平成27年12月日録(下旬)

12月17日 木曜日

 くもり。

 年賀状を書く。昨年から近況を書くことにしている。しかし書いているうちに自分の字の下手さに呆れてしまう。この歳になってこんな字しか書けないのは情けない。せめて丁寧に書くことだけは心がけているが、それでもこれだもんなあ・・・・。
 こうして文章を書いていても、下書きは殴り書きだし、あとはパソコンで打ち込んでしまうから、こんな字しか書けなくなってしまったのだ。


12月18日 金曜日

 はれ。

d0331556_10511318.jpg 湯浅浩史さんの『植物でしたしむ、日本の年中行事』(朝日新聞出版 2015/06発売 朝日文庫)を読み終える。
 日本の四季折々にある行事には植物がいろんなところで関わっていることを改めてしるが、如何せん草木を知らなすぎるので、実感がわかない。この2年間ネットや図書館で調べたりして、覚えた草木の名前もあるけれど、ほんの少しだ。
 それを知ってどうなるというものではないだろうけど、知っていればそれを見て、より身近に感じることができることは間違いない。草木を身近に感じることができるというのは案外いいものだと思う。
 それにしてこの本を読んでいると日本の年中行事というのは植物が深く関わっていて、それぞれ意味があることを知る。主に厄除けが多いようだが、書かれていることを読んでいると、その風景を見るし、そこには確かにその植物がある。

 夜8時頃なんか焦げ臭い。暖房を入れているから、外の空気を部屋に取り込んでしまう。火事なんかだとやばいので、慌てて家の周りを調べてみる。何の変化もないが、外は家の周り以外でも焦げ臭い。プラスチックの焼け焦げた臭いがあたりに漂っている。
 それがどこからなのかわからなかった。ところが後で気がついた。千葉の船橋のスクラップ置き場で火災が起こっていて、ものすごい煙を上げているのをニュースで見た。 火事はこの時も鎮火しておらず、その煙がこちらに流れているのかもしれない、と思ったのである。で、ネットで江戸川区のホームページを見てみると、

 12月18日午前4時頃、船橋市潮見町のスクラップ置場で火災が発生し、現在消防隊が消火活動中です。この火災により区内で煙と異臭の影響が出ています。

 やはりそうであった。何でもPM2.5も凄いらしい。今の空調は換気ができないので、それを止め、和室の暖房を入れる。こちらは換気もできるので、こちらに籠もって本を読む。


12月20日 日曜日

 はれ。

 池波正太郎さんの『江戸の味を食べたくなって』を読み終える。


12月21日 月曜日

 くもり。

 体調が良くない。天気予報ではこの冬、例年に比べ暖冬というし、今日も天気は悪いけれど、まだ例年と比べて気温が高いという。けれど何だかぞくぞくする。風邪ひきはじめだろうか?

 木村盛武さんの『慟哭の谷』を読み終える。

 司馬遼太郎さんの「街道をゆく」のDVD11巻を見終える。今回は中国の旅をまとめたやつで、いつもより1時間ほど長く収録されていた。
 ビデオを見ていると、そこで語られる司馬さんの言葉が、なんて奥深く、いいものなんだろう、と思っている。そして原作を読んだ私はそれをまったく覚えていないことに唖然としている。何を読んできたのだろうか?
 あの時確かに全巻読んだ。たまたま朝日百科という1週間に1冊出る分冊百科を参考にしながら読んでいたはずだ。ただ今思えば、そこに書かれている史実、あるいは司馬さんの歴史感などに重点を置きすぎていて、書かれている内容を楽しまなかった。あるいは司馬さんの文章そのものを味わわなかった。そんな気がする。だからこのビデオを見て、こんな味わいのある文章がそこに書かれていたなんて驚いてしまうのである。
 これは是非もう一度読み直す必要があると思っている。
 だいたい本に限らず、私はせかされることが多く、味わうということが出来ないことが多かった気がする。来年は本を味わうことをしてみたい。


12月22日 火曜日

 はれ。

 今日は冬至だ。冬至は日照時間が1年で一番短いが、逆にこれから日が一日一日長くなっていく。これからますます寒くなっていくわけだけど、太陽が成長していくから、新生の日でもある。確か昔の人はポジティブに考えたはずだ。そう考えると、気分的にいいかな、と思わなくもない。
 さて、木村盛武さんの『慟哭の谷』を読んで、大正4年12月9日に起こった三毛別地方の羆襲撃事件に興味を持ってしまい、吉村昭さんの昔読んだ小説を取り出して、また読み始めた。そしてこの事件を扱った戸川幸夫さんの小説もあることを知り、それも読みたくなった。図書館で予約を入れた。


