5月22日 水曜日

 曇り後晴れ。

 昨日大雨が降って、庭や玄関先にタブノキの枯葉がかなり落ちてひどいことになっていた。幸い今日は雨も上がり、乾燥するというので、すぐ掃くことをしないで、帰って来てから掃除をやろうと決める。それまでには掃きやすく乾燥するだろうと思ったのだ。
 今日は予約していた区の健康診断を受けた。採尿、採血、肺のレントゲン、問診、心電図と順番にこなす。胃と大腸はいつも行っている病院で内視鏡検査を受けるのでパスしている。
 問診では採尿、採血の結果を基に指導を受ける。検診を受けて5年間のデータが画面に表示されるが、基本的にこの5年間変わっていない。血糖値やコレステロールの値が多少高いのはこれまでと同様で、今の体重を維持すればいいとアドバイスを受ける。
 それで帰って来てからせっせと掃除を始めた。

d0331556_15133066.jpg 川本三郎さんや阿刀田高さんによる松本清張の解説本を読んでいると、また清張作品を読みたくなった。それで以前持っていた松本清張全集で、残していた短編を集めた巻、5冊を取り出し、まずは『松本清張全集』〈35〉 或る「小倉日記」伝 (文藝春秋1978/04発売)を読んでみた。で、読んでいて、「これはまずいぞ」と思い始める。というのも、ここにある短編には人間の嫉妬、怨み、が満載で読み終わって、どんどん憂鬱になっていく。
 松本清張の作品の特色は、それまでの推理小説におけるような、トリックの解明だけでなく、人が殺人を犯す動機、背景に重点のを置くことでいわゆる“社会派の推理小説”としてその地位を確立したことが有名だが、その動機や背景を鋭く追求していくと、どうしても人間の醜さ、卑小さに行く着いてしまう。
 今回読んだ短編集はまだ社会派と呼ばれた推理小説まで至らない作品がほとんどだが、それでも過剰な野心や自らの運命を享受できない人間の妬みは自身の運命を不遇にしていく話ばかりである。その過程はやはり読んでいる者の気持を暗くしていく。どうして人間はこうも身勝手で思い上がりが強いのだろうと思う。
 そんな人間の醜さに埋めつくされた短編を読んでしまうと、気分がどんどん滅入ってくる。これは“浄化”しないと思い始めた。そうしないと続巻を読むことが出来ない。それで好きな佐伯一麦さんの『遠い山に日が落ちて』を取り出し読み始める。やっぱりこの作品はいいなあ、と思う。
 この小説が好きなのはささやかな日常が淡々と描かれるからだ。もちろん個々にはいろいろな事情を抱えている。そうであるけれども、その上で日常の時間が淡々と流れていくのとともに人との関わりも感じることができる。さらにそこに自然の移り変わりが加わり、何とも言えぬ落ち着きを感じることができるのだ。
 特に斎木と菜穂が新たに住むことになった古い一軒家がいい。もう住人が住まなくなってだいぶ時間が経った家は、荒れ放題なのだが、それを片づけ、修理して暮らして行く過程で、以前住んでいた山口の爺さんが残していったいった庭の姿が現れてくる。庭は杉の落葉で埋まっていたが、それを焼却して、地面が現れると、以前あった草木が芽吹いて、花を咲かせた。山口の爺さんが丹精込めていた庭が現れる。その一つひとつに喜びを感じていくのが好きだ。
 この本では最初の出だしで、丹波栗が大きな音を立てて屋根に落ちてくる場面は最高に好きだ。

