吉村 昭著 『精神的季節』

d0331556_624084.jpg このエッセイの内容は「文学」「医学」「戦争」「社会」「家庭」といカテゴリー別に分かれて、読んでみると吉村さんの初期のエッセイになるようである。すなわち戦争を体験し、終戦を迎え、しばらく経った頃、あるいは純文学から戦争ものに執筆内容を変更した時期と重なるようである。
 その変化をこのエッセイでは詳しく語っている。なぜ戦争ものを書かなければならなかったのか。
 そこには吉村さんの“告白”にも見える、どうしていいのかわからない悲壮感がある。


 その理由は、はっきりしている。それは戦争というものに、私はいつの間にか慣れきってしまっていたからだ。
 私は昭和二年の生れだが、物心ついてから絶える間もなくつづいて発生した××事変と称する小戦争の雰囲気の中で育った。さらに私の生れる以前にも、日清、日露の両戦役、そして第一次世界大戦などの大戦争のあったことが大人たちの口から頻繁に洩らされていたし、つまり私にとって戦争は、変哲もないきわめて日常的な環境にすぎなくなっていた。そのため、太平洋戦争の発生も、なにか歴史というクサリをつなぐ一つの環、とでもいったものとしてしか感じられなかったのだ。



 つまり吉村さんにとっては、物心ついてから、戦争は「長いお祭りがだらだらつづいているような印象でしかなく」、「戦争というものは必ず勝つことで終るはずだと思っていた」し、「国旗が、装飾物のように巷にあふれていた」。「顔を合わせれば戦争の話に熱中していた」から「戦いにまつわる話は私たちを興奮させ、お祭りに似たにぎわいのつづく日々の生活は、私たちをひどく陽気にさせていた」のであった。
 たとえ戦争が長引き、物資が不足し、配給制度になって大人たちが愚痴りはじめても、「私にとって戦争は、依然として、一種のきらびやかな一大ショーに似たものであり、それを見物していることに少なからぬ興奮をおぼえていた。そして、こうした陽気な気分は、中学生に入った頃になってもそのまま残されていた」。つまり戦争が日常であり、それを肯定して生きていた。
 ところが、


 戦争が敗戦という形で終ったことは、私にとって信じがたいことであったが、私の実際の驚きは、終戦の日からはじまったと言っていい。


 吉村さんにとって尊厳の象徴であった国旗が鋏で裁たれ、雑穀袋に変化し、米兵に喜々としてとして抱かれるように歩く娘たち巷にあふれ、 米兵の投げる菓子に子供たちを突き飛ばして拾う大人たちの姿に驚く。そして何よりも吉村さんを唖然とさせたのは、学識者の戦争批判論であった。
 吉村さんはこうした変身の変わりようが気恥ずかしいほど激しすぎるのでうろたえてしまう。敗戦という一事件によって、これほど急な変貌をとげてよいものなのか。それほど自分は頼りないものであったのか、と思ってしまうのであった。


 それらの人々の発言内容は、まるで申し合わせたように軌を一にしていた。「あの悲惨な戦争は、軍部と政治家によって引き起こされたものであり、私は、それら戦争指導者に身を挺して戦った。そのため私は、軍部・官憲からの弾圧を受けた」「庶民は、罪深い戦争をのろいながらも、戦争にまきこまれて多くの被害を蒙った」「特攻隊は、犬死にであった。かれらはただ軍部の指導者に操られただけである」等々。
 堰を切ったように流れ出したこれらの発言に、私は息もつまるような驚きを感じて身をひそめた。私にとって、熱気の中にいたような戦時中に、それほど多くの戦争批判者がいたとは想像もできないことであった。と同時にかれらの論旨に従えば、戦争が罪悪であることも知らずに勝利を信じつづけた私は、戦争に積極的に協力した少年であったことになる。私は、自分が潜伏している犯罪者であるようなおびえにとらわれた。



 戦争中、私と同じように一心に働いていた人々の群れは、いったいどこへ行ったのだろう。かれらは、戦時中戦争遂行に協力するふりを装って、内心ではひそかに戦争を呪っていたとでもいうのだろうか。
 私は戦いの渦の中で真剣に生きた自分の過去におびえつづけた。批判力の乏しい年齢であったとはいえ、戦争の勝利を念じながら働いたことに深い負い目を感じていた。
 私は、自然と牡蠣のような沈黙の中にひそめるようになった。そしてそれは、敗戦の日から二十年間つづいた。


 いずれにしても、私は、終戦の日以後、世代の異なった大多数の人々の戦争観に、戸惑い、憤り、絶望してきた。そして得た結論は、全く異った精神的季節の中に生きながらえてきた自分を含めた、人間そのものに対する不信感なのである。


 このように吉村さんは、戦争を肯定することが当たり前にあった世界と、終戦の日を境にして、全否定する世界の全く異った二つの精神的季節の中で生きてきた。しかし吉村さんはその断絶について行けなかった。自分は間違いなく戦争少年であったことを否定できないから、黙っているしかなかった。
 しかしそうした少年であったことを正直に述べなければならない、と思うようになっていく。そうでないと死ぬまでこの思いを抱き続けなければならないし、それは耐えがたいことであったからだ。


 軍艦を描きたいという創作衝動は、終戦後から現在まで私の内部に鬱屈してきたものを吐き出したいという願いから発したものにほかならない。


 これが吉村さんをして純文学から戦争ものに支点を変えていく理由であった。『戦艦武蔵』が生まれてくる背景であった。ここから戦争の本質とは何か。“人間”の内部にひそむ奇怪さとはどういうものかを問うことで、戦争を肯定していた自分、そして当時の日本人の姿を捉えようとしたのではないか。そんなことを具体的にうかがえるエッセイであった。
 結局転向するまで行かなくても、「昔オレさあ、戦争少年だったんだ」といった具合に、身軽な生き方が出来る人じゃなかったわけだ。いわば生き方の下手な人の“もがき”みたいなものを感じてしまう。いつまでも頑なな性格が吉村さんの頑固さにもなっているのかもしれない。
 このエッセイは初期のものだけあって、まだ理屈っぽく、堅苦しい感じが拭えなかった。晩年のエッセイのような穏やかさがまだ見受けられない。ただ小うるさいオヤジ感はこの時期でも健在であった。


吉村 昭著 『精神的季節』講談社 (1972/09発売)
by office_kmoto | 2016-01-27 06:25 | 本を思う | Comments(0)

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