平成27年12月日録(上旬)

12月5日 土曜日

 はれ。

 孫たちが来る。今年もよく来てくれたと思う。例によって孫は元気にはしゃぎまわっている。外では自分が植えたチューリップが小さな芽を出しているのを目ざとく見つけ、私たちに教えてくれた。見てみると確かに小さな芽が二つ出ていた。
 家の中では二階のロフトに上がって、“秘密基地”と称して遊んでいる。このロフト、我が家では収納場所が少ないので、長い間物置化していた。だから子供たちはここでそれほど遊んでいない。
 しかしこの家で暮らす人間が少なくなり、必要ないものと化したものを処分すると、意外に広いスペースが出来た。そこに孫が目をつけ、遊び場所としたのである。
 子供はこういうのが好きなのはよくわかるが、さすが2時間近くそこで遊んでいるのに付き合うのは疲れる。


12月7日 月曜日

 はれ。

 髙村薫さんの『太陽を曳く馬』の下巻をやっと読み終える。この本本当に読むのに疲れた。
 ところでこの本のことを書くにはどうから、どのように書いたらいいのか、頭を痛める。テーブルには上下巻積み上がったままである。


12月8日 火曜日

 くもり。

 先月の中旬に風邪を引いて、それが長引き、完全に今までのペースが乱れてしまった。そこに大阪に行きで、その準備やら、その後の整理など、時間を取られることが多かったので、先月からぐしゃぐしゃである。
 本も思うように読めないし、こうして文章を書くのも億劫になっている。書くだけではない。ブログにアップする原稿(そんな大それたものじゃないのだけれど、そういうしかないから)は溜まっているから何とか使えるのだが、それだってアップするに当たり、多少の修正もする。しかしそれさえも思うように出来ない状態である。文章を直しているうちにだんだんおかしくなっていくのがわかるのである。
 いくら好きでやっていることとはいえ、ある程度体調も良くないといけないし、時間的な余裕もないとできるものじゃないと思い知る。なんだかこのまま調子が今ひとつのまま終わってしまいそうな感じがしてしまう。

 飲んでいる薬がなくなるので、病院へ行く。これが今年最後になる。その後ヨーカドーへ行き、そこのレストラン街で元気が出るようにと、ひれかつ定食を食べてみた。
 孫のクリスマスプレゼントを買うために寄ったのだが、希望していたものがなかった。
 結局家に帰ってからAmazonで注文する。今回はAmazonでのラッピングは頼まないことにして、こちらでラッピングをすることにした。Amazonのラッピングは大したものじゃないくせに、それなりの金額を取るので、馬鹿らしいと思っていたのだ。


12月9日 水曜日

 はれ。

 今朝は寒かった。今年は暖冬だと言うが、やはり12月である。初冬の寒さを感じる。
 
 村上春樹さんの『ラオスにいったい何があるというんですか?』を読み終える。

 先日読んだ養老孟司さんの『手入れという思想』を購入。この本、なかなか示唆に富んだ本で、もう1冊の本と一緒にまとめて感想を書こうと思っていたのだが、うまくまとまらず、とりあえずこの文庫本をもう一度読んでから書いてみようと思ったのだ。
 今年は図書館で借りて読んだ本が、手元に置いておきたいというもに変わったものが多かった。

 昨日Amazonに注文した孫のプレゼントが届く。早い。


12月11日 金曜日

 雨のちはれ。

 朝方かなり強い雨が降ったのだが、その後南風が強く吹き始め、日が照り出すとなんと12月だというのに最高気温が24.1度になったという。
 夜は今度は北風に変わり、そのまま強く吹いている。
 とにかく強い風のお陰で、落ち葉が庭一面に広がってしまっている。風がいつまでもおさまらないので、庭掃除は明日にすることにする。明日は大変だ。
 風が強かったせいか、急に鼻水が出始める。花粉症みたいになってしまった。

