吉村 昭 著 『わたしの普段着』

d0331556_10165937.jpg 先日手に入れた吉村さんのこの本を読み返してみた。やっぱり吉村さんのエッセイはいい。安心して読んでいられる。
 この本の中には吉村さんの著作に関する余話がいくつか載っていて、それを読んでいると私の知らない作品であり、また面白そうと思えるものがいくつかあった。

 この本を読んで気になる文章があり、それを書こうと思い付箋をつけておいた。ただ後になって以前も書いたような気がしてきて、さて、どうしようか、と迷ったが、やはり書くことにする。
 「ホテルへの忘れ物」という一文。
 吉村さんが宿泊したホテルに大切な資料である本を忘れ、ホテルに電話を入れ本があることを確認してもらった。しかし吉村さんは釈然としないところがあった。
 ホテルに泊まるとき、宿泊カードに名前や住所、電話などを記入しているはずだから、部屋に忘れ物があれば、当然連絡が来ていいはずだと思ったのである。
 しかしホテル側が忘れ物に気がついても、連絡しなかったのはホテル側の配慮ではなかったのかと思い始める。つまり下手に連絡して、やぶ蛇になりかねないから、本人から連絡があるまで待っていたのである。
 たとえばここにあるように男性が女性とホテルに泊まり、その女性が時計を忘れているのをホテル側が気がつき、宿泊カードにあった男性の連作先電話した。折しもその電話を男性の妻が取ってしまった。当然これは面倒なことになる。男性はホテルに余計な電話など入れるな激怒する。親切が仇となった。
 こんなことがあるからホテル側は吉村さんに忘れ物の連絡をしなかった、というのである。もっとも吉村さんの場合、これに当てはまるとは言いがたい部分があるが、まあそういうことと吉村さんは納得したようだ。
 このようにプライベートなことに関わる商売というのはそれなりの配慮が必要になる。 昔、本屋さんでアルバイトをしていた頃、お客が注文した本が入荷したことを、連絡先であった勤務先に電話した。その時始めて私はそうした連絡をした。それで「○○様からご注文頂きました、「○○○」という本が入荷しましたので、伝言をお願いします」と言って電話を切った。それを聞いていた先輩に私は怒鳴られたことがある。
 先輩曰く、伝言のお願いは構わないが、書名を言ってはならない、というのである。 どうしてか?たとえばそのお客が注文した本が、たとえばだよ、『女性の気を引くための十か条』なんて本であって、その人がいなくて隣にいた女性がその伝言を受け取った場合、どうなるか。当然その女性は、その男性をなんていう奴だ、と思うに違いない。男性は部下である女性の扱い方を単に知りたかっただけなのに、それが噂となって、「○○さんて、イヤらしいのよ」なんて社内中に広まる可能性だって十分ありうる。たった一本の本屋からの電話が大事になりかねない。
 もちろんこれは私が誇張して言っているわけで、その先輩は、本はその人のプライベート関わるものだから、他の人に書名は言ってはならない、と私に注意した。この場合、注文頂きました本が入荷したことをお伝えください、とだけ言えばいい。
 吉村さんが思ったホテル側の配慮でそんな昔のことを思い出したのである。
 もう一つ懐かしいな、と思ったこと。
 「小津映画と戦後の風景」の中に呼び出し電話の話が書かれていた。昔は電話のない家もあって、連絡先に(呼)と記したものがあったというのである。
 確かにそんなものを見たことがある。名刺だったか、何かの連絡先の書かれたメモだったか忘れたけれど、そんなことがあった。何十年前だったろうか。そんな記載があったのは・・・・。
 いずれにせよ、今みたいに各人が携帯電話を持って、いつ、どこでも連絡が簡単に取れる時代でない話である。

 妻と付き合っていた頃なども携帯電話などなかった時代だから彼女の家に電話をすると、彼女の母親が電話に出て取り次いでもらうことが何度かあった。父親が出たときなど、お互い気まずい雰囲気が電話から漂う感じだった。それが私の義母であり義父だが、こんなこと今じゃきっと考えられないだろうな。
 もっとも逆も言えるかもしれない。義母や義父が感じたであろう気まずさを、私がしなくて済むのは携帯電話が普及してくれたお陰である。親となった私が娘や息子への電話を取り次がなくて済んだだけでも有り難いことかもしれない。
 吉村さんの本から大分脱線してしまったが、思い出したので書いてみた。


吉村 昭 著 『わたしの普段着』 新潮社(2005/12発売)
by office_kmoto | 2016-02-01 10:17 | 本を思う | Comments(0)

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