 今我が家では義父が残していったアマリリスと、さつきが花を咲かせている。


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 さつきの面倒を見始めたのは6年ほど前だったか。最初にそのさつきの面倒を見始めたのはどういう理由だったか。さつきは手入れがされなくなって、荒れて、虫がついていた。それを剪定し、虫を取り除き、消毒をし、肥料をあげると、翌年から、多分義父が生きていた頃に咲かせていた花が咲き始めた。それを見て、手入れをするとこういうご褒美があることを知らされた。
 アマリリスもそれが最初アマリリスだとわからなかった。鉢に植わった球根は何の手入れもしなかったものだから、花は咲かず葉のみ繁らせるだけであった。それを植え替え、肥料を与え、管理すると、翌年には一つの鉢で花を咲かせたので驚いた。そしてその時これがアマリリスだとわかった。
 私もこんなことをしてきたものだから、この小説で斎木と奈緖が庭の整理をして感じたことと同じことを感じることができる。
 さらに書かせてもらえば、さつきやアマリリスが昔のように花を咲かせるには、数年かかった。そして花が咲いてもわずかな期間にしか咲かない。そのためにそれ以上の長い時間管理が必要になる。そうして数年過ごしているうちに、自分の中で長いスパンで物事を見るようになった。それまで短い時間で物事を完結させることばかりしてきたから、いつもせわしかった。また時間を季節を基本に考えるようになった。季節の移り変わりを意識するようになった。そういう意味ではちょっと生き方が変わったかもしれないと思うこともある。
 いま気候的に寒くもなく、暑くもない。花粉も飛んでいない。だから障子を開けて、窓も開けていると気分がいい。窓から見えるさつきの花を楽しんでいる。
 そうそう、近くの親水公園に植わっていたあじさいの枝一本頂いて、挿し木にして、根付いた鉢も花を付けている。


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# by office_kmoto | 2019-05-23 15:16 | 日々を思う | Comments(0)

横山 秀夫 著 『ノースライト』

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 久々に横山さんの新作を読む。今回は警察小説でもなく、また新聞記者の話ではない。殺人事件も起きない。
 物語は一級建築士の青瀬稔は吉野陶太から信濃追分の土地に「あなた自身が住みたい家を建てて下さい」と言われ、すべてを任され、家の設計をする。その家が「Y邸」として『平成すまい二〇〇選』に選ばれ、青瀬の代表作となっていた。
 その家は青瀬が父親の仕事の関係でダム建設のあるところを転々とする「渡り」生活を送っていた、その飯場に注ぐ光を記憶から呼び起こし、デザインしたものであった。

 渡り歩いた飯場は、どこも不思議と北側の壁に大きな窓があった。その窓からもたらされる光の中、本を読んだり絵に描いたりするのが好きだった。差し込むでもなく、降り注ぐでもなく、どこか遠慮がちに部屋を包み込む柔らかな北からの光。東の窓の聡明さとも南の窓の陽気さとも趣の異なる、悟りを開いたかのように物静かなノースライト――。

 「Y邸」はノースライトを採光の主役に抜擢した家であった。

 その青瀬のデザインした「Y邸」を模した家を作ってくれというオーナーからメールがある。オーナーは「Y邸」を訪ねていた。オーナーは「Y邸」をかなり気に入り、家の中も見せてもらおう思い、呼び鈴を鳴らしたが応答がない。「Y邸」には何となく人が住んでいないように思えたと書いてあった。
 それを読んだ青瀬はそんなことはないはずだ。吉野はそこに暮らすために青瀬に家を建てて欲しいと依頼していたし、出来上がって吉野夫婦は喜んでいた。住んでいないわけがない。
 青瀬は吉野の携帯にも自宅にも電話をするが出ないので、青瀬は設計事務所オーナー岡嶋とともに信濃に赴くことにした。そして「吉野邸」となった「Y邸」は無人であった。玄関の扉にはこじあけた痕があり、開いていた。中は電話機しかなく、二階にあがると、窓の向こうの浅間山を望むように、古ぼけた一脚の椅子だけがあった。岡嶋によると、ドイツの建築家ブルーノ・タウトの椅子ではないかという。

 知らずに拳を握っていた。ゆかりと別れて以来、どこにあるのか、本当にあるのかさえわからなくなっていた猛々しい感情が、噴き出す場所を見つけたかのように集結していた。このままでは済まさない。必ず決着をつけてやる。吉野陶太を見つけ出し、あの家の尊厳を踏みにじった理由を問い質す。事と次第によっては――。

 この時から青瀬は吉野陶太の行方を探すことになる。
 物語は吉野陶太の行方とタウト作らしい椅子の真相、そして青野が勤める設計事務所オーナー岡嶋の行動が絡んでいく。
 青野は以前違う設計事務所にいた。バブルが弾けリストラされ、やがて離婚することになった。自暴自棄になっていた青瀬を岡嶋が拾ってくれた。その岡嶋は地元出身の画家の記念館設立のコンペ参加に動き回っていた。そのためかなり無理をしていた。その甲斐あって岡嶋はコンペを勝ちとることが出来たのだが、反市長派に市長との癒着を指摘され、その資格を失ってしまう。
 岡嶋は無理がたたって入院してしまう。岡嶋を見舞った。そのとき岡嶋は青瀬の代表作として「Y邸」があるように、自分も今度の記念館が息子に自慢出来るものとして、代表作にしたかった、と言う。実は岡嶋の息子は血がつながっていなかった。それでも、

