森 まゆみ 著 『不思議の町 根津―ひっそりした都市空間』

d0331556_1422759.jpg 千駄木の駅から根津神社へ行ったとき、不忍通りにあったお店の前にあった「根津権現かいわい浪漫ちっくマップ」という地図が店頭に置いてあり1枚もらってきた。
 この地図、本当によく出来た地図で、いわゆる谷根千にいた数くの文士がどこに住んでいたか一目でわかるようになっている。さらに古い建物や坂などどこにあるのかもわかるようにもなっている。観光客らしき人たちが、この地図を持って歩いていたのを何度も見かけた。
 この地図を見ていて気づいたことがある。昔近くまで来たことがあるのだ。
 私が秋葉原にあった本屋で働いていた頃、秋葉原から昭和通りを通って御徒町のあたりで曲がって湯島天神の坂(この地図だと切通坂というらしい)を勢いをつけて登り、東大の龍岡門の前にある薬局に本を配達していたことがあった。本を積んで自転車でこの切通坂を登るのはきつかった。
 配達が終わり、寄り道をして、東大の赤門あたりまで行ってみたこともある。いわゆる本郷通りにあった古本屋さんで本を買ったこともある。
 帰りは下りなので、自転車をこがずに、一気に坂を下っていった。これが結構楽しかった。ブレーキをかけずにどこまで行けるか試したものであった。
 ちなみにこの薬局とは、私が本屋の現場を離れてから会社を辞める間に、何度か関わるようになった。あまりいい思い出がない。
 先日根津神社へ行ったときも、この薬局の支局を見つけてしまった。
 それはこの地図を見て、根津神社の近くに夏目漱石の旧居跡があることを知ったので、日本医科大学付属病院の前の根津裏門坂を登っていたら、この薬局を見つけてしまったのだ。私は名前は知っていたが、ここにあることは知らなかった。
 つまらぬものを見てしまったと思いつつ、坂を登って行ったが、結局夏目漱石の旧居跡はわからなかった。

 さて、今回この地図を見ながらこの本を読んだ。この本は一度文庫本で読んでいる。今回この本を読んだのは、先日根津神社へ行ったことと、たまたま初版の単行本を手に入れたことによる。
 千駄木から根津神社までを不忍通りを歩いて行ったのだが、通り沿いに大きなマンションが建ち並んでいることに驚いた。なるほど森さんがこのあたりが地上げ屋によって土地を買いあさられ、マンションがどんどん建っていくのを嘆いていたのがよくわかる。
 あとがきに次のようにある。


 大好きな町に関して散見する資料を自分のためにも早く一つストーリーにまとめておきたいということが、本書の最初の目的である。地域史の叩き台になればそれもよい。それは不忍通りの両側が大手マンションメーカーや地上げ屋によってビルになり、更地になり、町の人間も、そしてその物語も失われる今、ぜひやっておきたいことであった。


 町を歩き、関係者に会い、資料を漁り書かれた本書であるが、その分歴史的背景は詳細を究めている。「地域史の叩き台」以上であろう。
 だがここに暮らしていないとよくわからないことが多い。わからないことが多いが、根津神社へ行ったので、この神社について書かれていたことに興味がある。
 根津神社の起源は、日本武尊が千駄木山に八岐大蛇を退治した素戔嗚尊の武勇を慕って小社を奉納したことから始まる。