 今日の新聞広告に『没後20年 司馬遼太郎の言葉』というムックが発売されたことを知る。さっそく行きつけの本屋さんで購入する。
 しかし司馬さんが亡くなられてもう20年になるのか。司馬さんは「21世紀に生きる君たちへ」で「私の人生は、すでに持ち時間が少ない。例えば、二十一世紀というものを見ることができないにちがいない」と書いていたのを思い出す。

 このムックのページををめくってみると、司馬さんの本棚が巻頭ページにカラー写真である。たぶんここにある本はほんの一部なんだろうな、と思うけれど、それでもすごい量の本だ。確か大阪にある司馬遼太郎記念館には司馬さんが抱えていた本がズラリと並んでいたはずだ。それを写真で見たことがある。
 実は先日大阪に行ったとき、この司馬遼太郎記念館に寄りたかった。
 さらにこのムックの最後には司馬さんの本の初版本一覧がカラー写真で載っている。これもじっと見入ってしまった。こうして好きな作家の本の展示は見ていて楽しい。
 ちょっと前に台東区立中央図書館内にある池波正太郎記念文庫に行った時も、そこに展示されていたも池波さんの著作もじっと見入っていたものだ。こういうのは大好きだ。
 来年は吉村昭さんの著作が展示されている日暮里の図書館に行ってみようと思っている。

 吉村昭さんの『わたしの普段着』を読む。


12月13日 日曜日

 雨。

 インターネットエクスプローラに「お気に入り」というのがある。要するに自分がよく行くサイトをここに登録しておけば簡単に行けるというやつだ。ただこの場合「お気に入り」だけでなく、必要に迫られて使わなければならないサイトも登録される。だからそれが不要になれば、整理することになる。
 そんなことをしていたら、あるサイトがそこにあった。私がいた会社を買収した親会社のサイトである。もちろんもうこれは必要ないので、削除しようと思ったのだが、削除する前にもう一度見てみた。
 会社案内に本社の所在地が記載されている。住所、電話はかつて私が使っていたものとまったく同じだ。そういうことか。この会社の本社が移動してかつての私がいた事務所に移ったのだ。そして電話番号、ファックス番号はそのまま使っちゃっているわけだ。電話をかければ、その会社の名前が言われるだけなのだ。こういうのって変えないものなんだ。自分が長いこと使ってきた電話番号がそのまま存在し、その番号を他の人間が使っているというのは不思議なものだ。私にとっては、なんだよなあ、こんな中途半端な形で残すなあ、という気分であった。つまらぬものを見てしまった。


12月15日 火曜日

 くもり。

 2017年の4月から消費税が10%になるに当たり、軽減税率を導入することになっている。その線引きを生鮮食料品までとするか、それとも加工品まで加えるか、そして外食も加えてしまえ、なんてすったもんだした結果、8%据え置きは加工品までと決まったようだ。
 で、ニュースでは加工品まで軽減税率とすると、1兆円予算が足らなくなり、その財源をどうするか、なんて話になっている。
 でちょっと不思議なんだけど、その税金が8%であれ、10%であれ、これから徴集されるわけで、取ってもいないのに財源が足りないって、どういうことんだろう。つまり使う方は税金徴収前にあれこれ決めてしまっているから、そんな予定じゃなかったということなのだろうか?
 でも変な話ではないか。お金を使う場合、入ってくる予定でも、もしかしたら入ってこないことだってあるわけだし、だいたいが手元にあるお金でやりくりするのが普通じゃないか。要するにこれは入ってくる金額を見込んで、先に使っちゃっているということ?だから税収不足で予算が足りないということになるのだろう。
 もちろん何でも予定を立てなければならないことはわかる。中長期的ビジョンとやらも必要でしょう。でも予定は未定であって確定ではないのだから、変更や修正は伴うものだろう。財源が足りないと言うのは、それが出来ないということなのか?

 アーナルデュル・インドリダソンの『声』を読む。なかなか面白かった。

 年賀状の印刷をする。
by office_kmoto | 2015-12-16 06:36 | 日々を思う | Comments(0)

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