 「……一創は……いい子なんだ。賢いしな。うんと可愛がってたのに、寝顔見て、この子が自分の子じゃないなんて、昨日まで自分の子だったのに、あんまりじゃないか。世界が真っ暗になっちまった。我が身の不幸を呪ったよ。いっそのこと家に火を点けて、一創も八栄子も俺もみんな灰にしちまおうかとも思ったんだ。そんな夜もあったんだ……。だけどな……。
 岡嶋の表情がすっと和んだ。
 「可愛かったんだ。自分の子じゃないってわかっても一創が可愛かった。こいつめ、とか、どこの馬の骨なんだとか、頭で思ってみても情はまったく別なんだ。可愛くて可愛くてしょうがなかった。血じゃないんだ。過ごした時間なんだ。それは俺と一創だけのものなんだ。建築家になりたいって言うんだ。作文にそう書いたんだ。お父さんみたいな建築家になりたいって」
 岡嶋は、頷く青瀬を見つめた。
 「俺は自分が嫌いだった。俺みたいな狡っ辛くていじけた奴が大嫌いだった。それでも一創が可愛くて、自分の子じゃないってわかっても可愛くて、俺にもそんなところがあったんだなって、どうにも涙が止まらなくて、なんだか生まれ変わったような気持ちになった。こいつのために生きよう、こいつのために何かを遺そうって、それでしゃかりきになって仕事をしたよ。お前を雇ったのもそうだ。事務所を強く大きくして一創に手渡したかったんだ。」

 読んで涙が出て来る。

 岡嶋の死体が病室の窓の外にあった。自殺と思われた。しかし青瀬は岡嶋が自殺するわけがない。岡嶋は顔を出して煙草を吸っていた。その時バランスを崩して転落したのではないか、と思った。実際窓の下には数本のすがらがあった。
 青瀬は一創のために岡嶋を自殺にしたくなかったし、事務所を潰したくない。さらに記念館のコンペに参加出来ずとも岡嶋建築事務所として作品を残そうとする。
 そして吉野の行方である。どうして「Y邸」に吉野が住まなかったのか、その真相が、タウトの椅子の真相を探るうちに吉野の行方がわかり、吉野が青瀬に家の建築を依頼した真相が判明する。吉野が青瀬に「Y邸」の依頼をしたのは、青瀬の父親の死に対する謝罪であった。「Y邸」に吉野が住まなかったのは、妻と離婚していたからであった。

横山 秀夫 著 『ノースライト』 新潮社(2019/02発売)


# by office_kmoto | 2019-05-19 07:01 | 本を思う | Comments(0)

久坂部 羊 著 『介護士K』

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 例によって久坂部さんの本音と建前のギャップをついた物語である。現実は如何ともし難いのに、美談と人間の尊厳とやらで金縛りにあっていることを突き付ける。避けて通ることが出来ない現実にそれを突き破る人間が、ある意味正論を言っているにも拘わらず、それを否定せざるをえない苦々しさを感じさせる。そのため久坂部さんの小説はいつも後味悪さを残す。年寄りの現実の話をさせたら絶品である。

 介護施設「アミカル蒲田」で入居者が続けてベランダから二人飛び降りて死亡し、もう一人はベッド柵に首を挟んで窒息死する。
 ベランダから飛び降りた老人の死に疑問を持った朝倉美和は取材を始めると、彼女らには“死にたい願望”があることがわかる。そしてこの時勤務していた介護士が小柳恭平であった。当然小柳は疑われる。
 話を先に進めれば、老人をベランダから突き落としたのは恭平であったし、ベッド柵に首を挟んで窒息死した老人もそれに見せかけて殺害したのは恭平であった。
 話を進めたのは、犯人が恭平であることは読んでいていて間違いないとすぐわかるからで、問題はその動機である。ここに介護の厳しい現実と老人たちが置かれている現状を問題提起のような形で、語らせるところである。老人介護という現場を日々見せつけられると、そう思わざるをえないことが語られる。

