森 まゆみ 著 『鴎外の坂』

d0331556_5233380.jpg 本を読んでいると、ときたまその内容とはまったく関係なく、書かれていることが他のことと結びつくことがある。たとえば以前読んだ本の内容が「このことか!」とか、あるいは昔経験したことや、聞いた名前が結びついたりする。こういうのも本を読む上での楽しみともいえるかもしれない。
 この本でもこの経験をした。
 鴎外の『雁』にあるお玉を囲っていた末造の成り上がりぶりがここに書かれている。


 末造は東校とよばれた大学医学部がまだ下谷にあったころ、寄宿舎の小使いであった。学生の「羊羹」と「金米糖」すなわち焼芋とはじけ豆を買う外使いなどしていたものが、小金を貯めて学生に貸すようになり、一人前の高利貸になった。
 これは主に学生が遊里での遊興費に借りたのであって、根津遊郭で遊ぶ者には池之端の事務所、吉原で遊ぶ者には竜泉寺の出張所が対応していた。


 以前同じ森さんの本で根津の遊郭で東大の学生が勉学より、あちらに励んじゃって、当時の文部省が頭を抱えてしまい、それが根津遊郭の移転につながったことを知ったことを書いた。これである。つまり借金までして遊郭に遊び回る学生がいて、末造はこのお陰で高利貸しとなり妾を囲える身分になったわけだ。
 『雁』を読んだのはだいぶ前のことで、末造がどうして高利貸しになっていったかなど忘れていたが、この森さんの文章を読んで、そうだった!と思い出す。末造と根津遊郭が私の頭の中で深く結びついたのである。
 またこの本で昔聞いた名前の人が出てくる。『青年』のなかに根津界隈を地名を詳しく記述していてそこに「その隣に冠木門のあるのを見ると、色川国士別邸と不格好な木札に書いて釘附けしてある」という文章があるらしい。それで森さんは色川国士って誰なのか疑問を持っていた。そうしたら色部義明という人から手紙をもらい話を聞きに行ったとある。
 この色部義明という人、名前だけはよく知っている。この人は協和銀行(現りそな銀行)の会長であった人だ。当時協和銀行の本店は大手町の大洋漁業ビルにあって、私がいた本屋の支店がここの四階にある売店の中にあった。そしてこの会長さんが本を書き、それが全国の支店から注文が来て、この店の売り上げにかなり貢献していたのを、店長をやっていた同僚から聞いていたのだ。
 この本がこの店で売れたのは、たぶん支店の幹部たちが会長の書いた本なら読まねばならない、買わなければならないという、仕方なしで買う羽目となったものと思われる。 こんなことは忘れていたことであったが、色部義明という人の名前が妙なところ出てきたので懐かしく思い出した。
 どうでもいいことを書いてしまったので、ここで色部義明さんが話されたことを書いておく。色部さんの父親は赤松良則の四男で色部太夫に養子に出された。そして赤松良則の長女が鴎外の最初の妻登志子である。つまり色部さんの父親は鴎外の義弟に当たることになり、鴎外の長男於菟とは従弟となる。
 色部さんは森さんに於菟さんとは年が違うものだからあまり遊ばなかった。むしろ妹や弟とよく遊んだ、と言われている。「鴎外さんはおっかなくて私はあまり行かなかったな」とも言っておられたそうだ。

 この本は森鴎外の評伝なのだが、森さんが根津界隈の坂を歩く鴎外を思いながら書かれている。そのため以前根津神社へ行ったとき、不忍通りにあったお店の前にあった「根津権現かいわい浪漫ちっくマップ」という地図がまた役に立ち、それを見ながらなるほどこの辺か、と場所を特定し、鴎外と関わった女性たちのことを読んだ。
 鴎外は津和野から出て来た成り上がりであるから、家族揃って特に母親が森家が隆盛が大事であった。そのため長男の鴎外には何より気をつかった。鴎外が出世することが森家の隆盛につながるからだ。だから鴎外の妻となる女性との関係も複雑さを呈することとなる。嫁と姑の関係の悪化など、鴎外もかなり気を揉んだらしいことが書かれる。
 ちなみに『雁』のお玉は、鴎外の最初の妻登志子と離婚してから、次の妻となるしげの間にいた母親公認の愛人である児玉せきがモデルではないか、と森さんは推測している。
 本にはせきの写真が載っている。「いわゆる狐顔だが、それが驕慢にはなっていない。すずしい淋しげな顔」と森さんは書いているが、確かにそんな感じだ。こんな女性が囲われて無縁坂の一画に暮らしていたのだろうか。
 この本の最後にある鴎外の子煩悩さは微笑ましい。


森 まゆみ 著 『鴎外の坂』 新潮社(1997/10発売)
by office_kmoto | 2015-11-23 05:26 | 本を思う | Comments(0)

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