アンカーボルト

 日記を見ると、去年の4月、5月はほとんど本を読んでいない。勤めていた会社が経営する店の身売りで、買ってくれる会社に自分の会社の経営状況などの資料作りの忙殺されていたのが4月で、5月はそれが失敗し、閉店を余儀なくされ、翻弄されていた時期だ。去年の手帳を取り出してみると、そこには書き切れないほど予定が書かれ、関係者の連絡先も余白に書かれている。処理し終わったものはマーカーで消し込んでいるので、ページがピンク一色になっている。

 あれから1年たったんだ。

 と思った。店の身売り用資料は、経営状況だけでなく、従業員の履歴、勤務状況、職歴、給与も含まれ、そこには私も含まれた。つまり私も“売られる”わけで、その“売られる”人間が“売られる”ための資料を作っているというおかしなことをやっていたのである。
 買う側の会社がある溜池山王へ何度も足を運び、求められた資料を持って行った。
 顔合わせみたいな感じで初めて経営者と溜池山王のビルに二人で行ったとき、相手は百戦錬磨のスタッフで望んでいる。だからおべんちゃらがうまい。うちの店のことや経営者を持ち上げる。
 もともと個人商店に毛が生えた程度の会社の経営者であるからプレゼンなど出来る人ではない。経営能力の乏しい、お坊ちゃまで、いつもちやほやされることに無上の喜びを感じる人だったから、持ち上げられたことで気分がよくなって、うまいこと話を持って行かれてしまう。きっと浮かれていることを見抜かれていたに違いない。勝負はこの時点で決まっていたのかもしれない。
 話は予定より時間がかかりはじめ、私はこれはダメだな、と思っていた。経営者は焦り始め、相手の会社の担当者と、話が潰れれば、店をたたむしかない、と言い出す。店をたたんでしまえばお店を買うことができなくなる、と脅しているつもりだったのだろうが、相手からすればちっとも痛くない。もともと話を持ちかけてきたのはそちらでしょう、と言いそうであった。むしろ焦ってくれれば、安く叩くことができると踏んでいたかもしれない。脅かしが脅かしにならず、逆に足下を見られる結果を生んでしまうことさえわからない無能な経営者であった。
 店はこの経営者が言うとおり、潰れた。同時に店のスタッフはその犠牲となった。私は後始末のため、後になっただけのことである。この人の経営能力なさの犠牲になるのはいつも従業員であった。
 この店が潰れるとともに会社の経営は一気に悪くなる。
 辞めさせられたスタッフのために残っている有給休暇を消化した後に退職することにしたのだが、一度それを認めた経営者は、他のところで専門家に聞いてきた話を持ち出し、有給休暇を与える必要はない、と言い出す。その根拠はお店がなくなってしまったのだから、それを履行しなければならない義務を負うところがなくなったからだ、というのだ。私は店はなくなったけれど、会社は残っているから、その義務を負うし、すでに有給休暇消化後を退職日をとする勧奨退職通知書に印鑑を押している。だからそんなことは絶対に許されない、と主張する。私は会社の専門家に相談した。その人も経営者の言動に怒り、プロとして許せないから、浅知恵を吹き込んだ奴を訴える、と言われた経営者は慌てて、そいつはただの総務の人間で、専門家でも何でもないことを白状した。経営者は自分の都合のいい部分をつまみ食いして、スタッフの有給休暇の分の給与を払わなくてもいいんだ、と考えたことがわかった。
 それで話が終わったものと思っていたら、今度は勧奨退職通知書に印鑑を押したのは、私であって、自分は知らなかったと言い出したのである。開いた口が塞がらなかった。確かに私は会社の印鑑を預かっている。けれど経営者の決済なしに印鑑を押す権利を持っていないことぐらい、自分の立場をわかっている。このときもきちんと決済をもらった上で印鑑を押している。
 私は強く経営者にこの言動の撤回を求め、そうしなければお店の原状復帰の工事には関わらない、と言った。これは計算ずくで言った。私がその工事の段取り、立ち会いをしなければ何も出来なくなることをわかって言っていたのだ。だから経営者は言葉がでなくなり、最後は原状復帰の工事に関わるのは「業務命令だ!」と脅かした。もちろんそんな脅かしなど怖くもない。私は再度撤回を求め、それがなければ何もしない、と言い張った。
 しかし工事のための業者の手配を私の名前ですでにやっている。だからここで私が手を引いてしまえば、その人たちに迷惑がかかる。いずれの業者も顔見知りだから、そんなことは出来なくなっていた。
 結局撤退工事までは仕方がないので関わることにし、後のことはその後に決めようと思っていた。このときから私はこの人にはもうついて行けない、「おしまいだな」と思い始めていた。
 このお店の撤退に関わる損失はさらに会社の経営を悪化させ、私は残務整理を完全に終えてから、ここを去ろうと決めた。
 結局会社を身売りすることとなる。しかし魅力の乏しい会社であるため、買い手がなかなかつかない。幹部の従業員に会社を買ってもらおうと経営者は話を持って行ったが、その人も会社の価値がほとんどないことを見抜いていた。二束三文の数字を出し、それらなら引き継ぐと言ったらしい。
 金に汚い経営者は自分が投資した金をなんと回収したくて仕方がなかったようで、折り合いがつかなかったと聞く。時に私の処遇を持ち出し、このままだと歳をくった私を放り出すしかなくなってしまい、それは忍びないから、何とか引き受けてくれないかと、同情を誘って、自分のペースで話を進めようとしていたという。ここでも私はだしにされてしまった。
 結局昔経営者が昔雇っていた従業員で、今は自分で会社を経営している人に買ってもらった。私は引き継ぎをし、事務整理をして、年末に会社を去った。
 最後は挨拶もしなかった。相手も一言もねぎらいの言葉を発しなかった。
 後で聞くところによると、経営者はその人に泣きついて会社を買ってもらったらしい。しかももらうものはしっかり念書まで書かされ、請求されたという。私の退職金は会社を買ってくれた人が払ってくれた。
 これも後で聞いたことだが、私の退職金は払いすぎだ、と経営者は口を挟んだそうである。自分が払ったわけでもないのに、まだ経営者づらしていたらしい。馬鹿らしくて何も言う気になれなかった。
 経営者は新しい会社の会長になっているらしく、まだちやほやされて浮かれているらしい。
 経営者は社史を書くと言っていた。どこの世界に経営者自ら自分の会社の社史を書くやつがいるのだ、と思う。しかも自らの経営能力なさでつぶしてしまった会社の歴史など書いたら、馬鹿にされることがわからないらしい。それとも社史と言っても、自分の功績を自慢げに書くのかもしれない。あの人ならやりそうである。その功績がどれほどのものか知らないが、自分の会社のことを顧みずに、好き勝手にやれたのは、辞めさせられた従業員が会社のために頑張ってきたから出来たことであることを、この人は死ぬまでこのことをわからないだろう。
 あの人は経営能力もないが、社史をまとめる能力も多分ない。だから社史はまぼろしで終わるのではないかと思っている。そんなものないほうがいい。

