活版

 だれの本だった忘れたが、校正刷りのことを“ゲラ刷り”というが、この“ゲラ”というのは、もともと「活字組版を入れる長方形の盆」のことをいうらしい、と書いてあった。
 それで思いだしたことがある。
 私が大学時代最初に本屋でアルバイトをしたとき、自転車で本の配達をやっていた。新橋という場所柄、会社に本を配達することが多かったが、ついでにそこで働いている人たちが注文した本や雑誌を届けることもある。
 そんな中、業界新聞の印刷をしているおじいさんのところへ月二度ぐらい定期購読の雑誌を届けに行った。
 そこは活版が壁一面に並べられ、いくつもの輪転機が回っていて、大きな声を出さないと聞こえないところであった。部屋にあるものすべてがインクで汚れ、それが部屋全体を暗い感じにさせていた。
 そのおじいさんは指先を切り落とした軍手をはめて原稿を見ながら活字を組んでいた。軍手はインクで汚れていた。
 私が持ってきた文芸誌をうれしそうに見て、お金を払うためにその汚れた軍手を外し、財布を取り出した。今度は逆に指先だけがインクで汚れているのが印象的であった。
 時には仕事の切りのいいところまで待たされることもあったが、私はそのおじいさんが組んでいる活字の版を眺めるのが好きで、待たされることが苦でなかった。それにおじいさんは私に気をつかって、それほど待たせなかったと思う。

 社会人になって、大手町で役人相手の小さな本屋で働いたが、その店でははがきや名刺の印刷も請け負っていた。役人は転勤や異動が多いらしく、律儀にその知らせをはがきで知らせる。名刺も部署などが変われば、刷り替える。年賀状や喪中のはがきもその時期になると、注文が来た。まだパソコンで簡単に印刷できる時代でない話である。
 その注文を受けて、原稿を印刷屋さんに持って行く。その印刷屋さんは当時、知り合いとなった、神田村界隈でいつもうろうろしていた印刷屋さんから紹介してもらった。
 そこは10畳ほどの小さな印刷屋さんで、路面に面し、扉はいつも開けっぱなしであった。はがきや名刺など小さな印刷物を請け負っていた。輪転機が二台置かれているので、中は狭い。その周りには固定された版組がいくつも並べてあった。
 私はここにいるのが好きで、インクの匂いを嗅ぎ、鉛の活字をいつもしばらく眺めて、店主と話し込んでいた。鉛でできた活字が欲しいなと思ったことがあったが、もらいそこねてしまった。
 暇なときは、よく文庫本を読んでいる人であった。本は印刷屋さんが神田村の問屋街にあるので、事欠かない。知り合いが多くいるので、安く本を買えると言っていた。棚の一つには文庫本がたくさん積まれていた。
 その後この小さな印刷屋さんは神保町の再開発で立ち退き、靖国通りを渡ってすぐ奥にあるマンションの一室に引っ越していったけれど、マンションの新しさとインクで汚れた機械などが釣り合いが取れない感じであった。やはりあの狭い路地に面した場所がふさわしいな、と思ったものである。
 そのうち私は異動になり大手町の店を去った。

 今は活字を一文字ずつ拾って版を作ることなどほとんどやっていないだろう。みんなコンピューターの画面上でやるのではないか。名刺やはがきなどは印刷屋さんに回さなくても自分でできる時代である。新橋の業界新聞の印刷所にいたおじいさんや神保町の小さな印刷屋さんの主人のインクで汚れた手をもうを見ることはできないかもしれない。インクで汚れた机の上にあった手許を照らす電球の光が懐かしい。

 ちょっと古い本を買ったとき、ページの文字が多少浮き上がっていることを感じることできる本がある。あるいは文字が一部かすれていたりしたする。明らかに活版で印刷されたもので、そんな本を手にしたときは思わずページを指でなぞってみたりする。これでインクの匂いでもすれば文句がないのだが、如何せん古本にはそれは望めない。ただ文字の肌ざわりを感じたとき、昔活版印刷の現場をちょっと見ていたからか、うれしくなってしまったものだ。今はそんなページにのっている文字を感じることはほとんどない。本のページをめくるとき、ページの文字に触れてしまったときのちょとした違和感を思い出す。
by office_kmoto | 2014-05-10 06:18 | Comments(0)

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