瀬戸内 寂聴 著 『美は乱調にあり』『諧調は偽りなり』
2019年 02月 18日

野枝はもう一日でも辻の顔を見ない日は学校に行った気がしなくなっていた。辻の考え方で物を考え、辻の感受性で物を感じるようになっていた。
野枝が五年生の夏、叔父から結婚話が持ち上がる。結婚までの間、相手が野枝の学費を出すという条件になっていた。福太郎というアメリカ帰りの男で、野枝は結婚後アメリカに住むということに魅力を感じていて、仮祝言までしていた。しかしそのアメリカ移住の話も御破算となり、野枝は田舎での平凡な暮らしに耐えられなかった。卒業と同時に野枝は福太郎と結婚したが、わずか八日で婚家を飛び出し、上京し、辻の元へ転がりこんできた。
辻は明らかに野枝が自分に救いを求めているのを感じながら、ただ彼女の悲憤や泣き言をだまって聞いてやるしか手がなかった。うっかり手を出せば、もう発火点に達している野枝から熱い火を移され、またたくまにいっしょに燃え滅びるのが目に見えていた。
野枝はそのまま辻の元で押しかけ女房として収まり、福太郎との結婚を破談とした。しかしこのことで辻は勤めていた学校を辞めさせられることになる。以来辻は仕事をしない自由さを手放そうとはせず、失業のままであった。当然家の中は火の車となる。姑も貧しさの前には神経をとがらせ家の中は争いが絶えなかった。野枝も自分のことで辻が教師を辞めさせられたという負い目があった。
それでも辻はアルバイト程度の仕事しかしなかった。ただ野枝を教育することには生きがいを感じ、妻というより生徒のような教えぶりであった。
「野枝を生かしてやるよ。女の可能性の極みまで伸ばしてやる。野枝の中の才能をひきずりだしてやる。俺の知識もいのちもすべてを注ぎこんでも野枝を必ず、すばらしい
女にしてやる」
そんな野枝に辻は平塚らいてうが主催する『青鞜』に入ることを勧める。野枝は青鞜へ通い、この中で最年少者として可愛がられ、自身の知的向上心を刺激され大いに満足であった。そのうち野枝は辻との間に長男一(まこと)を出産する。
ここから平塚らいてうと『青鞜』の話が絡んでくる。これは知らなかったのだが平塚らいてう(明子)は漱石門下の森田草平と「塩原雪の彷徨事件」と騒がれた心中未遂を起こしていた。その明子が女性は旧い因習から脱却し、自ら歩き出す新しい女性を提唱して『青鞜』を発刊したのであった。
美しく才知に輝く明子は、どこにいっても熱烈な崇拝者の瞳に迎えられることに馴れていた。男も女も、明子を見た者は、たいていのものがその静的な知的な美しさに魅せられる。
このように明子は女性から慕われ、同人として参加していた尾竹紅吉と同性愛でもあった。しかし明子は本当の恋をしたいと思っていたところに奥村博史という画家が現れる。明子は奥村に惹かれ、奥村もその気になるが、一時明子から離れる。奥村は写生の旅に出たとき、文学青年ある新妻莞から明子の過去のスキャンダル、同性愛など聞かされ、自らを「燕」と称した絶交の手紙を出す。当然明子の自尊心は傷つけられ、「また季節が来ると燕は訪れる」と返事を書く。ちなみに歳上の女の愛人になっている男のことを燕と言うようになったのはここかららしい。
これを読んでいると青鞜には多くの著名な女性が同人として参加している。その中に小林清親の五女哥津もいたとは驚いた。さらに大杉栄を中にして争う宿命の女性たちもここにあった。大杉栄の妻となる堀保子、神近市子、そして伊藤野枝であった。
『青鞜』は新しい女性像を求めるあまり、世間から好奇の目で見られ、ゴシップやスキャンダルに晒されることが多い。野枝にもスキャンダルがあった。
