平成27年11月日録(上旬)

11月1日 日曜日

 はれ。

 孫と近くの親水公園へどんぐりを拾いに行く。孫はどんぐりが大好きだ。以前オングリザという糖尿病の薬があるそうで、その薬の名前からどんぐりが医者の格好をしているぬいぐるみをもらってもらったことがある。孫にそれを渡すと大いに喜んで「ドングリ先生」といって遊んでいる。
 去年もどんぐりを拾っているが、今年も拾いに出かける。今日はこれまでと違い形の変わったどんぐりが見つかった。見つけたどんぐりは四角っぽい。いわさゆうこさんの『どんぐり見聞録』を見てみると、どうやらクヌギの実のようだ。今まで見つけたどんぐりはアラガシ、ナラ、コナラの実で、いわゆる一般的などんぐりの形だ。
 今までのどんぐりと形が違っているので孫は喜んでいた。


11月2日 月曜日

 雨。

d0331556_553637.jpg 北尾トロさんの『猟師になりたい!』(信濃毎日新聞社 2014/08発売)を読む。
 この人、ネットの古本屋から始まり、以来出版業界にあれこれものを言う人になったり、裁判傍聴に出かけたり、人がやらないことをやって、まあ何かと忙しい人だ。きっとじっとしてられない人なんだろう。
 今回松本に移住して、ここでしか出来ない何かをやってみようということで、猟師になろうと、銃の免許を取ったり、空気銃の所有許可を取って、実際に銃を撃つ。
 どうして猟師なのかが、疑問符が付くが、まあこの人、人のやらないことを思いつく人なので、これも“あり”なんだろう。
 それでもトロさんも歳をとってきているので、昔よりは腰が重そうだ。


 好きなことができたら、幾つからでも始めていい。夢中になっていい。そこには、その人の「いま」がある。若いうちなら「いま」を抑え込んでも、つぎつぎ新しい「いま」が涌きおこるだろう。55歳はそうじゃない。夢を見るには気力がいる。腰を上げるには体力がいる。抑え込んだらつぎはないかもしれないのだ。


 どうしてもこんな文章に惹かれてしまう傾向がある。自分の中で歳をとったことに同感を求めてしまうのだ。
 ところでわざわざ生きているものを殺す必要はどこにあるのだろう、というのが猟師に対する疑問である。もちろんそれを生業にしているなら、生きるためという理由が付く。あるいは駆除という名目があるなら、それはそれで必要だ、というくらいはわかる。しかし趣味で生きているものを殺すというのは、どこかおかしいという気がつきまとう。
 ここでもトロさんはじゃあ、牛や豚、あるいは鶏を殺してその肉を食べているじゃないか。魚だってそうだろう。そうして生き物を殺しておいて、猟師は無用な殺傷をしていると非難するのはおかしいじゃないか、という話に持って行く。確かにこの論理一見筋が通っているように見えるが、そこには「殺す」ということでは同じじゃないかということにしてしまっている。でもそういうことではない。問題は必要もないのに生きているものを殺すというところなのだ。そこに非難の的がある。まして趣味となれば、なかなか受け入れにくい。ここのところをトロさんは中途半端にしてしまっている。猟師になる!という意識のみが先行してしまっていて、置き去りにしている感じがあった。


 買ってきたものはうまい・まずい、安い・高いで終わってしまうけれど、自分で手に入れたものには、“物語”がついてくる。


 確かに猟師という話を置いといて、自分で育てたもの、手に入れたものには、その過程に物語がある。


 ここのところ図書館で本を借りてばかりいるため、自分の本棚にある本を読んでいない。正直なところ、今自分の本棚にある本が“重たく”感じてしまっている。読みたいのだけれど、どこか“読まなければならない”というような義務感みたいなものが生じている。読んでしまえば、夢中になるのだけれど、その取っかかりがうまくできない感じだ。
 でもこれから腰をすえてじっくりと本棚の本に向かいあいたいと思っている。ちょっと図書館の本は休憩だ。といってもこの本の続巻を予約しているが・・・・・。


