがない」とかいう言葉で誤魔化してきたが、所属する場のない不安は、自分の存在を危うくするほど恐いものだった。
 趣味で茶碗を焼いたり、ソバを打ったりして埋められるものではなかった。
 いや晴耕雨読や悠々自適が楽しめる人は別だ。所属するより、あり余る時間を自在に使うことを幸せに思える人は、何の問題もない。だが、俺は違った。
 仕事を見つけよう。
 何だっていい。


 そんな時同じスポーツジムに通っている鈴木から自分の経営するIT企業の顧問になってくれと依頼される。鈴木は田代の経歴を買っていた。鈴木の会社は若い者が集まっている。そこに田代の経験が会社に役立つと言うのであった。
 当然田代は悶々としていた日々から仕事が出来るということで気持ちを舞い上がらせる。


 その依頼を受けることで、田代は全身気力がみなぎってくるのをハッキリ感じた。


 俺が何よりも望んでいたのは、社会で必要とされ、仕事で戦うことだった。


 自分がすべきことはスポーツジムやカルチャーセンターに通うことではない。


 鈴木が経営するゴールドツリー社の顧問となった田代は鈴木からもスタッフからも信頼され、必要な人物になっていることに満足していた。業績も以前勤めていた会社のコネを使って、上がっていた。
 そんな時社長の鈴木が倒れる。この時田代は副社長が社長に就任するべきで、新しい社長が仕事をやりやすくする為に身を引くことを考えたが、思いも寄らず副社長から社長就任依頼を受け、ゴールドツリー社の社長に就任することになった。
 ところが取引先のミャンマーの企業に問題が起き、債権が回収できなくなった。とたんにゴールドツリー社は資金繰りが悪化し、銀行も相手にしてくれなくなる。他社への支払いを遅らせてもらい、社員の給与の遅配も始まった。
 結局ゴールドツリー社は倒産する。社長である田代は九千万の負債の責任を取る羽目になる。そして気づくのだ。


 「終わった人」の年代は、美しく衰えていく生き方を楽しみ、讃えるべきなのだ。


 自虐的にこの年で借金を背負うことでよかったとさえ思う。


 その中で、「ああ、六十五でよかった」と思っている自分に気づいた。
 平均寿命まで生きても、あと十五年。そのくらいなら、たとえ社会的に葬られたところで、耐えられる。
 もしも、三十代や四十代なら、この先四十年も五十年も、棒に振ることになる。取り返しがつかない気にもなるだろう。
 先が短いということは、決して不幸とばかりは言えない。
 これから道が開ける年齢でないことに、俺は安堵を感じていた。
 と同時に思った。
 人生において、生きていて「終わる」という状況は、まさしく適齢でもたされるのだと。
 定年が六十五歳であるのも、実に絶妙なタイミングなのだ。
 定年という「生前葬」にはベストの年齢だ。
 あとわずか十五年もやりすごせば、本当の葬儀だ。
 先が短いという幸せは、どん底の人間をどれほど楽にしてくれることだろう。


 一時は再就職もかなって、自分のプライドも回復し、妻ともうまく行き始めのだが、会社が倒産し、借金をかかえ込むことになって妻からも、どうするのだ、と責められる。余計な夢を見たために、自分たちの老後に大きな不安を残すこととなってしまった。


 誰もが自分の浮き沈みをケロッと話せる年齢になり、助け合っているのに、俺はできなかった。


 ああ、俺は定年以降、思い出とばかり戦ってきたのではないか。
 思い出は時がたてばたつほど美化され、力を持つものだ。俺は勝てない相手と不毛な一人相撲を取っていたのではないか。


 何でも終わる。早いか遅いかと、終わり方の良し悪しだけだ。
 いずれ命も終わる。そうなればいいも悪いもない。世に名前を刻んだ偉人でもない限り、時間と共に「いなかった人」と同じになる。


 この本を読んで思うことがたくさんある。私も60手前でリストラされた人間であるので、田代の気持ちもよくわかる。まだまだやれる、と思っていたこともある。これまでの経験を活かして社会で働きたい、と思ったこともある。リストラされる前の経歴は自分にとって思い出であるとともに栄光でもあった。しかし一方でそれがどんなにじゃまなものであるか、よくわかっていた。
 在職中、人事をやっていたこともあって、歳をとった人間の扱いがどんなに厄介であるか知っていた。迷惑になることが多い。彼等のプライドが鬱陶しいのである。だから私は社会に復帰することよりも、自分のことで迷惑になることだけは嫌だった。これまでやってきたことがあまりにも長かったから、無意識にそれが出てしまうことを恐れた。その時自分は傲慢になりかねないと思ったのである。
 それに私は社会に復帰することよりも疲れていた。もうこりごりだと思っていたのである。もうこれ以上無理をしたいと思わなかった。
 田代は自分の会社人生の不遇を、新たに取り戻したいと思ったのかもしれない。その不遇が彼の屈託であり、自然に枯れていくことを拒否し、生涯現役であることを望む人間に変えてしまったように思える。諦めきれなかった人の不幸を感じてしまう。
 定年退職し、時間を持て余し、スポーツジムやカルチャーセンターに通うことにも楽しみを持てない。しかもそこはジジババが茶飲み友達を探す場になっていることに耐えられない。気持ちはよくわかる。
 この本はこうして歳をとった人間が無理をすると痛い目に遭いますよ、と言っているようにも読みとれる。
 幸い私は無理をしたいと思っていないし、時間を持て余しているなんて一度も感じたことがない。むしろ気がつけば一日が終わっているという日々を過ごせているので、そういう意味では幸せなのかもしれない、と思った。


内館 牧子 著 『終わった人』 講談社(2015/09発売)


by office_kmoto | 2016-10-10 11:31 | Comments(0)

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