稲盛 和夫 著 『生き方―人間として一番大切なこと』

d0331556_5544787.jpg この本は一度読んでいる。その頃は読んだ後、どうも仏教色が色濃く出ていて、読んだ後もそれほど頭の中に内容が残らなかった。もともと稲盛さんの『実学』が面白かったので続いてこの本を読んだだけだったと思う。
 生き方などということは、ある程度年齢がいって、しかもそれなりの人生経験を踏んだ上じゃないと内容が頭の中に入ってこないのではないか、と思う。若い頃は書かれている内容に“なに、抹香臭いことを言うんだ”といった程度しか思えないところがあるのではないだろうか?
 もちろん当時も「生き方」を自分なりに考えていたのかもしれないが、やはり今とは違う。今はこれからの生き方を考える年数が当時から比べれば圧倒的に少なくなっている現状があるし、置かれている環境も違う。だからかここに書かれていることが割と素直に頭の中にしみ通ってきた。まず稲盛さんは次のように書く。


 私が現実に仕事や経営に携わるなかから学びとってきた、そのような真理や経験則、つまり、人間として守るべきシンプルな原理原則は、そのいずれもが、やさしい言葉で書かれた平凡なものですが、その平凡さ、単純さというものが、「普遍性」に通底していると私は考えています。


 すなわち、稲盛さんの言う「原理原則」とは、「人間として何が正しいのか」というきわめてシンプルなポイントに判断基準をおき、それに従って、正しいことを正しいままに貫いていこうとする考え方である。そしてその正しいこととは、嘘をつくな、正直であれ、欲張るな、人に迷惑をかけるな、人には親切にせよ等々、子供の頃から親や先生から教わった人間として守るべきルールである。
 シンプルなものの考え方は確か『実学』でも貫き通された考え方だったと記憶する。
 で、まずここでは“人格”を取り上げる。


 この人格というものは「性格+哲学」という式で表せると、私は考えています。人間が生まれながらにもっている性格と、その後の人生を歩む過程で学び身につけていく哲学の両方から、人格というものは成り立っている。


 したがって、どのような哲学に基づいて人生を歩んでいくかによって、その人の人格が決まってくる。


 このように、一つのことに打ち込んできた人、一生懸命に働きつづけてきた人というのは、その日々の精進を通じて、おのずと魂が磨かれていき、厚みのある人格を形成してゆくものです。


 という感じで、何も修行という特別なことをしなくても、仕事、日々の生活の中で一生懸命生きていくことが、仏教による“精進”と同じであるとしている。
 さらに物事を成就させる母体とは、「強烈な願望である」という。それこそ“ど”が付くほど思いつづけることの必要性を説く。それが思いを現実に変える第一歩とする。


 ですからできないことがあったとしても、それはいまの自分にできないだけであって、将来の自分になら可能であると未来進行形で考えることが大切です。


その上で次のように言う。


 「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」ことが物事を成就させ、思いを現実に変えるのに必要なのです。


 では人生や仕事の結果を何を持って、どのように見たら良いのであろう。ここで稲盛さんは一つの公式を持ってその因果関係を説明する。


 人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力


 ここで著者が言う能力とは才能や知能で、多分に先天的な資質を意味する。
 熱意とは、事をなそうとする情熱や努力する心のことで、これは自分の意思でコントロールできる後天的な要素である。考え方とは、わば心のあり方や生きる姿勢、哲学、理念や思想も含み、この三つのの要素のなかではもっと大事なもので、この考え方次第で人生は決まってしまうといっても過言ではないものだとする。そして考え方には熱意や能力と違ってマイナス点も存在する。
 それらが 掛け算”によって得られるものが人生や仕事の成果だとする。この掛け算であること、考え方にマイナスポイントが存在することがミソでありる。
 どういうことかというとそれを次のように説明する。


 したがって、この考え方という要素だけはマイナス点も存在し、熱意や能力の点数が高くても、この考え方がマイナスであったら、掛け算の答え(人生や仕事の結果)もマイナスになってしまいます。才能に恵まれた人が情熱を傾けて、詐欺や窃盗などの犯罪という「仕事」に励んでも、そもそも考え方がマイナス方向に働いているので、けっしてよい結果は得られないということです。
 このように、人生の方程式は掛け算で表されるがゆえに、まず考え方が正しい方向に発揮されなければなりません。さもなくば、どれほどすぐれた能力をもち、強い熱意を抱こうとも、それは宝の持ち腐れどころか、かえって社会に害をなすことになりかねないのです。


 能力もあり、さらに頑張ろうという熱意もあるのだけれど、その根拠が己の利害のみに偏った考え方、あるいは復讐的な恨みなどで生まれたものなら、考え方としてマイナスポイントになってしまう。


 ですから、すべてに対して「よかれかし」という利他の心、愛の心をもち、努力を重ねていけば、宇宙の流れに乗って、すばらしい人生を送ることができる。それに対して、人を恨んだり憎んだり、自分だけが得をしようといった私利私欲の心をもつと、人生はどんどん悪くなっていくのです。


