池波 正太郎 著 『江戸の味を食べたくなって』

池波 正太郎 著 『江戸の味を食べたくなって』_d0331556_525370.jpg 池波さんのエッセイを読んでいるとなんだか気持ちが安らぐ。読んでいて、いい気分になれるし、安心できる。
 この文庫の解説を書いている佐藤隆介さんによれば、「池波正太郎の熱狂的なファンにも、大きく分けて二通りがある。小説から入って池波党になったか、それとも食にまつわるエッセイに惹かれて池波正太郎マニアになったか、の二通りだ」だそうだ。私の場合は、後者になる。まだ池波さんの時代小説は1冊も読んでいない。いずれ読んでみたい、とは思っているが、基本的に時代小説は苦手で、なかなか手を付けられずにいる。
 さて、池波さんのエッセイを読んでいて、いい気分、あるいは安心できるのは、気取りのない、率直な考えに惹かれるからだろう。それに描かれる生活風景にも懐かしさを感じてしまう。


 むかしは食べものと季節がぬきさしならぬものとなっていたので、東京の下町に貧しく暮らしていた人びとも、できうるかぎりは、季節のたのしみを味わおうとした。


 季節の食べ物の話に「歳時記」に感じる。特に最近は食べ物に季節感がどんどんなくなっているので、旬な食べ物と季節を感じることができるこうした話は大好きだ。
 そんな食べ物に必要な薬味として「粉わさび」のことが書かれていて、そういえば最近見ないなあ、というか見ることをしなくなったなあ、と思った。
 鮪の刺身が残ったとき山葵醤油に一晩つけておき、翌朝焜炉の火であぶって食べるのが池波さんの楽しみと書いている


 このために、わざと鮪を残しておく。山葵醤油の山葵も、このときは、むしろ粉山葵をたっぷりと使ったほうがよい。


 私が子供の頃にはチューブ入りの山葵などなかったし、まして生山葵などおろしてたべるなんて贅沢なことが出来なかった。だから当時は母親が小皿に缶入りの粉わさびを少し出して、少しの水で指を使ってそれを溶いていた。そんな風景を思い出したのだ。
 今はチューブ入りのわさびを冷蔵庫から取り出して、簡単に使うけれど、昔はこれが当たり前だった。
 本を読んでいて、こうしたちょっとしたことが、妙に懐かしく思えることが多くなった。また池波さんのエッセイにはそうしたものが多く、だからこそ惹かれる。惹かれるから、また読んでみたい。あるいはいろんな本を手当たり次第読んでいて、疲れてくると、無性に池波さんのエッセイが読みたくなる。

 ここのところ自分が本を読むスタイルが変わってきたような気がする。今までとにかく多くの本を読むことしか頭になかった。だから本を読み返すなんて、よほどのことがない限りしない人であった。
 ところが今は昔読んだ本でも、つい最近読んだ本でも、心に残って、“いい本だったなあ”と思える本をもう一度読み直してみたい、と思うようになっている。自分が気に入った本なら何度も読んでみたい、という気持ちになっている。冊数をこなすことしか頭になかった私にちょっとした変化であり、そういう本の楽しみ方があっていい、ということを知った。


池波 正太郎 著 『江戸の味を食べたくなって』 新潮社(2010/04発売)新潮文庫
by office_kmoto | 2016-02-07 05:26 | Comments(0)

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