色川 孝子 著 『宿六・色川武大』

d0331556_17335429.jpg 色川孝子さんは色川武大さんの夫人であり、色川武大さんとは16歳も年の離れた従兄同士であった。だから子供の頃から色川武大さんのことをよく知っている。


 当時はなかなかの二枚目で、目は切れ長、まつげは長く、痩せ気味で、精悍なムードを漂わせていました。きっと、女性にももてたに違いありません。
 いつも神妙な顔をして、異様な雰囲気を漂わせ、簡単に人を寄せ付けない独特の個性をもっていた印象があります。とくに目の表情は豊かで、暖かさ、厳しさ、鋭さ、そして寂しさを感じました。


 そんな孝子さんが久しぶりに色川さんに再会したときの変わりように驚く。そのとき孝子さんは結婚が決まっていたが、色川さんに再会したときに「この男は、二、三年で死ぬに違いない。それまでの間でも、そばにいてあげよう」と自分の結婚を破談にして色川さんと暮らし始める。


 私は、冒険心に満ちあふれていた女性だったかもしれません。親の反対を押し切って、それも籍を入れないという条件で、目白のマンションに部屋を借り、彼と暮らすことになったのです。


 色川武大さんはナルコレプシーという奇病であることは有名な話で、その病気の影響で肥満となってしまっていた。


 色川は一日に五、六回は食事をするのです。ナルコレプシーという奇病は、突如、眠りこんだり起きたりで睡眠が断続的になってしまうので、一日三食のリズムも不規則になり、起きている間じゅう、空腹感にさいなまれているらしいのです。
 ともあれ、一日六食、料理を作るのは並大抵のことではありません。


 なるほどこれなら色川武大さんが肥満になってしまうのは当然であった。しかも一食のうち、外食となれば、普通その分減らすことになるが、色川さんの場合、ただ回数が増えるだけあったという。とにかく食欲が無限であった。


 「カレーライスっていうのは、不思議に月に一度は食いたくなるものだなあ」
 私も、同感です。しかし、彼は大皿にカレーだけがわずかでも残ったならばライスを追加し、かと言ってライスが残ったならばカレーをお皿へと。この繰り返しが永久に続くのでした。そばにいる私だって涎が垂れるほどカレーが食べたいのですが、
 「ライスがあまっているから、カレーを入れてくれ」
 「ライスがあまっちゃったよ。ライスをもう少しくれ」
 と、数分ごとに命令され、立ったり座ったりで大忙し。カレーとライスがうまい具合に一致しないかぎりは、終止符が打たれないのです。たちまちのうちに、大皿にして四杯は平らげてしまうのでした。


 歯が痛くなっても、一日六回の食事を欠かさなかったという。
 しかし孝子さんも変わった人だ。決まっていた結婚話を破棄してまで色川武大さんがそう長く生きられないだろうから一緒にいてやろうとする。だから色川さんとの波瀾万丈な生活の中でも、色川が死んだら自分には別な生活が待っていると思ったりする。事実色川さんが胆石の手術の後、胆管閉塞になってしまい、医者から絶望的な宣告を受けたとき、


 私もやっと色川の最期を看とってあげられる、これで安心してお嫁さんに行ける、など考えていたものでした。オペに入る前に、言葉に出さずとも、心の中で彼に別れを告げ、病室に戻って涙を流したのです。


 ゴキブリの話も面白い。


 そんなある日、女が家に住んでいないせいか(さすがに色川さんとの生活に嫌気がさし、別居を決意する)、台所には、色川のような肥満体のゴキブリが住みつき、二、三匹、ノソノソと這っているではありませんか。私と出くわしたが最後、ゴキブリは覚悟をしなければならないのです。彼が人にお金をあげることが趣味ならば、私だって趣味があるのです。何を隠そう、ゴキブリを殺すことなのでした。ゴキブリと出会った瞬間に、眼の悪い私が急に視力がよくなり、普通の人と同じように見えるような感覚になるのです。(孝子さんの視力は左眼が0.01、右眼はほとんど視力が計れないほどの弱視)


 伊集院静さんから生きた伊勢エビが送られてきた時、伊勢エビを殺すことが出来ず色川に頼んだとき、色川さんは、


 「君はゴキブリを殺す趣味のくせに、なんでエビが殺せないんだ」
 「だって、エビは首をへし折るときにキッキッと鳴くんですもの。かわいそうよ。きっと痛いにきまってるわよ。その点、ゴキブリは声ひとつ出さないから、痛くないのよ、きっと」


 さらに、色川武大さんが直木賞を受賞したときに、お祝いの電話に、

 「直木賞、おめでとうございます」
 「私がいただいたわけではありませんので」

 と答えたり、とにかく孝子さんも変わっている。
 しかし色川武大さんとの生活は大変だったろうと思う。ナルコレプシーという病気のため生命保険にも入れず、銀行からもお金は借りられないし、博奕や趣味に、さらにいろんな人にお金をあげてしまう。このあたりの色川さんの生き様は伊集院静さんの『いねむり先生』に詳しく書いてある。
 さらに色川さんの引っ越し癖は有名な話で、なかなか一つのところに落ちついていられない。それでも孝子さんは「私としては、せっかくここまで突っ張り人生をとおしてきた以上、途中で断念するわけにもいかないのです」と書く。なんだかんだと言っても色川自身も二人は一心同体という気分だったろうと思っていたという。


 私たちの場合は同志愛であり、戦友愛であったのではないでしょうか。かたやナルコレプシーという奇病の持ち主、かたや強度の近眼、お互い身体障害者同士の助け合い運動のような含みもあったのです。そして、いとこ同士という原点が心の奥底に秘められ、これが二十年という長い歳月を支え、戦いを持続できた理由のほとんどと言っても過言ではないのです。


 孝子さんも突っ張りながらも生き抜いてきた。そして夫である色川武大さんも病気もそうだけれど、それ以外にも生きることに苦しんできたことを孝子さんはよく知っていた人であった。だから二人はやっていけたのである。


 しかも、自虐的な男だっただけに、辛く、苦しい人生ではなかったろうかとも思います。世間では無頼派というイメージが濃く、無理してそのイメージに合わせた、ふりをし続け、お芝居をしていたかのような気配が感じられるのでした。


色川 孝子 著 『宿六・色川武大』 文藝春秋(1990/04発売)
by office_kmoto | 2016-01-13 17:35 | 本を思う | Comments(0)

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