平田 俊子 著 『スバらしきバス』

d0331556_2140719.png この本は先に読んだ佐伯一麦さんのエッセイに紹介されていた本である。バス好きの佐伯さんが、バスラブの人にお勧めと書いていた。確かに著者のバス好きはなかなかのものだ。


 タクシーの中はバスよりせまい。バスが銭湯なら、タクシーは家庭のお風呂ぐらいだ。そして運転手は初対面の人だ。せまいところに初対面の運転手さんと二人きりでいると緊張するし、気も遣う。眠くなっても自分だけ寝るのは悪い気がして、無理して目を開けている。ずっと黙ったままだと緊張が増すから、天気の話なんかして車内の雰囲気をやわらげようとする。その一方で、かしゃかしゃ上がり続けるメーターに、あんた早く上がり過ぎなんだよと腹を立てなくちゃならない。緊張したり腹を立てたり気を遣ったりで、タクシーに乗るとまことに忙しい。降りたあとはぐったり疲れ、気分転換にバスに乗りたくなってしまう。バスは広いから一対一でも苦にはならない。
 電車は電車で問題がある。電車に乗ろうと思えば、駅までいって改札を通り抜け、長い階段かエスカレーターを上がるか下るかしてホームにたどり着かなければならない。ホームで電車を待っていると、もうすぐ電車がくるから下がりなさいとアナウンサーに命令される。電車に乗り込んだあとは、出発を知らせる音楽やベルがけたたましく鳴り響く。そこまで大げさにしないといけないものか。
 バスは近所のバス停からひょいと乗れるところがいい。風に吹かれてバス停にぼんやり立っていると四角い箱がどんどん近づいてきて、バスになって停まる。「お待たせしました」といいながら、運転手さんは扉を開ける。待っている人がほかにいなければ、扉はわたしだけのために開けられる。お嬢様か社長になった気分だ。


 バス停の前を通りかかったとき、バスがいなければいい。でもたまたま停車していて、どうぞお乗りくださいというように扉が開いているとふらふらバスに吸い込まれそうになる。お酒の好きな人が赤ちょうちんの前を素通りできないのに似ている。


 と書く。確かにバスはタクシーや電車からすれば人間的かもしれないし、気楽に乗れる交通機関かもしれない。しかし良い面ばかりじゃない。


 バス停に立っていると、すぐそこにバスが見えているのにこないからもどかしい。


 バスを待っているとき、バスの来る方向へ道路を眺めることがある。特になかなかバスが来ないときなど、バス停から乗り出して見てしまう。この時よく感じることだ。バスは道路の混み具合に左右される。時間が読めないのが困る。
 最近はバス停に乗るバスがどの当たりにいるのか標されるのが多くなったが、この情報がかえってイライラさせる。バスがひと停留所前にいると表示されているのに、なんでこんなに時間がかかるんだ、と感じてしまう。
 昔のように時刻表だけだったら、遅れていても、まあもうすぐ来るだろう、と思えたのに、近々の情報が提示されると、待ってられないのだ。知らなくてもいい情報もあるということだ。


 私は著者のことはよく知らない。あくまでも佐伯さんの本を読んでこの本のことを知っただけだ。著者の略歴を見てみると、著者の生まれは1955年とあった。ということは私より一つ年上だ。そんな女性が書く文章じゃないな、と感じた。感性が若々しい。著者は詩人でもあるようで、そこいらがこんな文章を書かせるのかもしれない。読んでいてそんな瑞々しい文章は心地よかった。
 ところで著者が大好きなバスに乗って外の風景を楽しんでいるときに、スカイツリーが見える。その時当然スカイツリーを見てしまう。そして思うのだ。


 スカイツリーはどこからでも見えるから困る。つい気を取られて、ほかのものを見逃してしまう。


 これは確かに言えている。スカイツリーは東京にいると、特に私が住んでいる下町なら、あちこちで見える。見えるとそっちに気が取られる。呆れることに、ちょっと変わった見え方などすれば、スマホを取り出して写真を撮ったりする。だからこの文章には思わず苦笑してしまった。


平田 俊子 著 『スバらしきバス』 幻戯書房(2013/07発売)
by office_kmoto | 2015-11-10 21:41 | 本を思う | Comments(0)

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