 「若いうちから健康増進だ、老化予防だなんて、まじめに取り組んでいる連中は、長生きしてからしまったと思うのさ。そういう人間はなかなか死ねんからな」
 「長生きって、そんなに悪いことばかりなんですか」
 「長生きがいいと思ってるのは、まだ長生きしていない人間だけだ。実際に長生きしている人に聞いてみろ。何かいいことがありますかって。全員が口をそろえて言うぞ。長生きしていいことなんかひとつもないって」

 「苦しい状態で生きるより、死んだほうがいい高齢者もいるんだ。君がショックを受けた入居者の死も、急死ならむしろ幸運だと思わなきゃいかん。死の恐怖に怯えることなく死ねたんだからな」

 ――見ればわかるだろう。これが長生きの現実だ。
 ――こんなになっても死ねないのは、あまりにも気の毒だ。
 ――長生きは酷い。

 この先、いくら頑張っても、事態が好転することはない。老いて衰え、不如意が増えるだけだ。老人を介護するということは、不幸を長引かせることではないのか。世間では猫なで声で「いつまでも自分らしく」とか「老いて元気に明るく」などと調子のいいことを言っているが、実態は悲惨の極みだ。
 ――年寄りに過剰な介護をするのは、だれが見たって不合理だぜ。死なせてやったほうがどれだけ本人と家族のためわかりゃしねぇ。

 朝倉美和は恭平を直接取材するなかで、恭平の言い分に同調せざるをえない部分があるので、それまで持っていた高齢者問題とは違う考えが頭によぎっていく。それは恭平の論理が極端に走ってはいるけれど、間違いなく今の日本が抱えている高齢者問題の核心をついているからではないだろうか。
 ただ高齢化社会に向かっている今の日本では、そこにこのような本音を言ってしまえば袋だたきにあうだろう。でもこのように医療が進歩して当の本人、そしてその家族にそれぞれ降りかかる現実の問題をそのままにしていれば、このようなギャップを大きくなるだけだろう。それでいいのか。いろいろ考えるけれどどうすればいいのかわからない。

久坂部 羊 著 『介護士K』 KADOKAWA(2018/11発売)


# by office_kmoto | 2019-05-17 06:28 | 本を思う | Comments(0)

司馬 遼太郎 著 『胡蝶の夢』〈5〉

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 さて最終巻に来た。この巻は戊辰戦争に松本良順と関寛斎は巻き込まれる。伊之助も少なからずもこの動乱の中、自身の身の振り方が変わっていく。
 伊之助は、

 語学にかけては日本国でかれの右に出る者はいないが、ついに時流に乗らずにいる。むしろ時流ということさえわからずにいた。なにしろ幕府が瓦解するまで北の海にうかぶ佐渡ヶ島にいたという奇妙さは、どうであろう。むろん伊之助はそのことに気がついていない。

 それでも佐渡で埋もれたまま居られず、良順の実父佐藤泰然を頼って横浜に出た。泰然はその人の良さを伊之助にも示す。その幅広い人脈を生かし、伊之助の身の振り方を考えてやる。そして伊之助を伴い、総督東久世通禧に会う。そして横浜役所に毎日詰め、語学所でその能力を生かし、語学を教える。しかしその教え方が素っ気ない。そのため例によって伊之助は人びとからそっぽを向かれ、伊之助は語学所の番人になっていた。
 この語学所が新政府軍の軍陣病院となった。そこにイギリス人医師のウィリアム・ウィリスが新政府軍の要請で勤めることなった。そこに番人扱いの伊之助がいたのでウィリスの通訳となる。この横浜の病院は新政府軍の前線にいた関寛斎が重傷者をここに送った。ウィリスについては吉村昭さんの『白い航跡』に詳しい。主人公の高木兼寛はこのウィリスに師事した。
 このウィリスの登場はポンペを師事した良順の医学を古いものとした。まるで伊東玄朴がシーボルトから教わった医学がポンペから教わった松本良順の登場したことで古くなったのと同じように。

 この時代、ヨーロッパの医学は一種の激動期で、基礎、臨床ともに日進月歩していた。オランダ人ポンペがユトレヒト大学を出たのは一八四九年で、英国人ウィリスはそれより十年遅れて一八五九年にエディンバラ大学を出ている。ヨーロッパの医学にとってこの十年ちがいは大きく、ウィリスがきわめて初歩的なながらも消毒の思想と方法を知っていただけでも、ポンペよりも斬新であった。松本良順たちがポンペ医学を金科玉条にし、良順にいたっては終生そこから多くはでなかったが、この意味で横浜軍陣病院におけるウィリスの段階で、良順たちポンペ・グループは古くなっていたといえる。

