髙村 薫著 『レディ・ジョーカー』〈上〉〈中〉〈下〉

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 この本も昔読んでいる。ただ読み返してみてこんなに複雑な話だったかな、と驚いている。
 事件は競馬場で知り合った5人が1兆円企業である大手ビール会社日之出ビールの社長の誘拐を企てるところからはじまる。彼らはいずれも自分たちが住んでいる社会や生活に得体の知れない不満を抱えていた。
 話はとにかく複雑化しており、どこから書き始めたらいいのか難しい。ただ下地として、日之出ビールは過去に同和問題を抱えており、それを公にした手紙の存在があり、その手紙を書いた主が今回誘拐の首謀者薬局店主物井清三の兄であった。
 そして物井清三の孫の孝之が日の出ビールの採用試験を受けたが、この同和問題によって不当な差別を受け、不採用となっていた。
 さらに孝之には付き合っている女性がいたが、その女性の母親は日之出ビールの社長の妹であった。
 孝之はその後交通事故で亡くなる。
 息子の不採用に疑問を持った父親が息子の不採用の理由を会社に問いただすが、そこに例の手紙が父親の前に現れ、今度は疑問を問いただすだけで済まなくなっていく。
 結局この父親も自殺してしまうのだが、これらのことが物井の中に眠っていた悪鬼を呼び覚ましてしまった。

 物井をはじめ警視庁刑事、トラック運転手、旋盤工、在日朝鮮人の信用金庫職員は、日之出ビールの社長城山を誘拐した。それぞれの特技を生かして計画された誘拐劇であった。
 社長の誘拐が判明して警察は動くが、犯人達からの要求は何もなく、城山は56時間後解放されてしまった。警察は犯人達の動機がわからなかったが、城山は自社のビールを人質に犯人たちから20億円の身代金を要求されていた。ただ警察には6億円の身代金が要求されたという嘘を伝えることを言いくるめられていた。
 その後日之出ビールに異物が混入さたビールが見つかり、6億円の身代金の受け渡しが始まる。しかし3回の受け渡しは嘘であった。犯人たちは社長の城山と特別なコンタクトを持っていて、20億円の受け渡しが影で始まっていたのである。
 合田雄一郎は日之出ビールの社長城山の警備と動向を探るように警察幹部から指示される。
 合田は社長誘拐がこうもうまくいったのは、犯人たちに警察関係者がいるのではないか、思っていたが、結局20億円は犯人の手に渡った。
 しかしこの事件はこれだけで済まなくなり、形を変えて社会の裏側に波及していく。日之出ビールの過去にあった同和問題。そして企業テロ。総会屋への利益供与の問題。日之出ビールの株の下落から仕手筋の株屋による株価操作に及んでいく。
 さらにそれそれの組織に関わる人物たちに複雑な人間模様を呈していく。20億を手にした犯人たち。日之出ビールの幹部たちの対応とやりとり。犯人を追う合田たち警察と、加納がいる検察。さらに事件を追う新聞・マスコミなど、そこで繰り返される誘拐や恐喝、強請、詐欺、殺人、失踪、自殺が話を複雑化する。そうして社会の闇を浮き彫りにしていく。


 一兆円企業の社長を逮捕監禁し、数億の現金を要求し、三回にわたる現金受渡未遂を繰り返した上に、商品へ異物を混入して世間をパニックに陥れ凶悪犯レディ・ジョーカーが、こうしていま、もっとも大きな構造的な不正をめぐる動きに呑み込まれてゆこうとしているのだった。


 私は20億円をせしめても犯人の物井が感じるむなしさが、犯罪を成功させても喜びに変わらないことに考えさせられる。


 年を取るというのは、何かしらぞっとするようなことだ。一つ一ついろいろなものを失っていくのは仕方がないにしても、失ったあとを埋め合わせるものがないのが老いだ。


 さらに誘拐犯人に加わった現職の刑事半田とそれを追う合田が、警察組織に心を壊していく。誘拐犯と刑事の差があっても、その差を生んだ過程は変わらない。どこで留まるかだけである。


 上から黒だと言われたら、下は「はい」と言い、白だと言われても「はい」と言うのが警察だ、と半田は腹のなかで考えた。そうして、かたちばかりの「はい」を一つ吐くたびに、自分の尊厳が破壊される。


 駅まで歩く間、背中に張りついているもう一人の自分が<そのうち辞めてやる>と去勢を張っていた。半田は鼻白みながら、<そう言い続けて何年だ>と思った。己の尊厳や自信はせいぜい夢想の中で挽回して、明日も明後日もとにかく働くしかないのが現実だった。


 さあ、半田という獲物が視野に入ったぞ、追え、追え、という声は聞こえるが、頭も身体も鈍く、重く、何を考え込むわけでもないのに、自分はこうして立ち止まっているのだった。毎日毎日<仕事に打ち込めば忘れる>と自分に言い聞かせてきたが、このまま、自分はほんとうに刑事を続けられるのか、と合田はいまもまた自問した。


 人は組織に属することで生き延びられるが、一方で心はこうして組織に自己を壊される。だから自分の夢が本当の夢でなくなり、夢を見ることが、現在の自己を回復する手段になってしまい、それで何とか自分を持ちこたえていく。やりきれない。
 話は飛んでしまうが、テレビの「下町ロケット」を見させるものは、こうして自己崩壊してしまいかねない人々が、ドラマの中で見せる一発逆転がスカッとさせるからだろうと思う。それくらい組織や社会が人の心を蝕む。
 とにかく上中下と1500ページ以上の大作に完全に呑み込まれてしまった。出だしこそ長い前置きにうんざりしていたが、読む進めるうちに、事件の思わぬ展開と、これでもかというくらい社会の闇、人の心の闇が描かれ、圧倒されてしまった。


髙村 薫【著】『レディ・ジョーカー』〈上〉新潮社(2010/04発売)新潮文庫

髙村 薫【著】『レディ・ジョーカー』〈中〉新潮社(2010/04発売)新潮文庫

髙村 薫【著】『レディ・ジョーカー』〈下〉新潮社(2010/04発売)新潮文庫
by office_kmoto | 2015-12-08 18:11 | 本を思う | Comments(0)

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