11月3日 火曜日

 はれ。

 昨日は雨で寒かったが、今日天気になり、日差しが戻ってきて、幾分暖かかった。とはいえもう11月である。朝晩は寒くなった。
d0331556_5541457.jpg 森鴎外の『雁』(新潮社 1985/01 七十六刷 改判 新潮文庫)を読み返す。以前読んだ森まゆみさんの『鴎外の坂』で、この小説のことが書いてあり、気になっていたのだ。最初に読んだのはいつだったろうか?話の内容をほとんど忘れているので、読み返してみたいと思っていたのだ。
 正直なところどうってことない物語に感じた。
 一度結婚に失敗したお玉は高利貸しの末造の“囲いの女”として生きていく。そこに岡田という学生がお玉の住んでいる無縁坂の家の前を散歩していて、何度か行き来しているうちにお互いが意識しあう。
 お玉は岡田を意識するうちに、自分の“自我”に目覚める。


 お玉は父親を幸福にしようとして人の妾になった。そしてそれを堕落せられるだけ堕落するのだと見て、その利他的行為の中に一種の安心を求めていた。しかしその檀那と頼んだ人が、人もあろうに高利貸であったと知った時は、余りの事に途方に暮れた。そこでどうも自分一人で胸のうやもやを排し去ることが出来なくなって、その心持を父親に打ち明けて、一しょに苦み悶えて貰おうと思った。そうは思ったものの、池の端の父親を尋ねてその平穏な生活を目のあたり見ては、どうも老人の手にしている杯の裡に、一滴の毒を注ぐに忍びない。よしやせつない思いをしても、その恩を我胸一つに畳んで置こうと決心した。そしてこの決心と同時に、これまで人にたよることしか知らなかったお玉が、始て独立したような心持になった。


 というわけで、後半はお玉が自分が囲われているが、その中で自分の気持ちに正直なることを選択していく。まあ檀那である末造に対してしたたかになっていくわけだ。それも家の前を通る岡田の姿がお玉にそうさせる。一方岡田も無縁坂にいるお玉が気にかかるが、最後は自分の生きる道に従いドイツへ留学していく。結局二人の仲はそれ以上進まないことになる。
 話にはそれぞれ伏線が張ってあり、いろいろ意味がとれるそうだが、正直なところ私にはそこまで深読みできない。単純に読んでいて、これだけの話で、それほど面白いとは思えなかった。
 むしろ私はこの物語の構成の仕方に“つぎはぎ感”が気になって仕方がなかった。物語の語り手は一応岡田の友人である「僕」なのだが、その「僕」の話の展開の仕方がちぐはぐに感じてしまった。
 この物語の書名である『雁』とは、たまたま「僕」と散歩に出た岡田が不忍池にいた雁に石を投げたら当たってしまい、死んでしまった。ちょうど岡田の留学が決まったときであった。そんな雁の不運をお玉にかけた形になっているため、この書名となったのだという。なるほどそうやってこの物語は読まなければならないらしい。
 無粋な私は、ちょっと投げただけの石が当たったくらいで雁は死ぬだろうか?と思うくらいしか出来なかった。

 『街道をゆく』 のDVDの7巻目を見終える。


11月5日 木曜日

 はれ。

 どうやら風邪をひいたみたいだ。からだがだるいし、喉は痛いし、鼻水、咳が出る。仕方がないので今日一日、ベッドので横になりつつ過ごす。
 先日神保町の古本祭りで買った吉村昭さんの『精神的季節』を読み終える。


11月8日 日曜日

 雨。

 完全に風邪を引いた。喉が痛く、鼻水は出は、咳も出る。そのため一日寝込んでいた。


11月9日 月曜日

 くもり時々雨。

 相変わらず風邪でダウン。何も出来ずにいる。仕方がないので録画してあった「下町ロケット」を見るだけなら何とか時間をうっちゃれると思い、見ていたら4話まで全部見てしまった。夢中になってしまった。特に経理部長の殿村さんがいい。どこか自分が仕事をやっていた時と似ていた。
 自分も殿村さんと同様に外様で、違う部署から経理で仕事をするようになったので、現場の人間から疎まれた。まして数字は正直だが、それからものを言うと、とことん嫌われる。
 殿村さんが佃社長と一緒に銀行に融資をお願いに行く場面があるが、私も似たようなことをしてきた。中小企業が生き残るための苦労は身に沁みて知っているので、見ているうちに涙が出てくる。


