池波 正太郎 著 『よい匂いのする一夜』
2014年 12月 29日
「さあ、そろそろ東京へ帰ろうか・・・・」
居心地のよい旅館やホテルに泊まって、帰るときに池波さんがそれこそ、ふと漏らす言葉である。訪れた場所、旅館やホテルの良さに後髪引かれるのがよくわかる。
この本はかつて訪れた旅館やホテルを回想したり、再訪して、その良さを語る。
歓楽街化していない、それこそ心の底からくつろげるもてなしや料理の素晴らしさを語っていく。
同行した筒井ガンコ堂さんが解説で池波さんの旅のルールの第一条が「無理をしない」ということだと書いている。だから、
「無理をしない」旅だからこそ、時間的にもたっぷり余裕があり、その出発から帰着まで、ゆったりした気分で[旅]を満喫できるのである。
ここでは近頃の旅館やホテル、あるいはその料理、観光地化してしまっていることを嘆いている。そうしたことになってしまっているのは、旅館やホテルが客の質に迎合しているからで、つまり客が悪いのである。
魚の[生首]ごとに刺身を盛りつけたり、野菜・肉・魚など、めったやたらに鍋で煮込むなどという、料理ともいえぬ料理を、近年の一流旅館で、
「はずかしげもなく・・・・・」
客膳へ出すのは、そうしたものを好む客が増えたからだろうか。
つまり、このように悪質な[客]によって、さまざまな商売が、知らず知らず、
「荒れてゆく」
のである。
古いものは、打ち捨てられてしまえば二度とかえりみられない。建物のみか、人の心も同じであって、いまや日本だか外国だかわからぬような[日本]になりかけつつある。
倉敷の豪商の一人だった大原孫三郎が残した遺産を、その後継者が活用して、倉敷アイビースクェアというホテルにした。その良さに感動する池波さんは、大原孫三郎が残した文化遺産と思うと、昔の金持ちのあり方を思うのである。
それにしても、むかしの金持は、政治ができぬことを自力の遺すことができた。
いまは、悪事をはたらかぬかぎり金持にはなれないし、また、金持になったところで、その金の使い道をわきまえぬ時代となった。
文化が、おとろえるわけなのだ。
池波 正太郎 著 『よい匂いのする一夜』 講談社(1986/06発売) 講談社文庫