 お社のあたりを素戔嗚尊にちなんで素戔嗚(いるさ)の森といい、千駄木の団子坂の上を右に曲った右奥に小さな祠が残っている。これが根津社の古地、元根津の宮である。


 話は江戸時代になり、徳川三代将軍家光の三男綱重が藍染川のほとりに山手屋敷を賜った。この根津の邸を池之端邸とか、谷中邸と呼んでいたらしい。
 ちなみに綱重の兄が四代将軍の家綱で、弟が五代将軍綱吉である。
 その綱吉は男女一子ずつ得たが二人とも夭折し、その後も世継を得られず、やむなく池之端邸にいた綱重の子、綱豊を世子とした。
 43歳で将軍の世子となった綱豊は、名を家宣と改め江戸城に移る。空き家となった池之端邸の地に綱吉は綱豊の産土神である団子坂上の根津社を移し、重厚壮麗な社殿を建設する。これが根津神社である。
 この造営がきっかけで、これに従事する作事方、大工、左官、鳶職などを相手にする居酒屋が出来、女を入れることで、根津に遊郭が出来ていく。
 そう、根津には岡場所と呼ばれる私娼窟があったのである。「根津権現かいわい浪漫ちっくマップ」で見ると、不忍通りに面した根津神社の横、つまり根津小学校がある一帯のようである。


 とはいえ、明治三十六年に団子坂までのび、その後、動坂から明神町へと市電の開通によって開けていったこの町の幹線である不忍通りが、その大元は根津神社の門前、つまり遊郭の仲通りに発生することはまちがいない。いってみれば、不忍通りと根津の町は遊郭から発祥したのである。


 まあ、何事につけ、こういう場所があれば人は集まってくる。
 その後根津の遊郭は火事や弾圧で荒れ果てたりしたが、また復活していく。こうして江戸時代が終わり明治の世となって東京府は最初、遊郭開設を5年間だけの営業として許可しているが、そのままずるずると引き延ばされていく。
 面白いのが、東大と根津遊郭の関係であった。


 東京大学と根津遊郭はほとんど近いので、主に東校の医科大生が盛んに遊んだ。前述したように森鴎外の「ヰタ・セクスアリス」にも登場する。
 そして十七年、三学部が本郷に移ると、神田から根津まで通った文科の学生も、近くなったと大よろこびでいっそう遊郭に入りびたり、学業を途中で投げ出すものもでてきた。


 明治の東大といえば今よりも日本を背負うエリート養成学校である。その学生が勉強せずに“あっちの方”に励んじゃうのに慌てた文部省は根津遊郭の移転を考えるようになる。しかし移転より遊郭を市街の中心部に許しておくのがいかん、ということになり、根津遊郭の全廃を決める。そして明治20年12月限りで根津では以後営業を許さないという令を出す。根津の引っ越し先が洲崎である。これが戦後の「洲崎パラダイス」となった。一方根津の町は寂れた。

 ところで根津の遊郭で余話みたいな形で、坪内逍遥の妻センの話が載っている。
 逍遥の妻センは根津遊郭の大八幡楼の花紫という娼妓であった。逍遥は明治17年同級生に誘われて大八幡楼へ行き、花紫と初めて会う。その後逍遥は3年越しで花紫のところへ通う。そして年季が明けた明治19年、センと結婚する。しかし逍遥の実家ではセンに冷たく、軽蔑を表すこともあったという。(そうだろうな)それでも逍遥はセンを一生かばい続けた。
 その後逍遥の社会的地位が上がると、センの経歴などで陰口や三面記事が書き立てる。逍遥は早大の文学科長や学士院会員に推されてもそれを固辞した。それを受ければますます逍遥やセンのプライバシーが取り沙汰されるからであった。まして逍遥が教育方面に関係せざるを得なくなってからはセンのことで苦しんだ。役職も辞退した。
 ただその辞退は自分のためではなく、妻のセンが世間の冷たい視線に怯えがちなのをかばうものであったという。晴れがましい席にも妻を同伴しなかったのも、妻の前歴を恥じてのことではなく、妻をかばってのことであった。

d0331556_14225716.jpg ところでこの本は文庫本で読んだと書いた。で、興味があったので、文庫本とどう違うのか比べてみた。
 文庫の方は写真の資料が加えられている。特に藍染川の氾濫の模様など、写真を見ているとなるほどこの川はこんな感じで氾濫していたんだ、と知ることが出来る。


森 まゆみ 著 『不思議の町 根津―ひっそりした都市空間』 山手書房新社(1992/02発売)

森 まゆみ 著 『不思議の町 根津―ひっそりした都市空間』 筑摩書房(1997/05発売) ちくま文庫
by office_kmoto | 2015-07-21 14:24 | 本を思う | Comments(0)

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