永井 龍男 著 『カレンダーの余白』

 この本は49年前の本である。当時の定価が580円となっている。この当時の本は装幀がしっかりしている。
 ここのところ永井龍男さんのいわゆる「雑文集」を集めているのだが、いずれも箱入りのしっかりしたもので、こうして並べてみると見栄えがする。

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 今の本は装幀がつまらない。棚に並んだ本を見ていても、最近の本は貧相である。原価計算上仕方がないのかもしれないが、ちょっとつまらない。かといって高い本を買わされるのも困ることは困るのだが。

永井 龍男 著 『カレンダーの余白』 _d0331556_17334771.jpg さて、この本のことである。内容はだいたい昭和30年代に書かれた随筆である。内容にはまだ戦後感が残っていて、表現も今ではあまり使わなくなった言葉が使われていたりして、戸惑う部分があるけれど、話そのものは色あせていない。むしろ永井さんの苛立った感じが、くすりと笑ってしまうところもあって、なかなか面白かった。
 話はおもに新聞の記事から、身辺雑記となっている。いくつも気になる文言があるのだが、面白かったのは「天気予報」と「甘すぎる」に続く「ベーコン再び」で、「雑木林他」はその話自体“うまいなあ”と感心してしまったのである。
 まずは「天気予報」という題された文章。


 ちょうど夕食の時間に当たるせいもあるが、私はNHKテレビの天気予報が好きで、家にいる時はたいてい見落とさない。


 というのではじまる。そして、


 天気予報が好きだというには、少しおかしな云い方で、正確には天気予報を担当するこれらの人がを、気楽に眺めているのが、いつの間にか私の楽しみになってきたのだ。明日の天気が気になって、スイッチをひねることもないではないが、毎日のように画面に出てきながら、テレビの空気に染まらない素顔の人間、そういう処が私を惹くのであろう。その上、天気予報は一切無色だから、素直に聞いてられることもある。


 これ、今まで私が感じていたことなのだ。実を言うと私も天気予報を見るのが好きなのである。もともとは仕事柄天気が気になって、テレビの天気予報を注意深く見ていたことにはじまる。
 本屋にいた頃、売上が天気に左右されるからである。いくら売れ筋の雑誌の発売日であっても、その日に雨が降ってしまうと、客足が伸びない。だから天気が気になった。天候によって、忙しさが違ってくるからである。そして私は外商もやっていた。雨の中の本の配達は大変なので、その覚悟をするために天気予報を見ていた。つまり天気によって仕事の仕方が変わってくるから、天気予報はどうしても気にならざるを得ないのである。
 本屋を辞めても天気予報はいつも見ていたし、仕事を辞めた今でも天気予報は朝、昼、晩、と見ているので、その習性が未だに抜けずにいる。
 でこれほど天気予報を見ていると、各チャンネルごとに、今は担当の気象予報士がいる。例えば、NHKなら平井さん、佐藤さん、斎田さんと好みの気象予報士がいるし、日テレなら木原さん、TBSなら森田さんや森さん、テレ朝なら依田さん、と“お気に入り”の気象予報士が私にはある。
 この中で最古参といえば、たぶん森田さんだろうと思われるが、私はこの人が好きなのである。好きと言っても解説ではない。相手の女子アナとかみ合わない森田さんの話しぶりが何とも言えないのである。森田さんが自分勝手に話を進め、相手のアナウンサーが困ってしまったり、何とか話を合わせようとするとき、ちょっと間が開いちゃったりする。そんなやりとりが好きなのである。まさしく「テレビの空気に染まらない素顔の人間」を地で行っている。時にはちょっとハラハラしてテレビを見ている。
 それに最近の天気予報は単に天気のことでなく、二十四節季の話など、その季節の風景や風物詩なども教えてくれるので、季節を感じることが難しくなった都会生活者にとって天気予報が季節を感じさせてくれ、ついつい見てしまうのである。

 「あますぎる」では新聞の家庭欄にあった風変わりの記事から書かれている。その記事の内容は、新婚早々自殺した妻の話で、自殺の原因が、夫から「ベーコンの料理」が食べたいと言われ、新妻がベーコンを知らなかったことで料理ができずに自殺してしまったということらしい。新妻は北海道の辺地の農家出身という。
 私は北海道の辺地の農家出身ならベーコンぐらい知っているのではないか、と突っ込みたくなってしまうのだが、まあいい。とにかく妻はベーコンを知らないので、それを使った都会料理ができない。そのため夫の希望に沿えないのを悲観して自殺してしまった、ということらしい。
 で、その記事に解説があって永井さんはその解説のあり方が紋切り型の解説しかできないことを怒っているのである。解説には次のようにあったそうだ。


 「食事が婚姻生活にとって、この上なく重大なそして最も現実的な問題の一つであることを、結婚するまで彼女はほとんど考えたことがなかった。まわりの人たちも教えなかった。不幸はまず第一にそこからやってきた」

 「そこで、この不幸に追い込んだものは、彼女の大都会についての無知、あるいは思いつちがいということになる。おおぜい人がウジャウジャいるのに、親身になって話し合える人はひとりもいない孤独」


 と解説者は「悲しい」、「いじらしい」と語っていたという。
 こういう輩、今でもたくさんいる。永井さんはこの解説者の言い分を呆れた形で批判している。
 そうしたら不審感をあらわにする読者(これは雑誌「家庭画報」に載った話)が多くいて、仕方なしに「ベーコンふたたび」と、再度この件で永井さんは自分の立場を表明する。妻はベーコンについて、なぜ夫に質問できなかったか?ということである。「ベーコンに就いて、自分の夫に質問出来ないような結婚そのものが、この若妻を殺したのである」と。


