半藤 一利 著 『決定版 日本のいちばん長い日』

d0331556_5342637.jpg 戦後70年を迎えて、昭和天皇の玉音放送が録音されたレコードがデジタル化され公開された。今それを宮内庁のホームページで聞くことが出来る。
 この本が映画化され、宣伝をテレビで何度か見ているうちに、原作を読んでみたいと思い読んでみた。
 この本はいわゆる「宮城事件」を扱ったものである。そもそも私はこの「宮城事件」を知らなかった。
 「宮城事件」とは1945年8月14日深夜から15日にかけて、すなわち玉音放送がされるまでの間に、ポツダム宣言受諾による完全降伏を認めず、徹底抗戦を主張する一部陸軍将校たちが皇居の立てこもった事件である。
 昭和20年8月9日に最高戦争指導会議が開かれ、基本的には降伏を受け入れることとなった。
 10日には御前会議が開かれ、鈴木首相から「聖断」の要請を受けた昭和天皇は外務大臣の意見に賛成し、これによりポツダム宣言の受諾が決定された。天皇の意志が決まったのである。
 天皇は降伏を承認し、終戦を決意した。一方阿南惟幾陸軍相は青年将校たちから「兵力使用計画」と題されたクーデター計画の賛同を迫られた。報告に列したのは軍事課長荒尾興功大佐、同課員稲葉正夫中佐、同課員井田正孝中佐、軍務課員竹下正彦中佐、同課員椎崎二郎中佐、同課員畑中健二少佐の6名であった。


 荒尾課長を先頭に彼らは必死に訴え、説明した。具体的には明十四日午前十時に予定されている閣議の席に乱入し、主要な和平派を監禁、天皇に聖慮の変更を迫ろうというのである。たとえ逆賊の汚名を着ようとも、それを覚悟で、こうした行動にでる。なぜなら、万世一系の天皇を頂く君主制こそ日本の国体であり、それを護らなければならぬからである。かれらにあっては、その天皇の一人にすぎぬ裕仁天皇より、国体が優先するのである。
 彼らは、十四日午前中に決行したいと訴えて容易に退かず、議論は二時間におよんでもつきなかった。阿南陸相は天皇の意志に反してはならぬ、と信頼する部下に我慢のかぎり議論をくり返した。そして最後に、午前零時陸軍省において、荒尾大佐に決心を内示するといい、それを承知した青年将校たちは三々五々邸外の闇に消えていった。


 阿南陸相は青年将校たちを含む陸軍全体に「承詔必謹」の態度を示す。すなわち天皇の命令に従え、ということである。
 14日には玉音放送の録音が始まった。15日午前0時過ぎ、玉音放送の録音を終了したころ青年将校は決起した。宮城を守備する近衛第一師団の師団長森赳中将を惨殺して、嘘の命令を出し宮城を占拠した。彼らの宮城占領は成功した。


 宮城を占領し、大臣や参謀総長が同意してなくても、天皇を擁して全軍に令すれば、屈辱の生か栄光の死かと、いまなお去就にまよう各方面の陸軍部隊はただちに意志を統一して蹶起するであろう。そのときにおよんでは、大臣、参謀総長も反対をいわないだろう。そこで陸軍だけの軍事政権を樹立して聖断の変更をお願いする-それが彼らの大計画であったのである。


 しかし玉音放送が録音されてからはクーデターの意味が変わってくる。
 最初は文人たちによって天皇は降伏を受け入れさせられたのだから、天皇を奪い取って、説得し、徹底抗戦を計ろうとするものであった。しかし玉音放送が録音された後、その録音レコードを奪い取ろうとすることに変わったのである。つまり玉音放送がラジオから流れてしまえば、天皇の意志が日本国民全体に伝わることになる。それでは遅いのである。だから宮城を守備する近衛第一師団司令部の師団長森赳中将を惨殺して、嘘の命令を出し、近衛第一師団を巻きこんで、レコードを探したのである。
 今年の8月14日の朝日新聞の朝刊には、当時「録音原盤」を探せという命令に従った近衛兵であった人のことが書かれている。「録音原盤」の原盤を探す理由はわからなかったけれど、命令に従うしかなかったと書かれている。けれど「録音原盤が見つかっていたら、玉音放送が流れなかった」と毎年思うそうである。

 結局、師団長は殺され、その命令が嘘であることがわかり、クーデターは未遂で終わる。そして8月15日正午には玉音放送が流された。
 この本は玉音放送が流れるまでの間のことを一時間ごとに記述し、その間何があったのかこと細かに記載している。一方でさりげなく、そして確信を持って当時の軍部がいかに腐敗していたかを指摘する。さらにあの戦争の責任は軍部だけにあるのではなく、日本国民全員にあったことを書いている。


 しかし、ここの(市ヶ谷台陸軍)住人たちは生々しい大樹を今日は言葉にも筆にもつくされぬ、わびしい、情けない気持ちで眺めた。帝国陸軍軍人としてこれほどみじめな気持で市ヶ谷台に立とうと、誰が予想したであろうか。しかし当然の酬いといってよい。帝国陸軍は昭和六年の満州事変いらの、みずからの野心と横暴と不誠実とから屈辱を甘んじてうけねばならなくなったのである。単なる戦闘集団ではなく、日本のよさ、道徳の規範として、崇高にして栄誉ある軍隊であろうとする意志が忘れられてしまい、純日本的を強調するあまり、一億の日本人は軍人精神にのみ生き、この精神のなかに死ぬべきであると彼ら軍人は思いあがった。こうした狷介な精神がさらに増長されて政治に興味をもつ数多くの軍人を生むにいたった。至誠忠節、戦闘に強きが軍人の第一の条件ではなくなり、むしろ第一線にでることが懲罰であるかのようになった。軍律は弛緩し、軍紀はなくにひとしく、軍全体が亀裂だらけの瀬戸物のように内部批判性を失った。


 阿南惟幾陸軍相はこのことを深く自覚していたようにここでは書かれる。その責任を取って、そして陸軍をこのように終えた責任を取って、割腹自殺した。


 人、機械、軍需、資源すべてにおいて最初から不利であったが、勝利をつかもうとする不屈の闘志によって、戦争はみちびかれてきた。個人的な決意の問題ではない、国民全体の意志の表現であった。


 私はこの考えは正しいと思っている。


半藤 一利 著 『決定版 日本のいちばん長い日』 文藝春秋(2006/07発売) 文春文庫
by office_kmoto | 2015-08-24 05:35 | 本を思う | Comments(0)

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