スヴァンテ・ペーボ 著『ネアンデルタール人は私たちと交配した』

スヴァンテ・ペーボ 著『ネアンデルタール人は私たちと交配した』_d0331556_542927.jpg 人類の進化には昔から興味があった。私たちが習った世界史では、アフリカにアウストラロピテクスという猿人がいいて、アジアには北京原人、ジャワ原人いて、ヨーロッパには旧人と呼ばれるネアンデルタール人いて、その後に現代型ホモ・サピエンスであるクロマニヨン人がいた、とそれこそ単語を覚えるような感じで名称だけを教わった。その関係がどんなものなのかよく分からない。猿人から原人、そして旧人、さらに新人と進化したように何となくイメージさせるものでしかなかった。
 その中で絶滅人種であるネアンデルタール人になぜか興味があった。そのネアンデルタール人ってどんな人類なんだろうか?この本によると、化石記録からネアンデルタール人は40万年前~30万年前に出現し、およそ3万年前に消えた。
 ではネアンデルタール人はどこから来たのだろう。そして何故絶滅したのだろうか。それを読んできた本からまとめてみたい。まずネアンデルタール人がどこから来たかである。
 現在人類の起源には二つの説がある。一つはアフリカ単一起源説で、もう一つが多地域進化説である。アフリカ単一起源説とは、地球上のヒトの祖先はアフリカで誕生し、その後世界中に伝播していったとする説である。多地域進化説とはヨーロッパ人はネアンデルタール人から、アジア人は北京原人から進化したという説である。今はこのアフリカで人類の祖先が誕生し、それが世界へ広がっていったというアフリカ単一起源説が主流となっているようだ。





 ではネアンデルタール人とは人類の祖先にどの辺に位置する人類だったのだろうか?スヴァンテ・ペーボ 著『ネアンデルタール人は私たちと交配した』_d0331556_5431946.jpg アリス・ロバーツの『人類20万年遙かなる旅路』に詳しい説明がある。


 現生人類は、二足歩行する類人猿の、長い系譜の最後に残された種で、「ヒト族(ホミニン)」に属する。わたしたちは現生人類を特別な存在と見なしがちだが、特別なのは、「この惑星に唯一残ったホミニン」という、現在の位置づけだけだ。時をさかのぼれば、ホミニンの系統樹には多様な枝が茂り、同じ時代に複数の種が存在することも珍しくなかった。だが、三万年前までに、その枝はわずか二本を残すのみとなった。現生人類と、近い親戚のネアンデルタール人である。そして今日、わたしたちだけが残った。


 これらの人類は皆、アフリカを出てユーラシア大陸に渡った。およそ100万年前までに、ホモ・エレクトスは現在のジャワ島や中国に到達していた。60万年前にホモ・エレクトスの系統からもうひとつの系統が生まれた。それがホモ・ハイデルベルゲンシスで、その化石はアフリカとヨーロッパで見つかっている。そして、およそ30万年前に、ヨーロッパに移住したホモ・ハイデルベルゲンシスから、ネアンデルタール人が生まれた。一方、現生人類は、20万年前に、アフリカに残った集団から生まれ、地球全体に広がっていった。


 つまりこういうことになるのだろう。アフリカで人類の祖先が誕生し、そして進化していくうちに、人類の祖先はアフリカを出て、世界各地に広がっていった。ヨーロッパに向かった人類の祖先はやがてネアンデルタール人に進化した。一方アフリカに残った人類の祖先から現生人類が生まれ、その後彼らもアフリカを出て行く。こういう構図だろう。
スヴァンテ・ペーボ 著『ネアンデルタール人は私たちと交配した』_d0331556_5442499.png 奈良貴史さんの『ネアンデルタ-ル人類のなぞ』次のようにある。


 アフリカで現生人類が誕生したとすると、その後、アジアやヨーロッパへ拡散するためにアフリカを出たことのなる。ホモ・エレクトゥス(原人)は、170万年前にアフリカを出た。これを第一次アウト・オブ・アフリカとすると、現生人類がアフリカを出たのは第二次アウト・オブ・アフリカとなる。


