浄化

 昨年の夏頃から、昔読んだ本を読み直すことをやるようになった。単純に懐かしさがそうさせるのと、時間的余裕が出てきたことによる。
 でも読んでいて、やっぱり記憶に残る本はいいものだ。これまで読んできた本のどれだけが私の記憶に残っているのかわからないが、記憶に残っている本は、本の内容もそうだけれど、それ以外になにか別の要素、たとえば、その時自分が置かれていた状況などが合わさって残っているような気がする。
 基本的に読んで面白かったもの、考えさせられたもの、感動したものなど、残してあるのだが、それでももう絶対に読まないだろうと判断して処分した本もある。そしてなぜかそうした本がやたら思い出されるのである。
 あるいはシリーズものの最新刊を読んでいて、また昔の本を読み返してみてもいいかな、と思ったりする。
 いずれにせよ、本をまた読み返すのはいいものだと最近そう思う。

 昨日午後から北風が強く吹いていた。夜も雨戸を閉めていても、風が木々を揺らす音が聞こえる。その時本を読んでいたのだが、なぜかその音に聞き入っていてしまい、本を置いた。その後眠るまで、ずっと風の音を聞いていた。
 雨が降ったときも、雨音が聞こえると、やっていたことをやめて、その雨音を聞き入る。窓を開けて雨が降っているのを確認したくなる。雨が落ちてくるその線をしばらく何も考えずに眺めている。葉が全部落ちた木に、雨粒がついているのを眺めている。その粒の透明さが妙に美しい。そして粒が大きくなると落ちていく様を眺めている。
 昼間も外は寒いのだけれど、陽が窓を通して当たっているのを見て、つい窓を開けて外を眺めてしまう。しばらくすると陽が当たっているところが暖かくなってくるのがわかる。
 庭にある木々は寒々しいが、孫が植えたチューリップの芽が少し出てきていて、それが大きかったり、ちょこんと芽を出していたり、様々だ。でもそれもしばらく眺めている。
 何の変哲もないことばかりなのだが、私をそこに釘付けにする。なぜなんだろう?30年以上も時間に追われ、物事に追われ続けたので、そんな些細なことに気が回らなかったということなのだろう。

 些細なこと?

 そうだろうか?判で押したような生活を長いこと続けていると、感じることを麻痺させてしまったような気がする。つまらん処世術に長けた分、私は嘘をつき、その時必要なことしか目にせず、あとは切り捨ててきた。そうせざるを得なかった。でもその結果何を得たのだ。結局生きていくことが苦しくなっていくばかりだった。気持ちが荒み、感覚が麻痺して、感じることが少なくなっていった。
 今、感じることを楽しいと思う。今私がしていることは暇人がすることだ、と言えば言えるかもしれないが、それでもその瞬間そこに釘付けになり、心が浄化されるような気がするのである。きっと今、本を読んでも、絵を見ても、風景を見ても、音を聞いても、少しずつだが素直に気持ちが反応できるようになってきている気がする。そのことの大切さをしみじみ感じる。それを許される貴重な時間をありがたいと思うのである。

 日課の散歩のコースで、子どものころお祭りで縁日の屋台が出ていた神社を思いだした。毎年夏になると、親に連れられてここの屋台のまわりを歩いた。カーバイトの炎を思い出す。友達とここで会って、親から離れて一緒にかけずり回った。手に小銭を握りしめて。わたあめ、みずあめ、金魚すくい、ふうせん釣りなど。
 今でもここでお祭りの時屋台が出ているのかどうかさえ、私は知らない。もちろん今の時期お祭りなどやっているわけがないので、むしろ“こんなに狭かったかな?”というのが最初の印象だった。子どものころの記憶が大きくなって、敷地まで広がってしまったのだろうか。境内には誰もいない。地面にはほうきで掃いたあとが残っていて、ごみ一つ残っていない。
 お参りをする。別にお願いすることも、感謝することもなかったが、ふと手を合わせたくなった。その瞬間、これが無という境地というのか、とにかく何も考えない時間が一瞬訪れる。

 絵を描いてみたいと思った。もう絵を描くなんて何十年もしていないから、うまく描けるかわからないが、なんとなくそう思い、小さなスケッチブックと濃いめの鉛筆を一本買った。どんな絵が描けるだろうか。

 ハローワークへ失業給付の手続きに行った。必要な書類は事前に準備してあったので、手続きは淡々と進む。最後に求職の手続きをするためのOCRの書類を提出する。そこで担当者は私が書いた次に希望する職種のことに触れる。そこにはこれまで私がしてきた“書店員”、“一般事務”という職種を書いておいたが、どちらも厳しいことを言う。そんなことはわかっている。
 正直なところ次にどんな仕事をしたいか、自分でも思い当たらない。ただ書かなければならなかったから書いたまでだ。
 別に職種にこだわるつもりはない。自分の気持ちと身体と、時間と折り合いがつくものであればそれでいい。給与もそれに伴うものであれば十分だ。
 聞きかじりで雇用保険が定義する失業とは「被保険者が離職し、労働の意思及び能力を有するにもかかわらず、職業に就くことができない状態にあることをいう」と知っている。定義には背くが、しばらくは労働の意志はない。私は自分を浄化する時間が必要だと思っているからだ。
by office_kmoto | 2014-01-28 06:09 | Comments(0)

言葉拾い、残夢整理、あれこれ


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