池波 正太郎 著 『日曜日の万年筆』

d0331556_19582561.jpg 池波さんが美味しい食事を食べたとき、すばらしい映画を見て感動すると、“堪能した”とよく書かれる。今私は池波さんのそんなエッセイを読み終えて、堪能した気分でいる。
 さて、次の文章で思い出したことがあるのでそれを書いてみたい。


 私は、むかしから、他人が休日にはたらき、他人がはたらいているときに休むのが好きだった。(私の休日)


 池波さんは他人が働いているときに休めば、混雑せずに旅も出来るし、美味しい食事処でゆっくり出来ると言う。でも私の場合はこれを読んで、違うな、と思ったのである。どちらかと言えば、何で人が休んでいる時に働かなければならないのだ、と自分の身を情けなく思う方だった。
 例えば暮れの12月31日などもそうだ。今は銀行が30日までとなって、31日から翌月3日まで休むようになったが、以前は31日ギリギリまで営業していた。そのため経理を仕事する自分はどうしても31日まで仕事しないといけなかった。他の社員は大体御用納めの28日で仕事を終えているのに、自分一人だけで机に向かって仕事をしていたのである。大口の決済が月末に集中していたので、どうしても銀行が営業している以上、出社しなければならなかった。
 さらに夏のお盆休みも同様である。通勤電車はガラガラなのに、駅のホームでは、行楽地へ向かう家族連れや、帰省客で混雑している。それを横目で見ながら、おれは仕事だもんね、と半ばひがみに似た気分でいた。
 昔本屋で働いていた頃は、日曜日・祝日に営業している他店の助っ人として、朝早くから出社していたこともある。シャッターを開け、キャスターの壊れて、言うことを聞かない重い看板を通りに出し、閉店時にはその逆をやった。店は通りから奥に入ったところにあり、店の所在を知らせるために、その看板を通りに出すのである。
 その日が雨など降っていれば、朝からカッパを着て、開店の準備をする。そんなときなんで休みなのにこんなことをしなければならないのか、看板を何度蹴飛ばしたことか。
 閉店したあと売上を計算して、戸締まりをして帰るが、帰りの吹きさらしの駅に立つと、ホームから飛び込みたくなる。その駅は飛び込み自殺者を助けようした人が二人がみちづれになって亡くなった駅である。それくらい夜は寂しい駅であった。
 もちろんそんな日は他に休みが取れるのだが、それをうれしいと思ったことはなかったし、みんなが働いている時に休日が取れる恩恵を感じたことはなかった。それはそれで違和感があった。私の中では土日祝日は休むというのが、身についていたし、人と違う休みはどうしても受け入れがたい部分がいつまでもあった。
 こんなことを書くと今は1年365日、24時間営業なんて当たり前で、仕事は仕事、休みは休みじゃないか、と言われそうだが、ただ土日祝日は休むもの、仕事は昼間するものというリズムが私のからだに出来上がっているから仕方がない。

 面白い文章があった。“なるほど、確かに”と思ったので二つ書き出してみる。一つは、


 白でなければ黒、黒でなければ白と、両極端のどちらかに決めてしまわなくては、
 「おさまらない」
 という風潮は、戦後の日本のものであって、白と黒の中間色を忘れてしまった。
 このことが今日の、
 「味も素っ気もない・・・・・」
 世の中を生み出してしまった。
 幕末の開国以来、めぐまれた風土と高い文化をもった島国の日本は、諸外国の多種多様な文明を大胆に受けいれ、消化してきた。
 その消化剤が、中間色だったのだ。
 戦後の、外国から渡来して日本中を席捲した民主主義に、もっとも必要なはずの、この消化剤を日本と日本人は忘れてしまったのは、まことに皮肉なことといわねばなるまい。(消化剤 上)


 もう一つが、


 情趣をともなわない風景の中に暮らしていれば、当然、人間の心にも情趣が失われる。
 高度成長と機械文明に便乗して、際限もない、そのひろがりに慣らされてしまった私どもは、いずれ近いうちに、高い付けを突きつけられるだろう。(絵を描くたのしみ 下)


池波 正太郎 著 『日曜日の万年筆』 新潮社(1984/03発売) 新潮文庫
by office_kmoto | 2015-06-17 20:00 | 本を思う | Comments(0)

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