佐伯 一麦 著 『鉄塔家族』 再読

d0331556_5475415.jpg この正月読もうと取っておいた本がこの本である。この本も今度は自分の本として読もうと思っていたのである。だから元旦から今日まで一週間かけてじっくり読んでみた。そして年の初めに読んで良かったと思った。
 話は例の集合住宅で作家の斎木鮮と草木染めの奈穂夫婦と近所に暮らす人びとがおりなす話しと、近くに建てられていくテレビ塔の模様が描かれる。言ってみれば、横に斎木夫妻との人々のつながりを、そして縦に鉄塔が出来上がっていく模様を立体的に描いているといっていいかもしれない。
 人は高い建物があると立ち止まって上を見ないだろうか。ここでも鉄塔が段々出来上がって、高く伸びていく姿を人々は見あげて眺めている。


 バスがやってきて目の前を通り過ぎ、終点で停まった。乗客達は、バスを降りると、決まって鉄塔の伸び具合を見遣るようにした。運転手も降りて煙草を一服しながら、鉄塔を仰ぎ見た。


 人々にはその鉄塔が生活の一風景となって、どこにいても、その鉄塔のことを思いだし、ときにはそれが見えなくても鉄塔のある方面を向く。斎木が病院に入院して窓から外を眺めているときも鉄塔のことを思い出す。
 ただ人は窓から外を眺めるとき、そこに何が見えているかは、あまり関係のないこともある。何となく窓辺に立って外を眺めたくなるときもある。私も毎日、何度も家の窓から外を眺めるが、別に目的があって眺めている訳じゃない。無意識に外を眺めたくなるのである。


 斎木はハッとした。窓を見るたびに、この病室からは見えることのない鉄塔に思いを馳せていた自分のことのように、小野田さんの後ろ姿が目に映った。実際に何が見えているかとは別に、窓辺へ立つ心というものはあるものだ、と斎木はいつか工事中に見た老婆の姿も蘇らせながら得心した。


 人にはそれぞれ他人に言えない事情があり、それを抱えながら生きている。ただその鉄塔の周りで暮らしている人々がそこに深くは関わらないけれども、接点として、思いを寄せるところが、この話のいいところではないか、と思う。


 へえ、と奈穂は、どんな仕事にでもその仕事をした者でなければわからない苦労があるもんだ、と感心して聞いた。


 再読すると、以前気がつかなかったことが気づくことが多い。あたらな発見がある。私はそこに書かれている言葉や文章が自分の気持ちに引っかかることが多ければ、その本はいい本だと思っているので、今回も多くの登場人物たちが語る言葉、思いをしみじみ味わった。


 南から北への列車による移動は、居ながらにして、定点観測の時間を逆回しにするようなものかもしれない。


 今の心境は、北へ流されるというよりも、この街へ来る気楽さの方が強いかも知れなかった。まあまあよく頑張ってきたんじゃないか、と納得する思いもあった。


 まさに「北帰行」がよく合う心境だ。黒崎さんが感じた「まあまあよく頑張ってきたんじゃないか」という思いは、ふと自分をふり返るとき思うことがある。ある程度歳をいった人じゃないとそういう思いになれない気がするし、言えない言葉だと思う。そこには屈託感もあるけれど、総じて見ればそういうことだ、と思える生き方であって欲しい。

 この小説では、ここで暮らしているという生活感がある。必然的に若い人たちより年配者、年寄りの“視線”になっている。そんな“視線”から発せられる言葉が身近に思えるのは、今の自分もそこにいるからだと思うし、それなりの年齢になっているからだろう。特に自分のからだとの付き合い方、あるいは何らかの病気を抱えていることが多い年齢だから得心してしまう。


 病院では病人は当たり前だが、街中で健康そうに暮らしていると見える人たちの中にも、こうやって病いを宥めながら生きている者は多いんだな、と今さらながら当たり前のことを知らされた気がした。


 外来の待ち合わせ所を通りかかると、やはり入院を待っているらしく大きなバックの荷物を持った夫婦連れが何組もいた。年寄りは、傍目からはどちらが病人かわからなかった。
 「入院するときって、みんな夫婦で来るんだ」
 奈穂が、改めて気が付いたように斎木に囁いた。


