『月を見あげて』 〈第3集〉

d0331556_5363051.jpg 佐伯さんの身辺雑記を読むのは久しぶりだが、味わい深いエッセイは読んでいて心地よい。書かれた文章にはその時の月の形が描かれる。月の写真もいいものだった。身の廻りにある自然描写も季節の移り変わりを描き、昔からある風習などもさりげなく書かれている。


 ところで、柿の実を採った後には、木にわざと一つだけ実を残しておいたものだった。木守りといい、来年もよく実るようにという祈りをこめたとも、旅人のため、あるいは冬を迎える鳥の餌に残しておくのだとも教えられた。(柿の木)


 ところで佐伯さんはバスが好きだと書いている。そういえばこのシリーズで佐伯さんの生活が書かれるとき、バスに乗って目的地へ向かうことがよく書かれている。


 私はバスが好きで、自宅から街中へ出るときには、ほとんどバスを利用する。山形や盛岡、たまに鳴子や花巻などの温泉へ行くときにも決まって長距離バスに乗るようにしている。空いていれば、高校ときの指定席だった一番奥の左側の座席に座って、景色だけでなく車内の乗客たちの姿にも目を向ける。(休日はバスに乗って)


 午前中は、敦賀市内を小一時間かけて循環する「ぐるっと敦賀周遊バス」に乗った。なるべく初めての土地では、循環バスに乗るか、それがなければ高い建物や山に上るようにしている。そうするのが、町の規模や地理をつかむのに最も好都合だ、と三十年ほど前に週刊誌の記者をしていた頃に先輩から教わった。(ますほの小貝)


 私にとってこれまでのバスはあまりいい記憶がない。高校時代の通学のときのバスの混み具合はものすごいものだった。運転手も結構横暴で、乗車口の扉が閉まらないと、もっと前に詰めろ、でないと発車出来ないから、ときつい口調で言っていた。ときには何も言わず客が自主的に詰めて前に行くまで、いつまでもバス停で止まったままでいる運転手もいた。
 結婚して千葉の団地に一時住んだときも、駅までバスに乗った。この時も朝夕ものすごい混みようだった。とにかく時間に遅れまいと、前の扉が開いたら何とか身を入れて乗り込んだ。乗ってしまえばこっちのもで、バスはもう定員オーバーだから駅までノンストップで行く。停留所でバスに乗れない客の恨めしい顔が窓から見えた。こんな状態だから、雨に日は最悪で、ズボンに人の傘があたり濡れるのは当たり前。窓は蒸気でくもった。
 それにバスは最終が早い。この頃バスの最終時間を気にしながら団地に帰る。駅に着く前から時計を見て、まだ間に合うとなれば、下りたとたんダッシュでバス停に走る。私と同じ状況の人たちと競争しているみたいだった。それが間に合わなかったときの気持ちはやりきれない。行き先表示が赤くなったバスの後ろ姿を何度見送ったことか。
 そうなると乗り合いタクシーになる。乗り合いタクシーは一人で乗るより安い。ただ横に見知らぬ人が乗るので、気まずい雰囲気にはなるが。運転手が客を集めるため、外に出て、「○○方面の人」と声を出して客を集めていた。そういえばこの頃のタクシーの運転手も横暴であった。今でもあの駅では終バスが終わった後、乗り合いタクシーが止まっているのだろうか?確か住んでいた団地の近くまで鉄道が通ったはずだから、もうこういう風景はないかもしれない。
 あれから苦節数十年。今住んでいるところは駅まで歩いて行けるので、バスもタクシーも乗らなくなった。けれど仕事を辞めてからまたバスに乗るようになった。最近は時間も気にしない生活をしているものだから、余裕でバスに乗ることを楽しんでいる。500円の一日乗車券を買えば、何度でも乗れ、どこでも下りられる。だから先日など遠足気分で近くのバス停からお茶の水まで、どうやったらいけるか。どこで乗り換えたらいいかなんて、楽しんで行ってみた。バスが都心に入っていくのを窓から見ていると、ああ、この道はここまで来ているんだ。あるいはここに出るのか、なんて楽しめた。時間はかかるけどバスは楽しい。ちょっとした遠足気分になれる。
 この本で佐伯さんはバス好きにもってこいの本を紹介している。なんか面白そうなので、区の図書館のホームパージを開いて見ると蔵書がある。さっそく予約を入れた。


『月を見あげて 〈第3集〉』河北新報出版センター (2015/07発売 ) 河北選書
by office_kmoto | 2015-11-07 05:32 | 本を思う | Comments(0)

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