 では何故人類の祖先たちはアフリカを出なければならなかったのだろうか?奈良貴史さんの本にその説明が書かれている。


 さて、この最初のヨーロッパ人はアフリカからやって来たと考えられている。アフリカを最初に出たアウストラロピテクスではなく、猿人から脳が拡大してホモ属に進化してからだということは、おおかたの理解を得ている。どうしてホモ属がアフリカを脱出したのかについてはまだ定説がないが、有力なのは、人類が肉食をはじめたためだという説である。
 ホモ属の脳の大きさは、アウストラロピテクスの約二倍の1000ミリリットルとなった。一般的な現代人の場合、脳は全体の約2パーセントの重さしかないが、その正常な活動には、全消費エネルギーの約20パーセントを費やしている。つまり、脳が大きくなるということは、からだの大きさ以上にエネルギーを必要とし、そのために食料を大幅に増やさなければいけなくなるということである。そこで人類は、効率よくエネルギーを得るために高たんぱく質の肉食を導入した。しかし、これには大きな問題が生じた。肉食動物は、草食動物よりも大きなテリトリー(行動範囲)を必要とする。人類も、肉食の比重が高くなるにつれて広いテリトリーを必要とするようになったことが、新天地を求めてアフリカを出る契機となったとする考え方だ。


 この人類の祖先たちの肉食の比率が多くなることは、ネアンデルタール人も同じで、その高い肉食率は80パーセントにもおよぶ。これはトナカイの肉に依存しているグリンーランドのラップ人の90パーセントと同程度である。
 ネアンデルタール人といえば、埋葬のとき花を添えた形跡があるとして、人としての感情がここにあったのではないか、という話が有名であるが、実は食人をしていたとも考えられる、傷ついた人骨、20世紀前から複数の遺跡で発見されている。そしてその時雑に解体されたからだの骨は、ネアンデルタール人のDNAを検出するにあたり、埋葬されたネアンデルタール人よりもいいサンプルとなっているらしい。

 さて、スヴァンテ・ペーボの本ではネアンデルタール人と現生人類の祖先との関係が問題となるので、ここでは現生人類の祖先がどのルートを使ってアフリカを出て行ったかを考えてみる。
 いまヨーロッパでは中東、アフリカの内紛か逃れてくる難民の流出が続いていて、それが問題となっている。彼らはいずれも地中海を渡ってヨーロッパへ流れてきている。アフリカからヨーロッパへ渡るにはこれが最短距離だろう。そして現生人類の祖先も同じようにしておかしくないのだが、ヨーロッパに入ったのは外の地域よりかなり遅れている。その原因がすでにヨーロッパに住んでいたネアンデルタール人であった。アリス・ロバーツの『人類20万年遙かなる旅路』に次のように書かれる。


 ヨーロッパがアフリカのすぐ北にあることを考えれば、現生人類がヨーロッパにたどり着くのが、オーストラリア到着より二万年も遅れたのは、ずいぶん意外なことのように思える。なぜ、それほど長くかかったのだろうか?その背景には、地理と環境に起因する複雑な理由があり、また、すでにヨーロッパに住んでいた他の人類も関係していたと思われる。ヨーロッパはずっとネアンデルタール人の支配下にあったのだ。


 このため現生人類の祖先たちは中東に迂回してヨーロッパに入ったと思われている。そのため現生人類の祖先が広がるのが、ヨーロッパでは外の地域より遅れた。
 そしてこのことは、現生人類の祖先がネアンデルタール人と初めて出会った場所が中東であり、ここで交配が行われた可能性を示唆する。このスヴァンテ・ペーボの本で次のように書かれる。


 現生人類の矢印は、アフリカから出てまず中東を通過する。そしてここで現生人類はネアンデルタール人と出会ったのだ。彼らはネアンデルタール人と交配し、その後アフリカの外の全人類の祖先となったのだ。だからアフリカの外の人は、ほぼ同じ量のネアンデルタール人DNAを持つことになる。


 結論が先に出てしまった形になるが、もう少しネアンデルタール人のことを書きたい。ここで問題にしたいのは現生人類の祖先がヨーロッパに来たとき、そこを支配していたネアンデルタール人が、何故絶滅していったかである。
 スヴァンテ・ペーボは、その間彼らの技術はほとんど変化していない。現生人類が経てきたより3~4倍長い歴史をもつが、その間、ほぼ同じ道具を作り続けた。その歴史の終わり近くで現生人類と接触したが、海を渡って未知の土地へ広がることはなかった、と書いている。奈良貴史さんの『ネアンデルタ-ル人類のなぞ』にはもう少し詳しく説明している。