 私の手許に1本のアンカーボルトがある。お店の看板を支えていたボルトの1本である。工事は最終段階に入っていて、外の看板を取り外す工事に立ち会っていた。クレーン車を使って看板を取り外すことになるのだが、店は駅前にあるため、昼間は警察の許可が下りず、夜の10時過ぎから大型クレーン車2台で看板撤去の工事が始まった。目立ちがり屋の経営者を象徴するように看板がたくさん付けられていたが、ひとつひとつ看板が取り外され、ビルは丸裸のようになった。
 その工事に立ち会っていた私の靴に当たったものがある。当たった瞬間転がり、暗がりでよくわからなかったが、その先を目をこらして見てみると、さっきまで看板を支えていたアンカーボルトであった。ボルトの先はきれいに切断されていた。私はそれを手に取り、ポケットにしまった。
 それを所有してどうなるものではないが、ふとこの店の責任者であった彼に見せてやろうと思った。彼は経営者にこの店をダメにした人間として濡れ衣を着せられて辞めていった。もちろん彼の責任ではない。長いことこの店で頑張ってきた人間だから、店をたたむことになって、苦しんだろう、と思う。撤退にあたり最後まで店をきれいにしていった。
 彼とは一度撤退後会ったことがある。その時このアンカーボルトを見せてあげれば良かったのだが忘れてしまった。その後メールで、私が会社を辞めることを知らせ、返事に「また飲みましょう」と書いてあったが、その後音沙汰がない。メールには何だか複雑な事情がかれていたし、多分仕事も忙しいのだろうと思って、私も連絡を取っていない。
 仕事を辞めてから何度かメールをしようと思ったが、出来ずにいる。だからいつまで経ってもアンカーボルトは私の手許に残ったままである。
 きれいに切断された断面を指でなぞってみる。多少指先に引っかかる部分があるが、それがこのアンカーボルトも支えていたもの、看板だけでなく、人も、ものも、そして店全体を強引に引きはがされた証拠みたいに思える。
by office_kmoto | 2014-05-12 06:39 | Comments(0)

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