 では利己的にならないためにはどうすれば良いか?それをまず稲盛さんは人間の心の構造から説明していく。


 私は、人間の心は多重構造をしていて、同心円状にいくつかの層をなしているものと考えています。すなわち外側から、
 ①知性-後天的に身につけた知識や論理

 ②感性-五感や感情など精神作用をつかさどる心

 ③本能-肉体を維持するための欲望など

 ④魂-真我が現世での経験や業をまとったもの

 ⑤真我-心の中心にあって核をなすもの。真・善・美に満ちている

 という順番で、重層構造をなしていると考えています。私たちは心の中心部に「真我」をもち、その周囲に「魂」をまとい、さらに魂の外側を本能が覆った状態でこの世に生まれてきます。たとえば、生まれたての赤ん坊でも、おなかがすけば母乳を欲しがりますが、これは心の一番外側に位置する、本能のなせる業です。
 そして成長するにつれて、その本能の外側に感性を形成し、さらに知性を備えるようになっていきます。つまり人間が生まれ、成長していく過程で、心は中心から外側に向かってだんだん重層的になっていくわけです。反対に、年をとって老いが進むにつれ、外側からだんだんと「はがれていく」ことになります。


 ここで肝心なのは心の中心部をなす、「真我」と「魂」です。


 真我とは仏性そのもの、宇宙を宇宙たらしめている叡智そのものです。すべてが物事の本質、万物の心理を意味している。それが私たちの心のまん中にも存在しているのです。
 真我は仏性そのものであるがゆえにきわめて美しいものです。それは愛と誠と調和に満ち、真・善・美を兼ね備えている。人間は真・善・美にあこがれずにいられない存在ですが、それは、心のまん中に真・善・美そのものを備えた、すばらしい真我があるからほかなりません。あらかじめ心の中心に備えられているものであるから、私たちはそれを求めてやまないのです。


 魂とは、それが何度も生まれ変わる間に積み重ねてきた、善き思いも悪しき思いも、善き行いも悪しき行いもみんなひっくるめた、まさにわれわれ人間の「業」が含まれたもの。それが魂として真我という心の中核を取り巻いている。したがって真我が万人に共通したものであるのに比して、魂は人によって異なっているのです。


 そして心を磨くこととは、


 心の外側から内側へ向かって、レンズを磨くように外側の壁を磨き落としていく試みであるともいえます。
 まず一番外側の知性を落として感性に達し、その感性を磨きつづけて本能に達し、その本能も磨き抜いて・・・・・と最後に真我がむき出しになるまで磨いていく。この徹底した内へ向けての心の錬磨が修行そのものであり、悟りとは、真我まで心を磨ききった状態のことをいいます。
 
 そこまで到達した人は、本能や感性に惑わされず、「世のため人のため」に尽くす生き方ができるようになるのです。


 なるほど稲盛さんが説く心の構造はよくわかった。人間の心に中心には真・善・美そのものを備えた「真我」というものがあり、それは人間誰しも持っているものであり、それがまわりを取り巻く知性、感性、本能、魂が隠している。心を磨くということはそれらを取り払い、人間の心の核心に近づくことなのだ。
 でも論理としてそれはわかっても、ではそうなるためにはどうすればいいのか、それが問題である。そのために盛さんは「六つの精進」が大切と言う。


①だれにも負けない努力をする

②謙虚にして驕らず

③反省のある日々を送る

④生きていることに感謝する

⑤善行、利他行を積む

⑥感性的な悩みをしない


 稲盛さんによると、いいことも、悪いことも「自分に起こることすべてのことは、自分の心がつくり出している」らしいから、この「六つの精進」を持ってすれば、少しは悪いと思えることは減っていくのだろうか?
 いずれにせよ、これなら自分でも戒めとして持てる。この「六つの精進」を自分の中の生きるための指針としたいところである。


 もし稲盛さんは「この世へ何をしにきたか」と問われたら、迷いもてらいもなく、生まれたときより少しでもましな人間になる、すなわちわずかなりとも美しく崇高な魂をもって死んでいくためだと答える」という。


 生まれたときより少しでも善き心、美しい心になって死んでいくこと。生と死のはざまで善き行いに務め、怠らず人格の陶冶に励み、そのことによって生の起点よりも終点における魂の品格をわずかなりとも高めること。それ以外に、自然や宇宙が私たちに生を授けた目的はない。
 したがって、その大目的の前では、この世に築いた財産、名誉、地位などは、いかほどの意味もありません。いくら出世しようが、事業が成功しようが、一生かかっても使い切れないほどの富を築こうが、心を高めることの大切さに比せば、いっさいは塵芥のごとき些細なものでしかないのです。
 宇宙の意志が定めた、人間という生命が最終的にめざすべきものは、ただの心の錬磨にあり、その魂の修行、試練の場として、私たちの人生が与えられているということなのです。


 そして人間の生き方としてどうあるべきか、その結論を最後言う。


 一生懸命働くこと、感謝の心を忘れないこと、善き思い、正しい行いに努めること、素直な反省心でいつも自分を律すること、日々の暮らしの中で心を磨き、人格を高めつづけること。すなわち、そのような当たり前ことを一生懸命行っていくことに、まさに生きる意義があるし、それ以外に、人間としての「生き方」なないように思います。



稲盛 和夫 著 『生き方―人間として一番大切なこと』 サンマーク出版(2004/08発売)
by office_kmoto | 2015-05-06 05:56 | 本を思う | Comments(0)

言葉拾い、残夢整理、あれこれ


by office_kmoto
プロフィールを見る
画像一覧
通知を受け取る