貫井 徳郎 著 『乱反射』

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 久坂部羊さんの新刊を読んでいた。この本はこれまでの久坂部さん作風とはちょっと違っていて、その分面白味に欠けた。
 その本にこの出版社が出している他の作家の広告あり、この本に目が行った。

 面白かった。

 事故は風の強い日に起こった。街路樹がその風で倒れ、二歳の子供が下敷きになり死亡した。その事故の真相を父親であり、地方新聞の記者であった加山が追う。原因は誰でも心当たりのある、小さな罪の連鎖だった。

加山聡
 家族旅行へ急ぐ加山は、家庭ゴミを車に積み、サービスエリアで捨てる。罪悪感はあっても、「まあ、一回だけならいいか」と自分の行為を正当化する。

三隅幸造
 定年退職後心の寂しさ紛らわすために犬を飼う。その犬が、散歩で いつもと同じ街路樹の根元に糞をする。幸造は腰痛のためかがむことができず、糞を置き去りにしていく。街路樹の根元なら通行人が踏んでしまうこともないと言い訳をし、自らの罪悪感を軽減する。

安西寛
 体質が弱いためよく風邪を引く。病院に行きたくても昼間は混んでいる。そこで、待ち時間が少なくて済む夜間の救急の窓口へ行き、診察してもらう。最初、こんなに空いているならば自分ひとりぐらいかまわないだろうと思った。この裏技を大学で知り合った女の子が調子を崩したので、夜間の窓口へ行けば、すぐ診察してくれる、と教える。それがこの女の子の友人を通じて広がり、夜にやってくる患者が増えた。

小林麟太郎
 市役所道路管理課の小林麟太郎は街路樹の根元に置き去りにされていた犬の糞を一度片づけたことがあるが、次にこの街路樹の剪定に来たときに、また糞が溜まっていた。もう二度と糞の片付けなどごめんだと思い、剪定をせずにこの街路樹から離れた。いずれこの街路樹は伐採されるのだから、剪定などしなくても構わないと思う。
 さらに市民から街路樹の根元に犬の糞が溜まっているという苦情を受け、三度この街路樹に向かう。糞の始末をしている時に、生意気な子供達に「犬の糞を片付ける仕事は嫌だな」と言われ、麟太郎のプライドが傷つき、まだ根元に糞が残っているにも拘わらず、そのまま放置した。

榎田克子
 克子は車庫入れが苦手であった。今家にある自家用車さえ車庫入れに苦労していた。しかし妹の麗美が今の車はかっこわるいから、もう少し大きめの車にに買い換えようと父親に提案する。克子は大型になればますます車庫入れが難しくなるのをわかっていたのにもかかわらず、車の買い換えを受け入れざるを得なかった。そして案の定、車庫入れがまくできないことに苛立ち、その場に車を放置して家の中に入ってしまった。道路は克子の車で渋滞する。

安達道洋
 道洋は病的な潔癖症であった。彼は樹木診断士であった。市の街路樹の診断を任される会社に勤める。街路樹の診断とは街路樹が弱っていないか、根腐れしていないかを診断する。それによって街路樹が倒れないことを確認するのであった。
 道洋は委託を受けた街路樹の根元に犬の糞があることを見て、身動きができなくなってしまった。そしてこの樹の診断をしなかった。

田丸ハナ
 専業主婦を娘から馬鹿にされ、自分の存在感を娘に示すため、道路拡張による街路樹伐採に反対する。仲間と街路樹伐採反対の実力行使を行い、伐採業者でない安達道洋たちが樹木の診断に来たにも関わらず、それを阻止する。

