伊集院 静 著 『愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない』

d0331556_6252821.jpg ハローワークで求人の閲覧をし、これはと思う会社について相談したら、担当官に「この会社はあなたの経歴からするともったいないと思いますよ」と言われる。自分の経歴がそれほどのものとは思っていないが、こんなことを言われたのは初めてだった。
 今までの自分の経歴を振りかざしていては仕事など見つからないことぐらい、自分の年齢を考えれば充分分かっていた。そんなもんなきに等しいと思ってやっていかなければならないとは思っていた。だからこんなことを言われてしまうと不意を突かれた感じになってしまう。

 “クソ!いい加減なこと言いやがって”

 人がそれまでの経歴や経験を否定して、それでも仕事を探そうとしているのに、何を今さら、と思うのだ。
 私はちょうど伊集院静さんの小説を読み終わって後で、ちょっと精神的にこたえていたので、その言葉でこの会社での仕事をする気になれなくなってしまった。
 生きようとするれば、まともにやっていけない男たちの物語だった。でも自分の気持ちに正直な男たちで、ただ生きるのが下手な哀しい男たちの話であった。

 ユウジは『いねむり先生』のサブローなのだろう。二人とも伊集院静さんの若い頃なのだ。『いねむり先生』は色川武大さんとの出会いを自分の原点として書かれた本であるが、今回はその色川さんとは別に自分の周りにいた去って行った人たちの話である。ただその人たちはどうしようもない男たちで、それでいて訳もなくく愛おしい男たちの話である。読んでいて、その男たちの生きざまに溜息をつき、涙さえ出て来てしまう。


 まっとうに生きようとすればするほど、社会の枠から外される人々がいる。なぜかわからないが、私は幼い頃からそういう人たちにおそれを抱きながらも目を離すことができなかった。その人たちに執着する自分に気付いた時、私は彼等が好きなのだとわかった。いや好きという表現では足らない。いとおしい、とずっとこころの底で思っているのだ。
 社会から疎外された時彼等が一瞬見せる、社会が世間が何なのだと全世界を一人で受けて立つような強靱さと、その後にやってくる沈黙に似た哀切に、私はまっとうな人間の姿を見てしまう。


 私はその時、妙な安堵を覚えた。その感情をどう説明していいのかわからないが、相手の気持ちなどおかまいなしに誰彼となく突っかかり、時には手まで出してしまう木暮を見ていて、昔の自分を見ているようで切なくなることがあった。殴られて涙さえ浮かべている相手をなおグズのごとく罵倒することもあったが、本当のグズが誰なのか当人が一番わかっているのだ。
 愚者なのである。それもどうしようもない愚者なのだ。私はその愚者をいとおしく思う。見ていて羨ましく思うこともある。だからほんのつかの間えも、木暮が垣間見せたおだやかな表情と時間が嬉しかったのかもしれない。


 ここで描かれる「まっとうに生きようとすればするほど、社会の枠から外される人々」とは、エイジと、木暮聰一、三村慎吉である。エイジはNスポーツ紙のギャンブル面を担当する記者で、木暮聰一はフリーの編集者、三村慎吉は芸能プロダクションの社長であった。ユウジはこの三人との濃密な時間を過ごしながら、妻を失い、酒を浴びるように飲み、ギャンブルに明け暮れる日々から再生していく。
 ユウジは三人の世界で一緒に過ごし、彼らの生きざまから再生していく。しかし彼らは彼らの生活のままある。ユウジが再生していけばいくほど彼らは離れていく。エイジはユウジの前から姿を消した。


 人間らしく生きようと、つまらぬ安堵を求めたために、こうしてエイジの行方を見失ってしまったのではないか。


 ユウジは新聞社を辞めたエイジを探し求めたが、エイジは見つからず死んでいく。


 「実は・・・・、エイジさん、亡くなってました」
 -えっ?
 私は古閑の言ったことの意味がすぐ理解できなかった。
 「亡くなっていました、とはどういうことだ」
 「アパートで亡くなっているところを大家が見つけたらしいんですわ」
 「大家が?」
 「はい。もう亡くなってかなり日が経ってたらしいですわ」
 「そ、そうなるまでおまえたちはエイジを放っておいたのか」
 私は怒鳴り声に、お手伝いの女が血相を変えて仕事場に入って来た。
 「俺、俺は許さんぞ」
 「す、すみません」
 私は電話を切って、葉色の変わりはじめた窓の外の木々を見ていた。

 私は、エイジが自死をする人間ではないとどこかで信じていた。そんなヤワな男ではなかったはずだ。


 その後福島にあるエイジが好みの夫婦二人でやっている飯屋をエイジの姿を求めてユウジは訪ねる。


 「いや、エイジの最後の様子を知りたくてね」

 「他人に望まれると無理をしてでもそれをしてやる性格があかんかったんですわ。結局エイジは寂しがり屋やったんやと思いますわ」

 「いや、ひとつだけ聞いてもらいたい話があるんです」

 「ほんまはエイジはん、あんたに逢いとうて逢いとうてしょうがなかったんですわ」

 「もういい。会計をしてくれ」

 「ちょっと待って下さい。あんたが偉うならはったことを、エイジはんは誰よりも喜んでましたんや。けど、あんたが偉うならはればならはるほど、エイジはんはあんたに合わす顔がないんやと言うてましたんや」