『青鞜』に書いた野枝の文章に惹かれ、野枝のイメージを思い描く内に恋らしき気持を抱いたという告白文が届く。そこにはイメージだけでなく実際に野枝に会いたいと書き記されていた。それを書いたのは木村荘太であった。手紙を受け取った野枝は悪い気はしない。むしろあれこれ想像するようになっていた。しかしこの告白文は木村が仲間がどんどん新しい女性をものにするので、自分も、といった感じで、言わば遊び感覚で野枝と接触していたのであった。だから日に何度も野枝に手紙を書き、野枝の気持を燃え上がらせ、やきもきさせ、最後は袖にした。最後は辻と野枝、そして木村と三者会談となり、木村の真の意思が露見し、男を下げた。
それにしても、
あれほど情熱的に体当たりでぶつかってこられた野枝の野性の情熱の中には、他からの誘惑に対しても人一倍敏感でもろい熱すぎる血が流れていたことを再認識せねばならなかった。
この野枝の性質は後に大杉栄に押しまくられたときも、遺憾なく発揮される。
男の賞讃のまなざしや讃美のことばが常に快いという女の最も通俗な特質を、野枝もまた、人並以上に持っていて、それに自分で気づかないだけであった。
結局この顛末は二人の恋文が『青鞜』に公開することで世間にあらぬ噂を避けようとしたが、かえって話題となる。
おかしいのはこの後明子が奥村を忘れることができず、復縁を迫り、やはり『青鞜』にその経緯を公表するのである。ただでさえ、雑誌『青鞜』は世間の好奇な目に晒され、白い目で見られているところに、自らわざわざ話題を提供するのである。このあたりがよく理解できない。ゴシップ雑誌と変わらない。新しい女性像の追求が、こんな野枝や明子の行動にあるのかと思ってしまう。いずれにせよ『青鞜』はゴシップ雑誌化したためか、発禁も続いたこともあり、さらに明子が奥村と恋をし、同棲するに及んで自らの情熱が雑誌から愛情生活方に移っていったことでどんどん下降線を辿ることになる。そして最後は青鞜の中で一番若かった野枝が『青鞜』を引き取ることとなるが、その結果『青鞜』の幕を下ろしたのも野枝となった。
大杉は野枝を訪ね、二人は意気投合する。大杉は野枝に一目惚れしてしまう。野枝も例の性分が遺憾なく発揮され、大杉に惹かれていく。
大杉があらわれるようになって以来、逢う度に手放しで野枝の大胆さや、果敢さや、未知数の才能の可能性について、熱っぽく率直に言及することで、どれほど自分の中の自尊心と虚栄心が甘やかされ、くすぐられているかということには気づいていなかった。
一方大杉にも、
これからの野枝の成長に手を貸すのはもう辻ではなく自分だという確信が大杉の中には芽生えていた。
大杉への気持の傾斜はあるにしても、辻の従姉との不倫が発覚すれば、野枝は逆上する。夫婦関係は冷めつつある中、二人目の子供を生むため辻と一緒に郷里の今宿へ帰っていたところ、野枝が留守の間大杉は神近市子と恋愛関係に陥った。神近は先に書いた通り『青鞜』に投稿していた同人であったが、津田英学塾を出た、当時としては最高のインテリであった。『青鞜』に投稿していたことがバレて、津田塾を危うく退学させられそうになったこともあったが、それでもペンネームを使って投稿を続けていた。しかしそれもバレて、卒業後せっかく就職した弘前の女学校もクビになった。その後男勝りの女性記者となり、大杉と接点を持つことなった。ここで大杉をめぐる三人の女が揃うことになる。
大杉には妻である(堀)保子がいたが、野枝と神近市子で、いわゆる大杉が主張する「自由恋愛(フリーラブ)」の実験をしているのだと、保子に言う。この主張は次の通りである。
2.同棲はしないで別居の生活を送ること
3.お互いの自由(性的のすらも)を尊重すること
ここで「日陰茶屋事件」が起こる。神近が大杉を刺したのである。