 そしてその街路樹が倒れ、義父のお見舞いに来ていた、加山聡の妻光恵と一人息子の健太を襲う。健太は死亡した。

 父親である加山聡はその原因を追及する。道路拡張計画があるにも関わらず、地権者との話し合いが進まなかったこと。さらに身勝手な理由でその街路樹伐採に反対運動がおこり、その計画が進まなかったこと。
 その樹の根元に犬の糞を置き去りする人間がいたこと。
 その糞を苦情が市民から出ていたにも関わらず、それを処理しなかった市役所の人間がいたこと。
 街路樹の状況を診断し、樹が倒れないかどうかを調べる業者の一人が過度の潔癖性になり病んでいたこと。その樹木診断士は根元にあった犬の糞のせいで、その樹を診断しなかったこと。
 事故現場には救急の窓口がある病院があったが、たまたまその日の担当医が内科専門の医者であったこと。多くの患者でてんてこ舞いしていることをいいことにして、急患を断ったこと。
 しかもその夜に診察待ちをしていた患者は軽い症状の患者たちであった。夜間に診察してもらえば、昼間みたいに待たなくてすぐ診察してくれると吹聴した人間がいて、以来夜間の救急の窓口に患者が増えたこと。
 そして救急車が他の病院へ行こうとしても、渋滞で動けなかったこと。それは車庫入れがうまくできず気が動転し、運転を放棄し車を放置した結果起こった渋滞であった。
 加山聡は自分の息子を殺してしまった原因を作った人間に会い、責任と謝罪を求めるが、みな加山が死んだ子供の父親であることに驚き、戸惑い、多少の罪の意識が芽生えるが、むしろ開き直り、最後は自分には関係ない。責任はないと、自らの罪を認ず、自己防衛に走る。


 健太の死に責任がある人物を突き止めたのに、その罪を追及しきれない。法律ではなくモラルでは、罪ある人を糾弾することができないのだ。そんな冷然たる事実に突き当たり、加山は絶句した。身勝手さを罪として問えない現実が、ただただ悔しくてならなかった。


 「おれがこれまで健太の死に責任がある人と何人も会ったことは話したろ。みんな、同じだったんだ。みんな、今のじいさんと同じことしか言わなかった。誰ひとり自分の罪を認めず、どうして咎められなきゃならないんだと開き直った。それが現実なんだよ。誰も自分が悪いなんて思っていないんだよ」


 「夜間の病院が混雑する原因を作った人だ。おれはその人に、自分の身勝手な行動が健太を殺したとは思わないのかと訊ねた。そうしたらその人は、思わないと答えた。おれはその人をぶん殴るべきだったのかな。お前のせいで健太は死んだだと、泣き喚くべきだったのかな。でもそれなら、殴るべき相手は他にもいるんだよな。みんな少しずつ身勝手で、だから少しずつしか責任がなくて、それで自分は悪くないと言い張るんだよ。おれは誰を責めればいいのかわからなくねってきた。世界中の人全部が敵で、全員が責任逃れをしている気がする。おれたちの悲しみや苦しみをわかってくれる人は、世の中にいないのかもしれない。そんなふうに考えると、怖くて悲しくてしょうがないんだ。なあ、光恵、そうじゃないか?」


 こんなことならいっそ、顔の見える誰かひとりの犯罪であった方がまだましだとすら、最近は考えている。犯人を罵倒し、殴り、そして一生恨み続けられるなら、それも生きていくための原動力になるだろう。それなのに加山には、健太を殺した犯人の顔も、責任の所在も、事故の原因すらも、何ひとつわからないのだ。これほど悔しいことがあろうか。こんなにも無力感を覚えさせる現実を、加山はどうしても受け入れられずにいた。


 そして加山はコンビニで買ったウーロン茶を飲んで、おにぎりを食べて、そのゴミをゴミ箱に入れようとしたとき、自分が以前にも同じように、こうしてどこかでゴミを捨てようとした光景が甦るのであった。

 その瞬間、


 「ああああああああああ」
 体ががくがく震え始めた。口からは、意味をなさない声が漏れる。あのときの自分は、誰かに似ていないか。そうだ、加山が恨み、心の中で非難し続けた人々と同じだ。己のちょっとした都合を押し通し、それが巻き起こした波紋の責任など取ろうとしない人たち。自分だけがよければいいと考え、些細なモラル違反を犯した人たちは、ゴミをサービスエリアで捨てた加山と同類だった。加山もまた、彼らと同類の人間だったのだ。
「ああああああああああ」
 声が漏れ続ける。体の震えは収まるどころか、ますます激しくなった。

「・・・・・おれだったのか。おれが健太を殺したのか」
 加山は己の手を見た。

 両手を見ながら、加山は力尽きるまで絶叫し続けた。


貫井 徳郎 著 『乱反射』 朝日新聞出版 (2011/11発売) 朝日文庫
by office_kmoto | 2013-12-11 16:10 | 本を思う | Comments(0)

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