11月10日 火曜日

 雨。

 今日は月一の病院。先日の胃カメラ検査で取ったポリープの結果も聞く。ついでに風邪がなかなか治らないので、喉の痛み止めや咳止めなどの薬も一週間分出してもらった。 とにかく調子が悪くて、本を読む気が起こらない。でも何か本を手にしていないと不安な部分も有り、南木さんのエッセイならこんな時でも読める気がしたので、以前図書館で借りて、手元に欲しいなと思い買い求めた古本をのんびり読み始める。


11月11日 水曜日

 はれ。

 何か久しぶりの晴れだ。庭が落葉でひどい状態になっているのだが、風邪がまだ治らないので、窓からその状態を眺めている。
 朝だけ図書館に行き、予約してあった司馬遼太郎さんのDVD2本と北尾トロさんの本1冊を借りに行く。図書館まで往復20分くらいなのだが、歩いていてからだが重いことがわかる。まだまだ本調子になっていない。
 昨日から読み始めた南木佳士さんの『天地有情』を読み終える。今度は自分の本として読んだことになる。
 前回はどう感じたのだろう、とブログで検索して書いた文章を読んでみた。引っかかった文章は前回と似ていて、同じ所に付箋を付けている。そのいくつか同じところに付箋を付けた文章で特に気に掛けておきたい文章は、


 生きるっていうのは、きっとだれかしら憎まれ続けることなのだ(くしゃみ)


 しかし、人生が復路に入っているのを明確に自覚する今日このごろ、往路でほったらかししてきた私の過去の世界の細部をときにきちんと見つめ直してみようと努めている。(井戸)


 この二つの文章は今の自分が抱えていることと同じだと改めて実感する。新たに気になる文章も書きだしておく。


 リラックス。
 わが人生に最も欠けていたのはこの状態だった。いつもなにかにせかされて生きてきた。生きてあることそのものを楽しむゆとりはなかった。その余裕のなさが病的に昂じると焦燥感になる。居ても立ってもいられないほどいらいらしてくる。こういう感情にふり回された日々の記憶が鮮やかなので、いつの間にか心身が平穏でさえあればほかになにもいらないと確信するようになった。(定年を待ちながら)


 病者の思考は明日への楽観を欠くぶん、きょう一日の生活の積み重ねでしかない人生の本質に迫りやすくなる気がする。(ランプ)


 みんな落とし物を探しあぐねているような目をしている。(ランプ)


11月12日 木曜日

 くもり。

d0331556_559216.jpg 北尾トロさんの『山の近くで愉快にくらす―猟師になりたい!〈2〉』(信濃毎日新聞社 2015/10発売)を読む。前回の第二弾。
 前回は猟師になって初めての狩猟期間の記録で、今回はその二シーズン目の話である。猟師としてのその腕前は上がったのだろうか。
 結局頭であれこれ考えすぎて、うまく獲物にタマがあたらない。読んでいるうちになんだか能書きが多いなあと思ってくる。
 もともとこの人あれこれ考えすぎる傾向のある人で、そこが面白いのだけれど、時にうざったくもなったりする。
 猟にかぎらず何でもそうであろうが、腕前を上げるには、場を多く踏むしかないわけで、ここはあれこれ考えるところじゃないだろうと思ってしまった。

 前回も書いたが、私は趣味で狩猟をする人に、好感が持てない。どんなことがあっても必要のない殺生をすることに賛成できないのである。だからいつもトロさんのチャレンジは楽しく読ませてもらっているけれど、今回はどうしても批判的になってしまうのかもしれない。

 今回の風邪は長引いている。いつまで経っても咳は出るは、鼻水は出るはで、しかも薬の影響で頭はボーッとして、何もする気力が起こらない。一日中ベッドで横になっているものだから時間のメリハリがなくなってくる。こんなに風邪が長引くのはここしばらくなかったと思う。




11月15日 日曜日

 くもり。

d0331556_605364.jpg 相変わらず体調が良くない。本も堅苦しいものは読む気もなれないので、何か推理小説みたいなものでも読んでみようか、と本棚を物色していたら髙村薫さんの合田雄一郎シリーズを読み返すつもりで最初の『マークスの山』は読んでそのあと読んでいないことに気づき、『照柿』の上巻(新潮社 2011/09発売 新潮文庫)を取り出して読み始める。
by office_kmoto | 2015-11-18 06:02 | 本を思う | Comments(0)

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