 ちなみにウィリスも日本医学がドイツ医学に舵を切ったことで、疎外されていき、それを見た薩摩がウィリスを鹿児島に呼ぶ。
 関寛斎は、蜂須賀家が新政府軍に付いたため、そちらにつき、従軍した。その関寛斎は、

 上野戦争の負傷者の治療が一段落した六月八日、江戸城内の大総督府によびだされ、
 「奥州での野戦病院頭取(病院長)をやってもらいたい」
 という命令をうけた。
 (こいつは、大変なことになった)
 とっさに思ったのは、会津若松で病院の総裁をしている松本良順のことであった。良順とこういうかたちで対峙しようとは、夢にも思っていなかった。

 その良順である。

 勝(海舟)にはすでに市民擁護の思想があった。さらには幕府や薩長の次元から越えた近代国家への明快な想定があり、幕府を自主的に解消して薩長ともども(薩長が理解するかどうかべつとして)あたらしい次元へ参加しようというもので、右の二つが勝の江戸処理に関する基本的な思想だったといっていい。

 (略)

 良順においては、洋学が勝のような思想へ飛躍するまでにいたらず、
 ――わしは徳川が好きなのだ。
 ということで情念が洪水のようにあふれてしまうところがあった。その徳川のために生死した多摩の農民――近藤と土方――がたまらなく好きであったのは、是非もないことだった。新選組や近藤・土方の歴史的役割などを考えるのは良順の柄ではなく、良順にすれば、そういう賢しいことは他の人の領分だというところがあり、考えもしなかった。
 ――松本良順は大愚者である。
 という好意をこめた評が明治後にあったが、あるいはそうであったろう。

 ということで良順は旧幕府側に付き、会津で負傷者の治療に当たっていた。会津が墜ちると土方、榎本武揚らに従い、北海道まで行くつもりでいたが、途中土方の説得もあって(吉村昭の小説ではそうなっていた)横浜に戻り、その後新政府軍に捕縛される。
 一方伊之助は関寛斎の勧めもあって、下谷和泉橋の西洋医学所のそばで語学塾を開く。西洋医学所はその後「大病院」となったが、伊之助はここで「松本良順が横浜で捕縛された」と聞き、膝が震えた。関寛斎についてもその活躍で、新政府の医学の最高責任者になるだろうと思っていたが、寛斎は大総督府に辞表を出して徳島に帰ってしまった。
 寛斎は松本良順を救済運動もしていたと乾浩さんの『斗満(トマム)の河―関寛斎伝』にあったはずだ。

 さて、

 明治元年のおわりごろ、
 「大学校」
 という制度ができた(翌明治二年十二月には大学と改称)。
 こんにちの学校としての大学ではなく、文部省というにちかい(明治四年、大学が廃止され、それにかわってあらたに文部省が設けられる)。

 (略)

 「大学」という、その後の文部省に相当する行政機関の建物は、旧幕府が儒学の本山としてきた湯島の昌平黌があてられた。

 「大博士」
 という職を設けた。上代律令制の「大学寮」から呼称をとったもので、上代では博士一人を最高責任者として助博士など二人ずつをおく。
 大博士には、官命をもって佐倉の佐藤舜海をよび、これを任ぜしめた。

 「大学」という行政府が湯島の昌平坂にあることはすでにふれた。その行政府から地理的に下谷和泉橋が東にあるため、「大病院」が大学東校と改称されたのが、明治二年十二月である。ついでながら旧幕府の洋学機関であった一ツ橋の開成所(最初は蕃書取調所)が新政府にひきつがれ、ついでこの時期、昌平坂から一ツ橋が南にあたるため大学南校とよばれた。

 この説明はこれまで伊東玄朴らの種痘所から始まって西洋医学所に変わり、それが大病院と変わり、さらに大学東校と変わっていく過程が今ひとつ出来なかったが、この本を読んで納得した。なぜ大学東校なのかも、これまで読んできた本には説明がなかったので、なるほど昌平坂を起点として東、南にあったということなのだ、と初めて理解する。その二つが一緒になって東京大学となるわけである。