 死者に対しては申訳ないが、私はそう解釈する他ありません。
 だいたいこの頃の世の中は、なにかあるごとに政府が悪かったり社会施設が悪かったり、大都会が悪かったり環境が悪かったり、なにもかも周囲のせいにしたがる傾向が強うようです。 
 政府の悪い処も、大都会の悪い処も、もちろんあります。しかし、そのように周囲のせいにしてばかりいてよいものでしょうか。
 この「ベーコン自殺事件」に、政府や社会施設との関連はありませんが、周りのせいにしたがる解説者の甘い考え方は、軌を一にしていると思います。「君たちのせいじゃあない。みんな世の中が悪いんだ」
 と、ご機嫌を取る批評家や評論家が、少し多過ぎると思いませんか?


  まさしくその通りで、この文章は昭和36年に書かれたものだが、今でもテレビのコメンテーターなる輩は同じ内容の話をするので、50年以上経った今でもなんら変わってはいないと思ったりした。
 私はテレビをちょっと見すぎているかもしれない。この本には「切るたのしみ」という随筆もあり、テレビのスイッチを切る楽しみ書かれているが、こんな時、まさしく同じ気分になる。


 あまり愚劣な時は、
 「馬鹿が・・・・・・」
 と舌打ちしながら切る。馬鹿は当方だが、気分はさっぱりする。


 身辺即時という章の「杉林そのほか」という文章はなかなかいい。
 永井さんには二人の娘さんがいるようで、その二人の娘さんが一人嫁ぎ、二人嫁ぎ、永井さん夫婦だけになってしまった時の一風景が、その様子がうまく書かれている。


 この頃、家の中にいる筈の妻を、探して歩くことが再三重なる。
 別に広い家ではない。ちっぽけな一軒家だが、二階の仕事部屋を降りて、茶の間に妻の姿が見えぬと、急に夫婦二人だけになった生活の中で、私は途惑うのである。
 納戸や台所をのぞいて、すぐつかまえられればことはすむが、何々の切り抜きはどこにあるかとか、熱い番茶が欲しいとかの用件を口先に、三室か四室の階下をまわって歩かなければならない。
 探している自分が後ろから妻に呼びかけられるようなこともある。夕刊を取り、門口まで出たとか、洗濯物を取り込んでいたとか、たいていそんなことなのだ。
 隠れんぼをしているようなものだが、家中探して会えない時は、締め切った女中部屋に声をかけるのもなんとなく気詰まりで、廊下のガラス越しにぼんやり庭を眺め、もとの二階へ戻るより他はない。


 子供たちが家にいなくなると、ふとしたことで妻の姿が目にする。
 長女が結婚し、奥様は心ここにあらず、ぼんやりと過ごしているのを見た永井さんは長女のところに行きたいんだな、と言ってみる。


 すると妻は、とたんに涙をこぼした。とても大粒の涙を、こしらえた物のように続けて落とし、それから、
 「・・・・・へへ」
 と辛うじて笑い声に出した。
 それがきっかけで、鎌倉から一時間足らずの東京にも、めったに一人で出かけぬ妻が、大阪まで一人旅をすることになった。下の娘を支度の助手にして、にわかに修学旅行をするような賑やかさになった。
 永井さんの友人が亡くなり、永井さんが弔辞を読むことになり、葬式には奥様が代わりに出席することになった。


 出がけの挨拶を、縁先きから妻は云ったようにも思うし、聞かなかったような気もして、私は門の見える処まで歩を運んだ。
 ちょうど繰り戸をあけて、家を出て行く処だった。
 門を出てから、少し坂を上り、自動車の待っている表通りまで歩かなければならない。その後ろ姿を、私は何の気もなく見送っていた。すると妻は、坂を登り切った処から、急に小走り駆け出した。
 表通りに、車が待っているのが分かったからに違いないのだが、それが私には無性に可笑しかった。
 妻と私が一しょに外出する場合、妻の身支度や出かける先に立っての用事なぞで、必ず苛立つのが多年の例である。私が気短かなのは分かっているが、妻の気の長いのも事実である。私が急ぎ立てなければ、なにごとも間に合いはしない。たいていの場合私が車に先に乗りして、行ってしまうぞという形を見せるのである。
 しかしいまは、ひとりで逗子まで行くのである。車は待っていても、あわてる必要はさらにないのに、あのように小走りに駆けている。
 長年の慣いが、このような姿に自然に出るものかと思って、私はひとりで笑いをもらしたのだが、その後ろ姿が視野から去ると、私の笑いはある寂しさに変っていた。それは、妻をねぎらいたい気持ちのようでもあり、おのれの性質を恥じる気持ちのようでもあり、またある訣別に通じるような枯れた孤独感でもあった。


 このように妻が普段見せない姿を目にしたとき、驚きを感じるのと同時に滑稽さを感じてしまうのかもしれない。そしてその妻の行動は自分との長い生活中で生まれたものであると思うと、永井さんではないがその思いがよくわかる。
 たぶん私も意識しないところで自分の考え方など妻に強要してしまっていることがあるのではないか。それが妻を変えたかもしれないと思うと、の滑稽さは自分を見ているように思えるし、同時に寂しさにもつながる。その間長い年月が流れてもいる。だからその瞬間妻を労いたくもなる。この文章はそういった意味で心に浸みる。


永井 龍男 著 『カレンダーの余白』 講談社(1965年/11発売)
by office_kmoto | 2014-11-12 11:03 | Comments(0)

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