 ネアンデルタール人類は、多くの原始的形質を保持しながら新しい特徴を加えていく「保持型」である。一方現生人類は、古い特徴を捨てるか、変形させる「改良型」といえるかもしれない。


 ネアンデルタール人類の特殊化も、ある程度までは順調にいっていたのだろう。しかし、ある時期を境にして、持ち続けてきた古い形質と自分たちの形質とで飽和状態なり、新たに適応することが困難になってしまったからではなかろうか。


 比較的化石が豊富なヨーロッパでは、それより古い人類からネアンデルタール人類にいたるネアンデルタールゼーションの過程を追うことが可能であり、その結果、40万年前から20万年前にわたり、徐々にネアンデルタール人類らしくなったと理解できる。しかしその後、彼らの特徴は、20万年前から3万年前までの間、あまり変化していない。最後のネアンデルタール人類とされた、サン・セゼールで発掘されたものなどは、典型的なネアンデルタール人類といっても過言ではないことから、彼らの特徴が何万年間にもわたって固定されてしまったように思われる。そしてネアンデルタール人類的な特徴は3万年前以降の後期旧石器時代の人骨には見出すことはできない。
 一方現生人類は、古い形質を捨てて、新しい形質を獲得してきたため、まだ改良する余地があり、環境の変化などに適応することができたのではなかろうか。


 その上でアリス・ロバーツの『人類20万年遙かなる旅路』では次のように書かれる。


 ニッチ(生態的地位)をめぐる争いは、現生人類を社会的ネットワークを広げる方向に駆りたて、それに応じて、ネアンデルタール人の方は「文化的に閉じ込められて」いった。その競争の果てに、やがて現生人類は勝利を収めた。両者のテリトリーは数百年から千年にわたって拡大と縮小を繰り返したが、全体的に見れば、現生人類のテリトリーは拡大し、ネアンデルタール人のそれは縮小していった。


 両者は同じ環境の中で競いあっていた。そして考古学的証拠は、両者の生活戦略が異なり、現生人類は、彼らより高度な文化、複雑な社会的ネットワーク、そして、より柔軟で多彩な技術を持っていたことを語っている。それこそが、現在わたしたちはここにいて、ネアンデルタール人はいない理由なのかもしれない。


 さてそろそろスヴァンテ・ペーボの『ネアンデルタール人は私たちと交配した』の内容に入りたい。
 奈良貴史さんによると、人類の歴史を500万年とすると、なんとその99パーセント以上、すなわち497万年の間、つねに複数の種がいた、と説明している。アウストラロピテクス属、ホモ属の各段階でも何種もいた。それぞれの種と現代人との遺伝子的距離は、チンパンジーと現代人との距離よりよりはるかに近い。いいかえれば、人類にはチンパンジー以上に近い「隣人」となったのがネアンデルタール人類であると考えられている。
 実際現生人類の祖先が中東付近で初めて遭遇したのがネアンデルタール人であったろうと考えられる。そこでペーボはネアンデルタール人は現生人類に非常に近い人類なのだから、そのDNAはわたしたちのDNAによく似ているはずだ。わたしたちのゲノムに近いはずだ、と考える。
 逆に現生人類とのわずかな違いが現生人類とネアンデルタール人を分けたのだと考えた。だからネアンデルタール人のDNAを調べるのである。
 DNAを調べるといっても、生体から検出出来るDNAを調べるわけではない。化石となったネアンデルタール人の骨からDNAを取り出すのである。その苦労が書かれる。何万年も前の骨には雑菌が沢山ついている。そしてそれを掘り出しすとき人間の手に触れる。DNAを検出するとき雑菌や人間のDNAが検出され(ペーボたちはこれらを「汚染」と呼んでいる)、正確なデータがなかなか出来ない。ときには間違った判断をさせる。
 それでもペーボたちは苦労してネアンデルタール人のmtDNAを抽出することに成功する。
 その結果、ネアンデルタール人のmtDNAは現代人のmtDNAを寄与していない、ことが判明してくる。