 このような風景はやはり病院に行くことが多くならなければ感じられないことだと思う。確かに人は病気と折り合いをつけながら生きていると思うことが多くなった。
 それなりの病院に行けば年配の夫婦連れが多い。最後は結局夫と妻のどちらかがお互いの面倒を見ることになる。それだけに夫婦という絆は強いし、頼りになる。そんなことを思うようにもなった。


 越してきたばかりの頃は、医師に勧められている散歩に、この石段を訪れるのが日課だった。当初のうちは、朝食前の早朝に一と汗掻いてくるようにしていたが、その時間には、色とりどりのトレーニングウェアを着て、腕をことさら大きく振って一心に早足で石段を上り下りしている年配者たちの姿が目立った。石段を昇り切ったところにある東屋で、ラジオ体操をしているグループもあった。顔が合えばいかにも同好の士へと向けたような、快活な朝の挨拶をかけられ、その度に斎木はぎこちなく応じた。自分にも同じ魂胆がひそんでいるのには違いないが、あまりにも剥き出しの健康志向には、気恥ずかしさが伴う気がした。
 それで、斎木は通勤や通学の人影が消える頃合いを見計らって散歩するようになった。


 このことは以前書いたような気がする。私も同じであった。毎日散歩に出かけるが、あからさまな健康志向には、さすがにまだついて行けない。そういえば嵐山光三郎さんが東京散歩した本を以前読んだが、そこには、東京は老人が思いのほか多い、と書いてあったのを思い出す。自由業の嵐山さんが散歩する時間帯には、現役バリバリの若者は会社で仕事をしているだろうから、日中、街をブラブラしていれば必然的にそうなる。


 生きていくためには、努力が必要なのだな、と斎木は一念発起して、スイミングスクールの入口のドアを押した。


 この小説も佐伯さんの特色である草木、鳥など、自然や生き物の姿季節ごとに描かれる。その季節でなければ見ることも聞くこともできない自然が話の中でちりばめられている。そしていつもそこに出てくる草木や鳥の名前が、私はいかに知らないかを毎度感じてしまう。今回はそうした草木の名前など出てきたら、スマホで検索して調べてみて、「こんな感じかあ」と何とか見当を付けた。散歩のときでも気をつけながら探してみたいと思っている。やっぱり現物を見ないと、なかなか覚えられない。


 「やっぱり、生の自然と物の名前の両方とが結びついてはじめて、鳥の名前でも植物の名前でも、知っているってことになるんじゃないかなあ」


 地域のみんなが集まる“文芸喫茶”みたいな喫茶店『衆』がある。この喫茶店には既刊の文芸誌が並んでいる。マスター主催の俳句会を開いたり、近くにある野草園に鳥の声を聞きに行ったりする。そこのマスターが言う。


 -僕はね、東京での新聞配達員やバーテン時代に、人にさんざん殴られてきたんです。でもね、僕には文学があったから、仕返しせずに見返してやることができた。もちろん、僕は、小説を書いたりしているわけじゃない。だけど、毎月毎月出ている全ての文芸誌を本気で読むことで、僕は読者として文学をやっていると信じているんです。


 このマスタースタンスが好きだ。
 私は文学など大それたことは考えないが、“文楽”をやっていたいな、と思っている。文芸作品の接し方はいろいろあっていいはずだ。
 最後に。もしかしたらこれもどこかで書いたかも知れないが、手話通訳って大変なんだ、と知らされた。


 最初、市民センター主催の講座に、井戸さんも参加したとき、奈穂の話の通訳をする手話通訳が二時間で三人も付いた。手話通訳は終始手指を動かさなければならないので、肘などへの負担がきつく、連続して通訳できるのは三十分ほどが限界だという。それで、交替しながら行うということだったが、見ているとそれも当然と思われた。


佐伯 一麦 著 『鉄塔家族』 日本経済新聞出版社(2004/06発売)
by office_kmoto | 2016-01-09 05:49 | 本を思う | Comments(0)

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