佐伯 一麦 著 『渡良瀬』

佐伯 一麦 著 『渡良瀬』_d0331556_5442192.jpg 茨城県西部の渡良瀬遊水池の近くにある配電盤製造の工業団地に南条拓は家族5人で引っ越してくる。それはちょうど昭和が終わろうとする頃であった。長女の優子が「緘黙症」になり、本人は喋ろうとするのだが、金縛りあったみたになり、硬くなって喋れなくなり、涙を流してまう症状になってしまう。その原因が父親である拓の暴言にあった。
 長男祐一が川崎病にかかり入院し、母親の幸子がずっと祐一に付き添っていたため、拓は優子と次女の夏子と一緒に暮らしていた。
 公園の帰り道、娘たちにガムをせがまれた拓はそれを娘たちに買い与えた。道々娘たちはガムを噛みながら歩いた。しかし次女の夏子がガムを口から落としてしまい泣きはじめた。拓は夏子を宥めていたが、その横で優子が夏子に見せつけるようにガムをくちゃくちゃ噛んでいた。
 拓はそんな優子を見て「お前もガムを捨てなさい。捨てろといったら捨てろ」と怒鳴りつけた。
 優子は子供ながら憎悪のこもった眼で、父を見て、口にあったガムを取り出し、地面に投げつけた。そして大声で泣き、身もだえしながら叫んだ。拓はあの時の優子の昏い眼差し眼も、獣が吠えるような泣き声も忘れられなかった。
 以来優子は人と喋れなくなった。小学校に入ってからもその症状が続き、学校の担任からカウンセリングを受けてみてはとカウンセラーを紹介される。そのカウンセラーから優子が「緘黙症」だと教えられる。
 この症状は本人が自ら心を開くのを忍耐強く待つしかなく、転校で治った子もいると聞き、この地に家族で引っ越してきた。


 拓は、結婚してから、ずっとこんなこと繰り返してきた、と思った。何かがうまくいかなくなるたびに、幸子に懇願され、目先を変えるように引っ越してばかりきた。


 もともと拓と幸子はうまく行かなくなっていた。お互いことをあまり知らずに結婚してから、夫婦それぞれの考え方の違いや好みの違いがどんどん瞭かになって隔たっていくばかりだった。


 「わたしたちはもう、子供がいないと相手を見付けられないのかもしれない」


 とにかくこの渡良瀬遊水池の近くの配電盤製造の工場で、それまでの電気工のキャリアを捨てて、一工員としてこの働き始める。拓はこの下請けの工場で汗を流し配電の仕事をし、その仕事に打ち込むことで、充実感を得、家族との絆の回復を目指す。幸子がいい顔をしなくても、優子や祐一の病気のためになる講演会に出かけてみたりする。
 工場の仲間や関係者との交友にも恵まれ、かたくな幸子もそうした拓のつきあいから少しずつ変化が出てくる。優子も新しい学校でぎこちないながらも回復を見せ、この地に来たことが良かったように思えていく。

 昭和から平成の時代に入っていくのに、天皇の死を経ることとなる暗い時代背景の中、下請けの配電の仕事を徹底的に描くこの小説は、そんな中でも生活がそれぞれあり、人が生きている姿がただ描かれる。それは波瀾万丈のものではなく、ここでは当たり前の、いつもの普段と何ら変わらないものである。もちろん人は普段見せない過去を背負っているのだが、ここではこうして生きている、と思わせる。
 生きているということは、生活の中の家族や周りにいる人たちとどんな形であれ、つながりの中で生まれてくるものであることを、しみじみ思わせる小説であった。

 例によって言葉を拾ってみる。


 「六十前で引退するなんて早いと思うかも知れんが、わしゃ正直もう疲れたよ」


 拓が一緒に仕事をしている職人肌の本所さんの言葉である。拓は本所さんの言葉が幾分わかるような気がするのである。


 高校を出て十八で働き始め、十年経つと気付いたとき、拓は言いようのない疲労感のようなものを覚えた。社会に出てから、そんな風に感じたのは初めてだった。


 仕事への疲労感というのは、今の私にはよくわかる。がむしゃらに働いているときはそんなことを考えている余裕もなければ、充実感で充たされていると思えれば、そんなことなど考えもしない。けれど年月は確実に流れ、手元に残っているものを眺めてみれば、それは少なく、残っているのは疲労感と、体力の低下を実感する老いだけである。
 今日たまたまハローワークへ行った帰り、同じように職を探しているだろうと思われる私と同年齢か多少上の男の人とエレベーターで一緒になる。別に面識があるわけではない。単にエレベータを降りるとき、先を譲っただけである。その人が礼を言うのと一緒に、私の顔を見て「疲れますなあ」と多少笑いながら私に語りかけてきた。
 私同様、この歳での職探しが、自分の年齢、経験などがまったく役に立たない現実を改めて突きつけられたような顔であった。
 私は「そうですね」と一礼してその男の人とは別の道を歩き出した。その人の顔は一瞥しただけだけど、確かに疲労感が広がっていた。きっと私も同じ顔をしていたのかもしれない。
 その時思ったのである。意識しなくても人生の疲労感は私の身体全体に広がっているのだろうと。いやそもそも老いとはそういう疲労感で一杯のことを言うのかな、と思った。その引きずっているものが重すぎる。


佐伯 一麦 著 『渡良瀬』 岩波書店(2013/12発売)
by office_kmoto | 2014-11-28 05:46 | Comments(0)

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