 大博士佐藤尚中が東校にやって来た日、中博士の林洞海、坪井為春のほか、四人の少博士もあつまっていた。そのなかに伊之助がいるのをみて、佐藤尚中は思わず吹き出した。

 まあ、伊之助の存在はある意味突飛である。ただ外国人教師のいる場所には伊之助がいても不思議ではなかったのだろう。
 話は松本良順、関寛斎、伊之助と触れなければならないので、ちょくちょく変わる。最後はは関寛斎である。

 寛斎は日記を克明につけていたが、死の二日前に記述が絶えている。

 十月十三日、実母(註・四歳で死別)の忌日にて、殊に偲ばるる。又一(註・四男)に話に決する処あり。

 という。この二日後毒をあおぎ、死んだ。年八十三である。

 私は司馬さんが松本良順の生き様に関心を持つだろうと思えるけれど、寛斎に関してもそれ以上に深い愛情を、いや、尊敬の念を持ってその生き様に関心を持っていたのではないか、と思える。いくつもの場面で寛斎に関しての記述は神々しい。

 明治後の寛斎の生き方をみると、他の同学の西洋医学の徒が、時流に乗って栄耀の裘を一枚ずつ着かさねて行ったのに対し、寛斎はみずからぬぎすてて行ったように思える。

 寛斎が、自分の身にわずかに残っている虚飾を剥いでゆく姿は、小気味いいほどであった。

 書き忘れたが四巻目の冒頭にも寛斎に関する記述があったので、ここに付け加えておく。

 寛斎は後年、高貴な単純さと評されたことがあるが、たしかにかれ自身の性格、思想、生き方は神に近いほどに単純であった。そのせいか、かれは物事を明晰に考えることを愛し、同時に自分自身の生き方もそうであろうとした。

 この物語の主人公は、伊之助、良順、寛斎の三人であるが、伊之助がときに他の二人をもり立てる役目を負う。その伊之助も、

 伊之助は、自分の病気が肺結核であることがわかっていた。
 安静が大切ということも知っていたはずであるのに、明治十二年の寒いころ、名古屋を発ち、駕籠で熱海にむかった。

(略)

 道中、熱が高く、狭い駕籠の中ゆられながら、ひらひらと自分が蝶に化ったような錯覚をしきりに感じた。平塚の外れの野をゆくとき、菜の花に蝶が舞い、『荘子』にあるように栩栩然として宙空に点を撃つことを楽しんでいる。莊周(荘子)は夢に胡蝶になり、覚めれば莊周であった。莊周が夢をみて胡蝶になったのか、胡蝶が夢をみて莊周になっているのか、大きな流転のなかではどちらが現実であるかわからない。佐渡の新町の生家の物置の二階で『荘子』を読んでときの驚きが、菜の花畑の中をゆく駕籠の中でよみがえった。

 司馬さんはその伊之助の語学の天才とういう能力とは別の、そうとしか生きようがなかった悲しみに思いを多く寄せている。
 あとがきにおいて司馬さんは伊之助の人間形成には祖父の影響が大きかったのではないかと、考察しているが、それを読んでいると、確かにそうかもしれないと思えてくる。たまたま記憶力に優れた伊之助を見て、祖父の伊右衛門は金をいくらでも注ぎ込み、特殊な環境に伊之助を置いた。
 通常学問に刻苦勉励に駆り立てるのは飢餓からの脱出のためが一般的であったが、この点伊之助は違った。

 飢餓を脱出するために骨を鏤るような努力をする者は、その苦闘による傷がやがて高い精神性へ質的に転化することも多い。
 伊之助の勉学にはその種の恐怖心がばねになっているという要素がないため(金の心配をすることがなかったために)一種の純粋培養の環境ができあがった。かれが同時代の書生と異にする生い立ちをした点は、このあたりにあったらしい。
 伊之助が遊びざかりのころに、祖父はかれを遊び仲間からきりはなし、納屋の二階の机の前に閉じこめ、上下する梯子をはずしたというのは、伊之助の成立を見るときに欠かせない要素かと思える。このことがかれに遊びへの飢餓感をうえつけ、生涯つきまとわせた。かれが成人後、ほとんど異常と思えるほど婦人との接触を繰りかえしたのは、幼少時の鬱屈や、成長のある段階の欠落と無縁ではない。
 また幼少時、遊び仲間とのあいだにできあがる素朴な倫理感覚も伊之助の中にそだたなかった。このようにすれば他の子供にきらわれるとか、山野で採った果実は一緒に食って仲間意識をもちあうとか、仲間はずれの子や貧しい子に対する憐憫とかいったものは、子供たちが遊びの中で身につけてゆくものだが、伊之助にはそれらが経験として乏しかった。

