平成27年7月日録(上旬)

7月1日 水曜日

 雨。

 大腸の内視鏡検査でポリープを切除してから、2日経ち、無理はダメだが、普通の生活ができるようになった。食事も3日ぶりにご飯の食事ができるようになった。うれしい限りである。

平成27年7月日録(上旬)_d0331556_13415973.jpg ダン・ブラウンの『天使と悪魔―ヴィジュアル愛蔵版』 (角川書店2006/12発売)を古本で安く手に入れたので読み始めた。もちろんこの小説は発売当初読んでいる。いまさらダン・ブラウンという気持ちもあるが、私は『ダヴィンチ・コード』よりこの作品の方が面白いと思っている。
 昔読んだので、内容はほとんど忘れているため、新たに読む感じだ。ページがどんどん進むほど、話はスリリングで、テンポがいい。バチカンのこぼれ話もあちこちにちりばめられていて、へぇ~、そうなんだと驚いたりする。またバチカンの様子やそこにある美術品の記述があると、ちゃんと図版が載っておりわかりやすい。さすがヴィジュアル愛蔵版と名を打つほどだ、と感心する。
 ただこの本、A5版の700ページもあり、しかも図版の関係で紙質も厚いものを使っているため重くて仕方がない。そのため寝転んで読める本じゃないので、椅子に座って読んでいる。









7月4日 土曜日

 くもりのち雨。

 昨日は関東も大雨が降った。今日は小康状態ではあるが、また明日は雨の一日になるという。まあこの時期梅雨だからこんな天気は仕方がないのだが、さすがに雨ばかり見ているとうんざりしてくる。しかも来週は台風の影響があるという。なんでも南には台風が3つもあるという。
 今週いっぱいはじっとしていろという医者からお達しを忠実に守らせようとする妻の監視があるので、家でじっとしているので、雨が降っても関係なく家にいなければならないのだが。
 さて、ダン・ブラウンの『天使と悪魔―ヴィジュアル愛蔵版』を朝方読み終える。ほとんど話の内容を忘れているので、再度読み直しても面白かった。
平成27年7月日録(上旬)_d0331556_13424567.jpg 午後から南木佳士さんの『医者という仕事』 (朝日新聞出版1995/05発売)を読み終える。
 このエッセイ集に度々出てくる言葉は「視線を低くして」である。視線を低くして人や世の中を見てみると、そこに見えるのは、人として最も大切なことである“やさしさ”であることを教えてくれる。


 病んだ者の視線は例外なく低くなる。人間として持つべき最も大事なものは頭の切れの鋭さでも、まして学歴とか富ではなく、ただひたすらやさしくあることなのだというようなあたりまえのことが、低くなった視野に見えてくる。(厄年を過ぎて)


 小説とはあくまでも小さな説なのであり、書く者の視点は限りなく低くあらねばならない。いつも自分にそう言い聞かせてきた。やがて、この視点を低くするという訓練は、医者としての自分にとってもきわめて大事なことだと気づいた。(医者という仕事)


 医者になって心身を病む人たちをたくさん診てきたが、人は挫折を知ると例外なくやさしくなる。そして人が人であるための最低条件とはやさしさ以外の何物でもないことを知る。いわゆるエリートコースを歩んできた人たちは、気づくのが遅すぎた、と後悔するのが常である。(挫折の四月)


 上から目線で人や物を見ていると、どうしても傲慢になる。奢りが出てくる。この視線は競争に勝ち誇った人間がする態度であろう。そこまではわかる。しかし南木さんのように悟れるには自分は至っていない。南木さんの自らの体験から語られる物語は、それをそうっと教えてくれるような気がする。南木さんの物語が心地よいのは、それが何となくわかる年齢に自分が達しつつあるからなのかもしれない。

 気になった文章をあげておく。


 形容詞ばかり増やし続けた自分の人生を少なからず反省させられた春の午後だった。(フキノトウ)


 人間なんて川を流れるゴミのようなもので、会社などの組織はたまたま大きな石の周囲にゴミが集まったものに過ぎない。ある者は流れ去り、ある者はとどまる。しかし、やがてはみんな流れ下って海に入る運命には変わりはない。(川を眺めながら)


