南木 佳士 著 『ふつうの医者たち』

d0331556_5283894.jpg この本は南木さんがパニック障害になってから回復傾向にある頃、人と話したい、という気持ちになってきたこと。またいつもは患者の話ばかり聞いてきたので、南木さんのまわりいる、マスコミに名の売れた特別な技術をもった医者ではなく、「生きた人間相手であるがゆえにさまざまな矛盾に満ちた医学、医療の分野で奇をてらわす、独善に陥らず、誠実に自分の仕事を為している医師」と話してみたい。そうすれば自分が病んで落ちこぼれの医者になって失ったこともたくさんあるが、逆にそうなったことで何かを得た気もするから、それを対話することで知りたい、とその動機を書いている。
 ここにあるのは医師として仕事をする上で、死というものが見えないものではなく、現実として各々に降りかかるものだ、という認識である。


 医者なんてそこいらの医者もの小説に出てくるみたいにかっこいいもんじゃないんだぜ。美人看護婦もいなけりゃあ、なんもねえ。あるのは死だけだ。世間のみんながあたかもないもののように毛嫌いしている死だけがゴロゴロころがっている。これが医者の世界の現実なんだ。
 私が小説を書き始めたのはこの事実を誰かに分かってもらいたかったからだった。
 人っていつか死ぬもんだぜ。
 この実感を、あたかもおれだけは死なないんだとでも言いたげに肩で風を切って生活している人たちにそっと伝えたかったのである。


 どうしても親父の後ろででんと控えている死を見てしまうんです。家の中に死を予感させる人がいるというのは、とても重苦しいんですね。介護者の大変さというのは、実際にやっていることの大変さもあるけれども、もう一つ、家の中に、ふだんは目を背けていた死が入り込んでしまうことにもあるような気がするんです。(在宅医療の理想)


 南木 ねえ、こんなに死を見る仕事だとは・・・・・。
 皆川 死を見る仕事だっていう予想はしていましたけれど、助ける仕事じゃないんだなっていう実感は、医者になって初めて持ちました。
 南木 うん、もっと助ける仕事だと思いましたよね。助けるところに関わることがいっぱいあるもんだと思っていたのに、実はほとんどないんですね。(文学か医学か)


 ただ、いずれにせよそこでめげてしまうと、次の患者さんを診にくくなるよね。だから、タフでないと医療は続けられない。死を他者のものとして乗り越えていけるような医者じゃないと医療は長く続けていけない。そういう逆説的なところが実際の医療現場にはありますね。(文学か医学か)


 芸能人がガンの手術をした。あるいはガンで死んだ、というニュースがここのところ頻繁に流れているけど、別に今回が特別なわけでもない。日々多くの人が死んでいるのである。
 またガンにかからないためにはなんていう番組も頻繁にやっているけれど、さすがにこの歳になってガンでは死にたくないなんて思わない。なっちゃったらしかたがない。ガンにかぎらず他の病気や事故で死んでも、それなりの年数を生きてきたのだから、それはそれで仕方がないな、と思う歳になっている。それを寿命と諦められる歳になってきた。だからありのままの死を、その生死感を聞いてみたいと思う。

 南木さんの既存の著作はこれで全部読んでしまったことになる。あと最新刊が出たのでそれも手に読んでみるつもりだ。
 そしてこれから先、この寡作な作家が自分がたどってきた道ばかり追い続ける作風に徹するのか、それとも南木さんの人生とともに進行していく形で、歳相応、日々の変化を綴っていくのか、さらに新しい試みをするのか、それを楽しみしている。


 南木 佳士 著 『ふつうの医者たち』 文藝春秋(2003/02発売)文春文庫
by office_kmoto | 2015-12-14 05:31 | 本を思う | Comments(0)

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