 司馬さんは佐渡の自然に触れ、伊之助は佐渡を出るべきではなかった、と思う。ただ彼には異能と言うべき記憶力があった。それが島外へと渡らせることとなった。しかし伊之助は純粋培養の環境の中で育った。ある意味異常な環境で育った。そんな伊之助が身分制社会に出れば、当然異邦人扱いされる。

 その社会が、そこをただ一つの才能だけでくぐりぬけようとするかれに対して、ことごとく無数の刃物のようになって傷つけてゆくのだが、同時に、分際・身分に鈍感なこの男の側がたえず相手を無心に傷つけもした。

 伊之助の不幸は彼の才能に期待を掛けすぎた祖父伊右衛門が生んでしまったとも言える。彼の不幸はそのことに生涯気付かなかったことであった。

司馬 遼太郎 著 『胡蝶の夢』〈5〉 新潮社(1979/11発売)


# by office_kmoto | 2019-05-15 06:50 | 本を思う | Comments(0)

司馬 遼太郎 著 『胡蝶の夢』〈4〉

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 この巻には、それほど気になるものはなかった。ただは激しく流れ、幕末から維新へ大きく歴史が変わる事変がいくつも起こる。その激しい歴史の流れの中、良順、寛斎、伊之助は翻弄され、その後の立場を変えていくきっかけとなる。だから物語として巻を変えて書く必要があったと思われる。

 関寛斎は阿波蜂須賀斉裕の侍医となる。もともとあまり気が進まなかったが、斉裕の人柄に触れると、寛斎は晩年北海道に行っても斉裕のことを忘れられなくなる。

 松本良順は西洋医学所の頭取になってから、一橋慶喜の主治医となる。当時慶喜は京都と薩長と板挟みになり、幕府の舵取りに苦労していた。当然そのストレスの為精神的にまいっていて、眠れずにいた。良順は阿片を使って、充分な睡眠をとらせる。
 また将軍家茂の最後にも立ち会う。本来なら将軍と簡単に会話などできないのだが、家茂は良順をそばに置いた。良順が家茂の看病を寝ずにしていたので、いねむりをすれば、一緒に蒲団に入って寝ろ、とさえ言った。
 面白いもので、良順と寛斎は後に敵味方に別れてしまうのだが、そのようになるのは、このように主家の死に立ち会い、その時の会話が心に残り、後まで主家に恩を感じ、強い思いがそうさせた。
 そして良順は新選組の近藤勇の訪問を受け、近藤が義兄弟の関係を結ぶ。以来良順は新撰組の人間と深い関係になる。新撰組内の衛生環境のアドバイスをする。いずれにせよ、良順の性格を司馬さんは次のように書く。

 良順の性格は、陽気で単純な精神を美として好んでいる。他からみれば馬鹿のようだが、当人ばかりは大真面目で、イワシの頭ほどの義でも、義であればこれを大切にし、懸命のそれに殉じようとしている男どもを好む。良順は医者仲間には突っかかったが、武士が好きであった。しかし選り好みがつよく、かれが好む武士とは右のようなもので、当節、世間に無数にいる教養人としての武士や、官僚としての武士についてはまったく好まなかった。この好悪が、将来、良順の運命を変えた。

 一方伊之助である。
 佐渡の組頭中山修輔は佐渡の医者が勉強不足なので、伊之助の能力を見込み、佐渡の医師を試験をする試験官にしようとしたが、医師たちの反対があり、計画は挫折した。解剖学の講義などしたが聴講者が少なく、そのうち聴講者は居なくなった。
 というわけで伊之助は佐渡に帰ってなすところもない日々を過ごしている。

司馬 遼太郎 著 『胡蝶の夢』〈4〉 新潮社(1979/10発売)


# by office_kmoto | 2019-05-10 06:33 | 本を思う | Comments(0)

言葉拾い、残夢整理、あれこれ


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