南木 佳士 著 『エチオピアからの手紙』

南木 佳士 著 『エチオピアからの手紙』 _d0331556_5333916.jpg この本は「破水」、「重い陽光」、「活火山」、「木の家」、「エチオピアからの手紙」の5篇の短篇からなる。「破水」は以前読んだ『陽子の一日』の前の部分になるのだろうか。 あの黒田が陽子を“悪党”と呼んだときの模様が描かれる。
 『陽子の一日』では黒田が、「ほっとけば数日で亡くなりそうなお婆さんの脳出血患者に気管支切開してさあ、人工呼吸器につないで生かそうとしていたんだよ。」と回想した。
 陽子は気管支切開で腰をかがめ、そのため破水してしう。その後を黒田が引き継いだ。
 陽子が助かる見込みのない老婆をそこまで治療続けるのは、


 「私が言いたいのは、かたち、なんだよね。だめになって、土に還るしかない人を見送るのにも、かたちがあると思うんだよね。こだわって、こだわって、どこまでもこだわり続けなきゃいけない、かたち、がね。」(破水)


 病気だけを相手にする医者にとって、死は己の知識と技術の敗北でしかない。だから、彼らは死を見ることを極端にきらう。どうしても見なければならない立場に立たされると、彼らは徹底してその死を先に延ばそうとし、やれるだけはやった、という一種のひらき直りの境地を獲得する。
 最もつらいのは、ただ傍観することだった。傍観しかできない者が、少なくとも自己満足だけは得られる者よりもはるかにみじめであることを、ぼくはこの頃しきりに感じるようになっていた。(木の家)


 南木さんの本を読んでいると、医者という職業は、業の深い職業であることを毎度思い知らされる。人の死に直面せざるを得ない職業、たとえ一時であっても患者が背負ってしまった死病という荷をどこで降ろさせるか、その判断を委ねられ、そして患者の息が止まったことを確認して、人生を終えさせる。これだけも精神的負担は並大抵なものではない。だから余計に淡々と仕事として、人の死を見ることに徹するだけの図太い神経を持ちうるかどうかに、医者の精神的負担の比重が違ってくるみたいだ。陽子は悪党に徹することで自分を救っているのだ。もちろん医者とて同じ人間であるから、そう簡単に悪党に徹することが出来るとは思わないが、無理であろうとそうするしかない職業だと思えてくる。かかえ込んでしまった南木さんはパニック障害とうつ病になった。


 死んだ患者の枕もとで頭を下げたあと、勇はいつも言い知れぬ不安にとらわれる。一人の人間の死を、その一生のたかだか数ヶ月だけかかわった自分がもっともらしく宣言していいのか。呼吸と心臓の停止に加えて脳波の消失を確認したところで、そんなことで多くの想い出をかかえ込んだ人間の死を決めつけてしまえるのか。(活火山)


 患者の最期が近いことを告げるとき、これまで明らかな数字を出さずに納得した家族はなかったから、三日から五日という数字を出したに過ぎなかった。悲しみを集約したり、想い出を整理する支点として、最後に頼りになるのは空虚な数字だった。(エチオピアからの手紙)


 癌を告知した患者として、聞かれたら応えるべき平凡な回答の用意はあった。しかし故意を悟られずに自分から話しかける自信がなかった。死病を背負った人を前にして、あなたの荷は軽い、と嘘をつきとおすのは楽なのだが、真実を告げたとたん、その人が重すぎる荷を背負ったまま自分の背にかぶさってくる。それを支えられるほどぼくは強くない。(エチオピアからの手紙)

南木 佳士 著 『エチオピアからの手紙』 _d0331556_5341754.jpg そういえば同じ南木さんの『海へ』にも次のような文章があった。


 重すぎたのは遺体そのものではなく、おそらく死を完成させる行為を一回ごとに着実に加算された負荷だったのだ。


 一方で死を直前にして、自分の人生が凝縮された瞬間に発せられる患者の言葉、重味が違う。それは長い人生の中で、高い代償を払って、生きてきた中の言葉だけあって、患者の口から発せられる言葉は、業の深い医者という職業に、時に救いを与えることがある。おそらく南木さんはそうして発せられた患者の言葉を紡ぎたかったのではないか。それの言葉で自分が少しでも救われたことがあることを書きたいために、小説を書いているのかもしれない、と思ったりする。

 「エチオピアからの手紙」では、モルヒネしか投与するしかない末期癌の父親の死後、薬学生でもある娘は、自分の父親がモルヒネの呼吸抑制作用で死んだ、と言い、モルヒネを使わなければもう少し父親は長生き出来たと言う。そして、


 「病室に泊まりこんで、少しずつ父を殺していたんですね」


 なまじ知識があることで発せられた言葉であろう。
 自宅に帰ると、「人殺し」とひと言言って切れる電話がある。あの娘であった。
 何度か至らないことで患者に責められることはあっても、「人殺し」と言われたのは初めてであった。
 そんな時近所で開業医をやっている安田が訪れる。自分の肺のX線写真を持っていた。肺癌であった。医師は薬学生に「人殺し」と言われたことにこたえていただけに、安田の発する言葉を貴重に思えたのであった。



 「現実から逃げずに、現実の流れの中にいると、時が自然に流していってくれるものなんですねえ。岸にあがって流れを見るのは、私のような老人になってからでもいいのではないかと思いますよ」


南木 佳士 著 『エチオピアからの手紙』 文藝春秋(2000/03発売) 文春文庫

南木 佳士 著 『海へ』 文藝春秋(2001/02発売)
by office_kmoto | 2015-09-08 05:36 | Comments(0)

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