散歩

 一冊の本を読む終えて、次に用意してある本を手にする。用意とは、本にカバーを掛けることである。それは市販のブックカバーをかけたり、あるいはお店でもらったカバーをかけ直したりしたものである。
 そして次はその本を読むのであるが、そのときその後に読む本を用意する。
 このときが問題なのである。何を読むか、本棚から物色するのだが、目に付いた本が準備したある本より先に読みたくなるのである。つまり次に読む本があるにも関わらず、こっちの方が気になってしまうのである。いつもそうである。
 次に読む本を準備しておくからこういうことになる。一冊読み終えてから、次の本を探せば、こんな迷いもないのだが、性格柄かついつい次のを準備してしまうのである。
 でも新しい本を読むという、この段階が楽しい。楽しいから迷いが生じるとも言えなくもない。

 さて。

 今日は散歩がてら近所の図書館に行ってみようと思う。久しぶりである。というか今日の散歩は別な意味がある。
 子供の頃、母親の買い物に一緒に行った道を歩いてみようと思ったのだ。
 実家の近くにはスーパーがないので、バス通りに出て、そこにあるスーパーに行くのである。歩いて20分ほどだろうか。母はいつも買い物かごをさげて歩いて行く。私もお菓子でも買ってもらうつもりで、一緒に歩いた。
 そんなことを思いだし、あの道にあった友達の家がやっているお菓子工場やお店など、今はどうなっているのか知りたくなったのである。
 私が小学校の同級生がやっていたお菓子工場とは、かりんとうとクッキーであった。かりんとうは揚げたてを子供のおこづかいで買えるほど安く売ってくれた。クッキーは割れてしまったものを袋にいっぱい詰まって売っていた。かりんとう工場は今も残っているようで、友達の名前が残っていた。クッキー工場の方は何もなく、一戸建てが建っている。
 家が肉屋を営んでいた友達もいて、そこでやはり揚げたてのコロッケなど食べた記憶があるが、今はお店はなくなっていて、普通の家になっていて、友達の名前が表札にかかっていた。
 揚げたてのコロッケと言えば、やはり小学校の頃、友達と一緒に通っていた学習塾の帰りに、スーパーの一角にあった肉屋に寄って、揚げたてのハムカツやポテトフライである。それにたっぷりソースをかけてもらって、食べながら帰ったことがよく思い出す。熱くてなかなか食べられなかったことや、あの味はいつまでも忘れられないものだ。今はスーパーもなくなっているので、その肉屋もない。
 その友達の家は砂糖の精製工場をやっていて、大きな工場が二つあったが、今は何もなくなっていて、やはり一戸建てがいくつも建っていた。その友達の家に遊びに行くと、よくカルメラを作ってくれた。砂糖を温めて、溶けたところで重曹を入れて、プーッとふくれた、あの光景を思い出す。あれも美味しかった。
 母親がよく行っていた通りから奥に入ったところにあったスーパーも今はない。ただ建物はどういうわけか半分残っていて、スーパーの名前が中途半端に残っている。もちろんペンキなどはげてしまっていて見るも無惨な姿になっていたが。
 小学校の検診に来ていた歯医者もその途中にあった。歯科医院という立て看板があったが、どちらかと言えば普通の一軒家で、待合室は薄暗く、大きな柱時計がかかっていて、時報の音が大きく響いていた。いっぺんに2本も歯を抜いてしまう藪医者で、ここを出たときは口が血だらけだった。もちろん今は何もない。向かいにあった床屋もなくなっている。
 通りに出てみる。下駄を売っている履き物屋は今も残っている。ここで下駄を買って、大学時代それを履いて通っていたこともある。歌にある“下駄を鳴らして奴が来る”あの感じである。さすがに腰に手ぬぐいはぶら下げなかったが。下駄は履き慣れると、素足に気持ちいいものである。
 図書館は昔のものではない。建て替えられて、コミュニティー広場となってしまって、明るい。昔は全館薄暗い書庫は本で埋まっていて、いかにも“図書館”といった感じだったが、今は本の冊数もかなり減ってしまっていて、昔あった文学全集など一冊もない。閲覧室もほとんどなく、昔のように暑い夏にここに来て勉強などできないだろうな、と思った。やはり来るべきじゃなかった。
 今日はかみさんがいないので昼飯を買っていかないとならなかった。何を買うかはもう決めてある。サンドイッチである。ここはサンドイッチだけで、ここで作って売っている。フルーツサンドが最高にうまい。それとコロッケサンドを買う。
 途中公園に入って、ベンチに座り、フルーツサンドをほおばる。クリームに挟まれたフルーツが美味しい。クリームもそれほど甘くなく、パンもふわふわで柔らかく、やっぱり思っていた通りであった。コロッケも、パンの柔らかさとコロッケの衣のさくさく感が口の中で面白いほど感じることが出来る。これはコンビニのべちゃっとしたものとはまるっきり違う。しかもコンビニよりも安い。
 公園には誰もいなく、木々の葉がいっぱい茂り、風に揺れているのを眺めて、美味しいサンドイッチを食べていると、幸せだなあと思ってしまう。今日は歩いてここまで来て良かったと思う。
 そう言えばこの先に本屋さんがあったはずだと思い、先に進んでみたが、ここのやはりなくなっていた。店があれば何でもいいから本を買おうと思っていたのだけど、残念であった。
 携帯の歩数計を見てみると、8,641歩、5.1キロ歩いた。予想通りなくなってしまった建物、お店が多かったが、それでも懐かしいところもあったし、楽しかった。今日はここを歩いて良かった。
by office_kmoto | 2013-10-19 15:32 | Comments(0)

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