 「おまえはなあ、妙に文学的な思い入れを患者にするから十二指腸潰瘍になんかなるんだよ。もっと学問的に患者にアプローチしてみたらどうだ」(上田医師の青き時代)


 最後の一文は“長いエッセイのような掌篇・短篇小説集”として上田医師が研修時代、医長から言われたものである。すなわちこれを言われた上田医師は南木さん自身である。


7月5日 日曜日

 雨。

 よく降る雨である。今日は午後から家に私一人となっている。本棚を何気なく見ていたら、そこに古い雑誌や道路地図などがある。いずれも情報として役に立つものではないので、明日の資源ゴミに出してしまおうと思い、引っ張りだして一つにまとめてくくる。
 そんなことをやっているうちに、また子供たちの写真を見つける。結構な枚数がそこにはあり、終わったと思った写真整理をやり直さなければならない事態となった。たぶんアルバムに貼った写真をもう一度はがして、並べ直さないといけなくなる。それを考えると滅入ってくる。

平成27年7月日録(上旬)_d0331556_13435493.jpg 南木佳士さんの『家族』 (文藝春秋 1999/02発売)を読み終える。この本は「家族」、「井戸の神様」、「風鐸」、「さとうきび畑」の中短篇集である。個人的には「井戸の神様」が軽みがあって好きであったが、書名にもなっている「家族」はこれまで南木さんが書いてこなかった自分のことが書かれていて、興味深かった。
 父親の介護に関わる家族を一人ひとり書いていく。先の見えない父親の介護。家族は父親に悪態をつき、その死を望むようになる。父親が死んでホッとずる家族がそこにあるのは、それほど介護というものが、大変なことであり、家族に強いるものがそこにはあることを思い知る。
 読んでいて嫌な気分にさせる人間のそれぞれの顔がここで描かれる。でもきっとそれはきれい事ではなく、誰もがとってしまう態度であり、思うことなのではないか。
 父親に距離を置く息子は南木さん自身であろう。これまで読んできた南木さんの作品には父親の介護のことが書かれていたが、この作品ではそれまでにない男としてどうしようない部分がいくつか書かれている。
 まあよく考えてみれば、誰でも若い頃はこうしたくだらないことや馬鹿げたことをやるもんだろうが、それでもこれまでなかった人物像がここにはある。それが作り話なのかどうかはわからないが、もしかしたら今まで書いてこなかった南木さんの昔話かもしれないな、と思うと、この作品を書くにはどこか躊躇したところがあったのではないか、と思ってしまった。今までさらっと流していたものや、書かなかったことが結構書かれていた。


7月6日 月曜日

 相変わらず雨。

 今日は、“サラダ記念日”だったんじゃなかったかと、ふと思い出して調べてみると、確かに“「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日”とある。

 さて。
 大腸の内視鏡検査からちょうど一週間経って、薬のおかげか出血もなく無事に済んだ。この間何も問題がないので、今日から通常の食生活と日常を過ごせることとなった。
 なったのはいいけれど、この雨じゃ散歩にも出る気になれないので、結局家に閉じこもることとなる。こう鬱陶しい天気が続くと本を読む気も萎えてしまう。だから昨日出てきた写真の整理をやった。
 一度整理したアルバムに、途中写真を加えるのは難しい。間に新しい台紙を加え、バランスよく配置していくのだが、結局やり直すことが多くなってしまい、半日かかってやっと息子のアルバムの整理を終える。明日は娘のアルバムに同じことをすることにした。

 テレビの天気予報を見ていたら、今日から鬼子母神の朝顔市が始まったそうである。我が家の三代目の鬼子母神の朝顔は、鉢植えはまだ蕾さえない状態だ。別にプランターに植えた朝顔はネットにはわせているのだが、こちらは野生化していて、多くの蕾を持っているから、こちらから先に咲きそうである。