 「あんただけには生き恥を晒しとうないとエイジはんは言うてましたんや」


 三村慎吉も自分の癌を隠していた。三村の死を知ったとき、ユウジは昔の三村を思い出す。


 -いつだって明るかったもんな、あいつは・・・・・。
 三村の明るい性格のお陰でずいぶん助けられたことがあった。
 誰より助けられたのは妻であった。
 病室に入ってくるなり、いきなり有名ロック歌手のモノマネをはじめて、免疫力が落ちて埃を立てるのさえ注意していた場所でところかまわず動き回り、彼女の頬にキスをしそうなほど顔を近づけ唇を突き出した。騒ぎすぎかなと思った私も、妻の涙を流しながら笑っている顔を見て、ああこんなにも彼女の笑顔はまぶしいかったのだと、そのままにしておいた。
 頬を寄せ合って笑っている二人の顔が川面にきらきらと浮かんでいた。
 「あの何分しかなかったんだな」
 私はつぶやいた。
 二百九間の闘病生活で彼女が心底笑ったのは、あのほんのわずかの時間だけだったのだあらためて思った。
 -あいつ、何もかも知っていたんだ。だから病室に入ってくるなり、あんな馬鹿をやりはじめたんだ・・・・・。

 -救われたのは彼女だけじゃない。むしろ私の方なのかもしれない。


 三村の葬儀の時、ユウジは三村の元妻リツコに非難される。


 「慎吉さんは一から十までこの人の真似をして生きてきたのよ。飲めもしない酒をあびるように飲んで、できもしない喧嘩をして、色男気取りに生きようとしたから、あんなふうになっちまったのよ。私がいくら言っても聞きゃしなかったんだ。やめなって、あんなどうしようもない男の真似なんかすんのはって・・・・・」

 ユウジは何も言わずその席を後にした。


 「連れが亡くなった後、東京去る前に、三村とはきちんと逢って礼を言うべきだった」


 三村のプロダクションにいたカナは言った。


 「三村さんは病気で亡くなったんじゃありません。あなたに誉められたくて、あなたと昔のように過ごしたくて、それがかなわないとわかって生きる気力を失くしたんです」


 木暮聰一が仕事をしてくれたユウジの作品が文学賞を取り、作家への道を歩み始めた。木暮はかつて「私はあなたの小説が読みたいんです。それだけなんです」とユウジに小説を書くことを促し続けていた。しかし木暮にあらぬ噂が立ちはじめる。


 男が男とつき合うのに、その男の評判などどうでもいいことだった。第一、生きているうちにそう何人も、まともな、つき合い甲斐のある相手とめぐり逢うはずがない。


 そう思いながらもユウジはそれを確かめようとするが、木暮は言葉をはぐらかした。そして木暮も癌であり、海に身を投げて死んだことを知る。


 私は特にエイジの身の処し方が、もの悲して仕方がない。エイジは自らの性格からして、ユウジが再生していくことを喜びながらも、そうなれば自分と一緒にいられないことを自覚していたのではないか。エイジがユウジを避けるようになったのは、ユウジのためであると同時に、自分たちがいる世界がどうしようもない世界であることをユウジに改めて知られたくなかったのではないか、と思ったりする。
 あるいはユウジが再生していったように、自分たちもなんとか再生していこう、ユウジに恥ずかしくないように、と思ったのかもしれない。エイジが「生き恥を晒したくない」と言うのも、カナが言った三村の「あなたに誉められたくて」というのがそれを物語る。木暮にしても自分がしたことをユウジには知られたくなかったに違いない。
 一緒にいる頃は同じであっても、そのうち一人が抜け出してしまうと、他の人間は自分と比較してしまう。その時“自分は・・・・”と思っても当然だ。
 いや、もともとユウジはエイジたちの世界の人間ではなかったのだ。

 エイジや三村、あるいは木暮らが言った言葉が、後にユウジが彼らを思うとき反芻されて思い出される時、哀しくなってやりきれなくなってしまった。それが二重括弧で言い表される時、彼らがもういないのである。


 『他人に笑われてなんぼのもんと違うんかい』(エイジ)

 『くたばるまでやったろうやないかい』(エイジ)

 『私はあなたの小説が読みたいんです。それだけなんです』(木暮)

 『おまえさん、博奕はどんだけ打っても所詮博奕でしかないことを覚えとかにゃ、最後はしんどいもんになるぞ』(関西で一、二と評判の高い車券師、七尾壱郎)

 『よう覚えておけ。いくら強い言うても博奕打ちは所詮世の中の二流や。手前が勝てばそれでええんや。そこいらの八百屋かて豆腐屋かて、ええもんこさえてたら他人様に喜んでもらえるやろう。博打打ちは当人が勝ちさえすればそれでええんや。仲間も師弟もあらへん。自分だけが可愛いんや』(七尾壱郎)

 『人間が一番厄介や。何をするかわからんからな』(七尾壱郎)

 『おまえはパチモンや。わしにはわかるんや』(エイジ)


伊集院 静 著 『愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない』 集英社(2014/04発売)
by office_kmoto | 2014-10-17 06:34 | 本を思う | Comments(0)

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