12月24日 木曜日

 はれ。

 クリスマスイブ。久しぶりに金吾堂製菓の黒こしょう煎餅を食べていたら(細かいなあ・・・・)、なんと前歯がまたとれた。歯がとれたときの舌に当たる歯の固い食感が、いやな気分にさせる。ああ、やってしまった。
 どういうわけか、私の歯がおかしくなるのはいつも年末だ。慌てて歯医者に電話をする。夕方、強引に予約を入れてもらう。
 とりあえず仮歯を入れてもらい、このまま年を越すこととなった。何とか見てくれの悪さはカバー出来たが、あくまでも仮歯なので、弱い。すぐとれる可能性が高いから、餅など気をつけるよう言われる。
 やれやれまた歯で苦労することとなった。年明けからまた歯医者通いだ。

 司馬遼太郎さんの「街道をゆく」のDVD12巻を見終える。この巻は新シリーズの最終巻である。司馬さんの絶筆となった「濃尾参州」で終わる。
 本当は新シリーズからではなく、きちんと最初から見たかったのだが、たまたま図書館でこのシリーズのDVDを見つけた時、初めの巻が貸し出し中だったので、新シリーズから見ることになってしまったのだ。次からは最初から見る予定で、明日図書館でこのDVDの返却をして、また借りてくる予定。


12月25日 金曜日

 はれ。

 天気予報では今日から正月まで天気は良さそうなので、年末恒例の窓ふきを始める。正月まであと一週間。28日は昔の同僚に会うため掃除は出来ないが、それ以外は私がやらなければならない大掃除をする予定。

 図書館で『戸川幸夫動物文学全集』を借りてくる。例の三毛別の羆襲撃事件を題材にした「羆風」を読みたかったのだ。
 この全集、私が初めて新橋にある書店でアルバイトしたときに、定期購入している年配の女性のところへ毎月配達していたことがある。だから全集の装幀はよく覚えている。どうしてよく覚えているかというと、この女性、会社のお局様みたいな感じの人だったので、本とその容姿にいつも違和感を感じていたのだ。
 だからときたま古本屋で端本を見つけると懐かしくなり、手に取ったりした。
 図書館で借りたこの本はその古さのため、かなり痛んでいて、セロテープでページを補修したあとがり、染みもある。セロテープは茶色く変色している。通常の図書館の棚には並んでいなく、別の所にある書庫から出されている。
 本を手に取ってみると、日比谷図書館、都立多摩図書館の蔵書印が押されている。どうやらこの本は江戸川区の中央図書館に蔵書されるまであちこち流れてきたようだ。
 「羆風」だけを読みたかったので、本日の掃除が終わった後さっそく読む。いつも本を読みながら食べている煎餅は慎重に噛んで食べる。


12月28日 月曜日

 はれ。

 以前から約束していた昔の会社の同僚とお茶の水で会う。せっかくお茶の水に行くのだから、ちょっと早めに出て、今年最後の古本を探して歩こうと思い立ち、昼を食べてから出かけた。
 地下鉄に乗ってメールを確認したら、約束時間を1時間勘違いしていたことに気づく。まあ早まった訳じゃないから、1時間ぐらい本を見ていたらすぐ経つ。
 例によって地下鉄の先頭車両に乗って、神保町で新宿方面の改札から外にでる。そうすれば専修大学方面からお茶の水へ向かって歩けば、神保町の古本屋をくまなく見ることが出来る。時間はたっぷりあるので、のんびりと歩いて店のワゴンを覗いたり、店内の本を見たりする。
 今日は御用納めだからか、いつもより人は少ない感じがする。なおさら結構なことである。収穫は南木佳士さんの本1冊、佐伯一麦さんの本が2冊、吉村昭さんの本が1冊である。

 駿河台の交差点まで来て、書泉ブックマートがなくなってるのに気づく。ABCマートになっている。遂に書泉も本拠地で閉店にとなったか、と思ってしまう。もっとも書泉が買収されてオタク化へ舵を切った時点で、私はまったく興味がなくなった本屋となったが、それでも全盛期にはここにグランデ、ブックマート、そして秋葉原にブックタワー、そして私の地元でも書泉西葛西、川口にブックドームと5店舗も展開していたのに、時代は変わるもんなのだなあ、しみじみ思ってしまう。
 私がいた本屋は書泉ブックタワーの進出で、太刀打ちできなくなり、秋葉原に2店舗あった店の閉店を余儀なくされ、最終的には本屋業界から撤退することになった。だから私にとって書泉は引導を渡された店なので、その行く先がいつも気になっていた。
 結局書泉はグランデとブックタワーの2店舗になったことになる。