 話はちょっと横道にそれるけど、ミトコンドリアDNAのことで知り得たことを書いておく。

 ミトコンドリアDNAは必ず母親から子に受け継がれ、父親から受け継がれることはない。したがってミトコンドリアDNAを調べれば、母親、母親の母親、さらに母の母の母の…と女系をたどることができる。その結果人類のmtDNAが20万年から10万年前にアフリカにいたひとりの祖先(ミトコンドリア・イブ)に遡る。


 つまりヒトのmtDNAのバリエーションを遡ると20万年から10万年前のアフリカにいたひとりの女性(人類共通の祖先)にたどりつくという説である。私はもうこれだけでもわくわくしてくる。興味津々なのである。

 とにかく実際には初期現生人類においても、数千人の現代人においても、ネアンデルタール人のmtDNAは見つからなかったのである。
 しかしここにも問題が残る。例えばネアンデルタール人と現生人類の祖先が交配して出来た子供が全員、ネアンデルタール人のコミュニティで生涯を終えたら、ネアンデルタール人は私たちの遺伝子プールに寄与しない。(実際子供は母親のコミュニティに残ることが多い)さらにネアンデルタール人の男性と現生人類の女性との間で交配が起こった場合、男性は子供にmtDNAを伝えないので、彼らのmtDNAは、現代人の遺伝子プールからは検出されない。このことを深く理解するためにはネアンデルタール人の核DNAを調べる必要が出てくる。
 なぜ核DNAの分析がmtDNAよりもパワフルなのか。それは核DNAは30億以上のヌクレオチド(DNAを構成する単位)からなるが、mtDNAはわずか1万6500ヌクレオチドしかできていない。しかも核DNAは世代が替わるごとにシャッフルされ、2本1組の染色体は一部を相手と交換して、1本ずつ分かれ、子孫に受け継がれていく。このシャッフリングと核DNAの巨大さから、ネアンデルタール人と人類が交配していればその痕跡が核DNAに残る可能性は高い。
 さらに交配が実際起きたのであれば、一度きりということはあり得ない。そして交配から生まれた子供を含む個体群が膨張(人口増加)したのであれば、ネアンデルタール人のDNAが絶えることはない。事実現生人類はヨーロッパに来て人口が増加し、ネアンデルタール人に取って代わったのだから、交配が起きたのであれば、わずかであってもその痕跡が残っていていいはずだ。
 そこでペーボたちはネアンデルタール人の骨から核DNAを調べることへ移行していく。そしてネアンデルタール人のゲノム(ゲノムとは、DNAのすべての遺伝情報)調べることが出来るようになると、そのゲノム情報から、現在生きている人々のDNAに、ネアンデルタール人のDNAが生きていたことが判明する。ネアンデルタール人のDNAは確かに現生人類の祖先に寄与していたのだ。すなわち現生人類の祖先たちとネアンデルタール人は交配していたのである。
 そしてこのことがネアンデルタール人がすでに20万年以上も、アフリカの外で暮らしていたため、アフリカに存在しない特有の病気との闘いに適応していたかもしれない。それ故にそれらを受け継いだ現生人類は、受け継がない人より生き延びやすくなった。このことで現生人類の祖先たちは地球規模で広がっていけいたのである。だから、ペーボは言う。


 現生人類が世界各地に広がっていく過程で古い型の人類と交配するのは、例外的なことではなく、ごく普通のことだったと考えられる。


 とにかく私は門外漢のくせに、人類の進化に、そして遺伝子の研究に興味がある。私のわからないことばかりの話なので、この文章自体もふらふらしていてまとまりがない。
 でも現生人類の祖先とネアンデルタール人がセックスしていた、という話は興味津々であった。そんなことがあり得るんだ、という感じだった。
 ネアンデルタール人は現生人類の祖先よりもがたいが大きく、マッチョだったというから、ひ弱な現生人類の祖先の女性は憧れちゃったのかも。あるいはからだの大きなネアンデルタール人の女性に征服された感を求めた現生人類の祖先の男どもがいたのかもしれない。(最後は下世話だね)


スヴァンテ・ペーボ 著/ 野中 香方子 訳 『ネアンデルタール人は私たちと交配した』 文藝春秋(2015/06発売)

アリス・ロバーツ著『人類20万年遙かなる旅路』 文藝春秋(2013/05発売)

奈良 貴史 著『ネアンデルタ-ル人類のなぞ』岩波ジュニア新書 岩波書店(2003/10発売)
by office_kmoto | 2015-09-12 05:46 | Comments(0)

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