7月7日 火曜日

 くもり時々雨。

 プランターの朝顔が一つ花を咲かせていた。


7月8日 水曜日

 くもりのち雨。

 今日も雨。何でも今年7月の東京の日照時間は今日まで30分も満たないと言う。
 阿刀田高さんの『地下水路の夜』を読み終える。
 録画しておいた映画を見る。
平成27年7月日録(上旬)_d0331556_1345658.jpg フレデリック・フォーサイス原作の「ジャッカルの日」である。私はこの原作の映画バージョンの表紙が好きである。
 さてこの映画、公開された1973年にテアトル東京で見ている。ブルース・ウィリス主演のリメイク版もあったが、こちらの方がいい。ブルース・ウィリスはどうしてもダイ・ハードのイメージが強く残ってしまう。
 暗殺者の冷静さや残酷さなど演ずる時は、妙な笑い顔を作らないほうがいい。その点のこの映画のジャッカルを演じている俳優は淡々と演じていてる。この俳優の名前はエドワード・フォックスというそうだ。
 ジャッカルを追いかけるクロード・ルベル警視役の俳優も良かった。


7月9日 水曜日

くもりのち雨。

 芦原伸さんの『ヘルン先生の汽車旅行』を読み終える。


7月11日 土曜日

 はれ。

 先日行った大腸の内視鏡検査でとったポリープの検査結果を聞きに行く。先生は、このまま放っておけば癌になる可能性のあるポリープだったと言う。もちろん必ず癌化するとは限らないが、こういうものが出来やすい体質と年齢だということらしい。来年も必ず検査をするように言われる。


7月13日 月曜日

 はれ。

 お盆なので実家に行き、線香をあげてくる。
 帰りに父親と近くにあるヤマダ電機に一緒に行く。パソコンとプリンターを買う。
 問題は設定である。父親がパソコンの設定とデーターの移動など出来るわけがないので、それをヤマダ電機にやってもらおうと最初は考えていた。相談すると出張サービスでそれをやることが出来るが、2万から4万円かかるという。
 たかがパソコンの設定にはそれはちょっとぼりすぎじゃないかと思うが、ここではそういうことらしい。
 一緒についてきてしまった以上、この値段を聞いて、お願いするのは納得いかないので、仕方なしにその設定をやることになってしまった。

 阿刀田高さんの『怪談』を読み終える。


7月14日 火曜日

 はれ。ここ数日暑い日が続く。今日は東京で34.3度だったという。さすがに暑いので今年初めて冷房を入れる。

 実家のパソコンの設定を始めた。まったくパソコンというやつは電源を入れればすぐ使える代物じゃないのが厄介だ。昔はこうした設定は嫌いじゃなかったのだが、今は歳のせいか面倒になって、自分のパソコンでさえやりたくないな、と思っていた。
 まずWindows8.1がわからない。仕方がないので図書館に行って入門書を借りてくる。
 今回すべてWi-Fiでネットもプリンターも繋ぐ予定で、さてこれどうやったっけ、と思い出しながら、何とかネットが繋がるところまでこぎ着けた。


7月15日 水曜日

 はれ。今日も暑い。

 明日台風が来るので、今日中に実家のパソコンの設定を終わらせようと、朝から実家へ行く。
 マイクロソフトのアカウントを取るのが面倒臭い。これをきちんと取らないとOfficeが使えない。たかがソフトをインストールするだけなのに、もうちょっとシンプルに出来ないのか、と思う。何事も大袈裟すぎる。
 プリンターはWi-Fi仕様になっているので、我が家みたいにプリントサーバーを付けなくてもいいので、認識させ、ドライバーをインストールして、パソコンの設定を終える。
 設定が終わり使い方を説明する。まず、パソコンの周りにコードがないことに驚いている。
 ノートパソコンの有り難さを十分発揮でき、どこでもパソコンが出来、ネットに繋がる。プリントも試しにやってみせると、父親は不思議がっている。
 だよな、と私も感じる。知識とイメージは頭の中にあるのだけれど、それがどうして繋がっているのか私もよくわからない。
 でもまあ、無事に設定が出来たので良かった。ヤマダ電機に4万円払わずに済んだ。(それにしても高い)後は古いパソコンのデータの移動だけなので、後日やることにする。
 昼過ぎ暑い中とぼとぼと歩いて家に帰ると、どっと疲れが出てくる。パソコンの設定は結構神経を使う。
by office_kmoto | 2015-07-16 13:55 | Comments(0)

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