 時間はまだあったので、三省堂と東京堂に入ってみた。当たり前のことだが、地元の本屋とは違うなあ、という思いに駆られる。よく読んできた作家さんの新刊が出ている。また気になる本もあった。いったん店を出て、スマホのメモ帖に著者名を打ち込む。(写真を撮るとデジタル万引になるからだ)家に帰ってからネットで書名を調べて、とりあえず図書館で予約を入れておく。最近はよほど好きな作家さんの作品じゃなければ、図書館で借りちゃうことにしている。そうすれば本が増えなくていいし、お金もかからない。幸いそれほど時間がかからず借りられそうなので、とりあえず年明けでも読めそうである。

 元同僚とは1年半以上、会っていなかった。仕事納めで忙しそうで、何だか会うのが申し訳ない気持ちになったが、それでも話がはずみ、お互いの近況など語り合う。相変わらず苦労されているようだけけれど、それでも話を聞いていると、現役はすごいな、と思ってしまう。
 私はお酒がほとんど飲めないし、食も細いので、お酒や料理を楽しめなかったのではないか、といつも心配してしまうし、申し訳ない気分になるのだが、それでもそんな私に付き合ってくれる彼には感謝しているし、有り難いな、と思う。
 また会うことを約束して別れた。

 午前中に養老孟司さんの『手入れという思想』を再読する。今度こそ、この本のことをうまくまとめてみたい、という気持ちで再度トライした。さて、どうしたものか・・・・。
 今パソコンのあるこのテーブルには読んだ本、今日買ってきた本とふた山になっている。


12月29日 火曜日

 はれ。

 大して酒を飲んだわけじゃないのだけれど、昨夜はなかなか寝付けず、いったん3時頃起き出してみたが、やはり疲れているので何もする気が起きない。いつもと違うことをすると、いつもこうなる。
 またベッドに潜り込み、5時半頃おもむろに起き出す。31日は何もしないで、テレビを見るなり、ビデオを見るなり、本を読むなりして過ごしたい、と思っているので、残っている窓ふき、掃除をけだるいからだで無理してはじめる。
始める。
 窓ふきをせっせとやっていると、からだが暖かくなり、けだるい感じも抜けていく。汚れていた窓がピカピカになると、何だかうれしくなってくる。結果が出ているじゃないか、という気分になり、ますます力が入ってくる。
 ということでやはり寝不足の上、疲れもたまっているのを無理したから、腰にくる。夕方風呂に入り、湿布を貼る。
 眠くなるまで昨日買ってきた本でも読もうかな・・・・。


12月31日

 くもり。

 今年もやっと終わる。昨日夜までかかって大掃除を終えたお陰で今日はのんびりと過ごす。いささか掃除に張り切りすぎたため、妙な疲れが残ってしまった感じがする。

 午前中買い出しに出かけのついでに母の墓に行く。墓には花を供えられていた。自分が持って来た花をそこに追加して供えると、線香の香りがする。見てみるとまだ線香が燃えていた。ちょっと前に親父が来たことを知る。
 多くなったせい花のせいで、墓は明るくなった。母はきっと笑っているだろう。

 南木佳士さんの『ダイヤモンドダスト』を今年最後の本として読み終える。今度は自分の本として。
 読み返してみて、この本に収録されている「冬への順応」はいい作品だ、と思った。南木さんの小説で好きな作品だ。
 こうして一度読んだ作品を読み返してみるものも、いいものだ、と思ったのは、今年の収穫であった。好きな作家だから読んでいると安心して読める。そしてこの作家からいろいろなことを教わった。今の自分が置かれている環境が南木さんが思うところの生き方に深く共鳴した。書かれている一文が妙に心に浸みた。


 気がついてみると人生の終わりから考えるようになっていた。(ダイヤモンドダスト)


 まさに私もそうであったから、まさにこの一文にハッとする。
 終わりから数えた方が過ぎ去った年数より間違いなく少ないはずだから、その方が楽な歳なのだ。
 1年が終わりまた1年が始まろうとしている。ますます終わりから自分の人生を考えた方が楽なる。

正月や冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし

 さて、来年はどんな年になるであろうか?私は自分を見失わないように生きたい、と思っている。来年も好きな本を読んで暮らして行ければ、それだけでもありがたい。

 今年1年、このブログにお付き合い頂いた方、ありがとうございました。よいお年をお迎えください。
by office_kmoto | 2015-12-31 17:02 | 日々を思う | Comments(0)

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