ということでこの『諧調は偽りなり』はまず前回のあらすじみたいに、『美は乱調にあり』をたどり、神近市子の裁判を記述する。結局神近は一審で懲役4年を宣告されたが、控訴により2年に減刑されて服役する。
そして大杉は妻保子と離婚し、野枝が二人のライバルを蹴落とした勝者となった。野枝はやっと大杉との生活を掴み取ったことになる。以後長々と二人の行動と彼らについて回る同調者の話が続く。彼らの主義主張、和合、離反はこと細かに書かれるが、私には彼らの活動の基本が理解できない。労働者支持とかアナキズムとかそういった活動において彼らは金を持っている者に入り込んでいく。その虫のよさが鼻につく。
服役後の神近市子のところにだって活動家たちは家まで入り込んでいく。堀辰雄は大杉栄の渡欧資金を無心される。つまり支持者もしくは支援者らしき人々があって、彼らの活動は成り立っている。そんなたかりのような人間たちの主張にどこに意味を見いだせるのか、このあたりが理解しがたい。
そしてその仲間の異常さである。そこにいる男と女が簡単にくっついて、そして簡単に別れ、そして近くにいる別の人間とくっつく。まるで近親結婚のように醜い。
大正12年9月1日の関東大震災である。朝鮮人たちが火を放っている。井戸に毒を投げ込んでいるという流言が広まり、狂気じみた朝鮮人狩りが始まった。その不穏な朝鮮人たちの背後に社会主義者や無政府主義者たちがついているといって、その大物であった大杉栄たちが逮捕された。そして三人は殺害され、憲兵隊の火薬庫の傍にある普段使っていない井戸へ、三人を裸にし菰で包み麻縄で縛って投げ込んだ。いわゆる甘粕事件である。このことで軍事裁判にかけられるが、その聴取書に大杉殺害模様が説明されている。
憲兵分隊では、階上の屋は使っているので、隊長室に一時入れて、三名に夕食を出して食べさせた。
その後午後八時頃になって、憲兵隊司令部の応接所で、現在使用されていない部屋へ森が大杉だけつれて入り、取調べをしている時、甘粕が入ってきて、腰かけている大杉の後ろからいきなり右手の前腕を大杉の咽喉に当て、左手首を右掌に握り、力まかせに後ろに引いた。大杉が椅子から倒れたので、右膝頭大杉の背中に当て、柔道の締め手で絞殺した。大杉は両手をあげて非常に苦しがり、甘粕が力をゆるめずにいると、十分位で絶命した。そこで用意していた細引で首を巻き、その場に倒しておいた。なぜか大杉は、甘粕が部屋に入って殺し終わるまで一言も声を発さなかった。
野枝も大杉と同じように甘粕が後ろから手を回して絞殺した。問題は橘宗一である。子供の首を誰が絞めたのか。もともと宗一は大杉の子供と勘違いされ捕まり殺されたのであった。いずれにせよ甘粕は自分の意思で三人を殺害したと主張する。その殺害理由を、
「主義者の多くはほとんど警視庁に検束されているにも拘わらず、大杉のみ一人そのままになっています。これは如何なるわけか、了解に苦しむ次第ですが、何にしても危険千万の事で、この場合徹底的にやっつけてしまおう。大杉さえやってしまえば、他の無政府主義者はしばらく鳴りを沈めて蠢動することはあるまいと思ったからです」
と言う。しかし後々の甘粕の言動から、どうやらもっと上層部から大杉殺害の指示が出ていたことをうかがわせるところがあるようだ。後に甘粕自身もそのようなことを匂わせて言っている。
ところで大杉たちは甘粕に後ろから首を絞められ殺されたことになっているが、後に発見された「死因鑑定書」の写しが、そうではなく暴行の上殺されたことが遺体の状況からわかってくる。ただ裁判ではその、矛盾は突っこまれなかった。もともとこの裁判は茶番だったようだ。甘粕は懲役15年の判決を受けたが、2年10ヵ月で出所している。
瀬戸内 寂聴 著『瀬戸内寂聴全集』〈第12巻〉新潮社(2002/01発売)に収録