羆 その2

 吉村昭さんの『羆嵐』というこの三毛別羆事件を扱った小説である。私はどう勘違いしたのか、この熊嵐を羆の襲撃が立て続けに起こったため、それを嵐に見立てて、熊嵐としたものだ、と思っていた。ところがそれは違う。
 羆が山本兵吉に射殺された羆が山から里に橇で下ろされるとき、大暴風雪となった。木村盛武さんの『慟哭の谷―北海道三毛別・史上最悪のヒグマ襲撃事件』に次のようにある。


 橇を引きはじめてほどない十時三十分ごろだった、それまでの青空は一天にわかにかき曇り、一寸先も見えない大暴風雪となった。この日の最大風速は四十メートルとも五十メートルともいわれている。森林は波のように大きく揺らぎ、巨木が次々と倒れていった。人々は橇をはさんでアリの列のように、吹雪の中をはうように進んだ。


 このように北海道北西海岸を襲った大暴風雪は、夕刻にはやや衰えをみせたが、翌15日も止むことなく続いた。三毛別地方の農民は、これを「熊風」と呼び、後世まで長く語りつがれることとなった。「熊の暴挙が天の怒りに触れ、昇天を阻んだため」とか、「熊の怒りが嵐を呼んだから」とか、農民たちはささやいた。


 ところで撃ち取られた羆が里に下ろされ、大人に交じって熊に何度も棒で叩いた少年がいた。大川春義という人だ。後にこの人が農業を営むかたわらマタギとしてその名を馳せるようになったのは、当時のことが強烈な衝撃となってその報復を誓わせたからであった。
 大川さんは死者一人に対し熊十頭を撃つというのが当初の悲願であった。新聞の記事には次のようにある。


 巨大ヒグマ「袈裟懸(けさが)け」による惨事を目の当たりにし、生涯を熊撃ちに捧げた男がいた。討伐隊が本部を置いた家の息子、大川春義さん(故人)だ。集落に運ばれてきた死骸を春義少年は大人に交じって何度も棒でたたき、弔いの「熊百頭退治」を誓った。けが人を含め犠牲者は10人、1人につき10頭。21歳で猟銃を手にし、46年後の1977年5月に悲願を成就した。
 その夏、事件現場に近い三渓神社に熊害(ゆうがい)慰霊碑を建て、命を奪われた7人の名を黒御影石に刻んだ。碑文には「子供心にも惨事の再来を防ぐ為(ため)、一生を賭して熊退治に専念し、以(もっ)て部落の安全を維持するは己れに課せられたる責務なり」とあり、小さな胸に刻んだ決意がにじんでいた。 (「熊嵐をたどって」第2回)


 このように大川さんの偉業は熊の捕獲数だけでなく子ども時目撃した羆の犠牲になった人たちを祀る慰霊碑を、その氏名を記して自費で建立し、寄贈したこともある。
d0331556_6391722.jpg その大川さんをモデルにした小説が吉村昭さんの短篇にある。「銃を置く」である。ここでは大川さんは弥一郎となっている。
 弥一郎の父与三吉は三毛別の区長であった。
 

 悲惨な事件の記憶は与三吉の胸に深くきざみつけられ、殺された者たちの位牌をつくって線香を絶やさず、生まれつき気性の強い弥一郎に、
 「成人したら熊撃ちになって、六線沢で殺された七人の供養をしろ」
 と、口癖のように言った。


 父は、弥一郎に、
 「死んだ七人の一人十頭ずつ、七十頭のクマを撃て」
 と、きびしい口調で言った。


 これが大川さん(弥一郎)の目標となった。小説では七十頭目の熊を仕留めた時、かれは山中に入るのをやめるつもりでいたが、その記念会や感謝状を贈られたとき、自分の決意とは別に、ここまできたら百頭仕留めるべきだと励まされ、彼もその記録を達成するまで猟を続けようと思う直す。
 しかし六十歳を過ぎた頃から、山を下るとき激しい疲労を感じ、銃の重みにも苦痛を覚え、百頭は無理かもしれない、と何度も呟きはじめる。
 そして百頭目を仕留めた時、


 弥一郎は、ライフル銃を手に熊笹を踏みしめながら歩いていった。
 二百メートルほどはなれた位置からの発射だったが、かれは、銃弾が羆の胸に吸いこまれるように食い入ってゆくのを感じた。確かな手ごたえであった。が、長年の習性で、かれは熊が生きていることも予想し、引金に指をあてたまま、慎重な足どりで倒れている熊に近づいた。
 かれは、足をとめた。七十貫近くの羆で、弾丸は肺臓に命中していて、鼻孔から血が流れ、掌がひらき爪も伸びている。毛の色艶が良いが、他の雄と雌を争った時の傷なのか、片方の耳が半ば千切れていた。
 緊張をといたかれは、近くの大きな石に腰をおろし、羆を見つめた。百頭目の羆を射とめたことに満足感をおぼえたが、念願を果たしたと思うと、筋肉がゆるんだような疲労も感じた。
 かれは、山中に一歩でも足を踏み入れると、煙草をすわない。煙の匂いが羆に気づかれることをおそれるためだが、今度は羆を追うことはないのだから禁を破ってよいのだ、と自ら言いきかせ、リュックサックから煙草を取り出し、マッチを擦った。


 百頭目を仕留めた時、弥一郎は息子にライフルを渡した。
 町では百頭記念の感謝状と記念品を受けたが、その時熊が町に出て来た。もう銃を置いた弥一郎に子ども頃の悲惨な記憶が甦る。自信はないが気力を奮い立たせ、挑んだ。


 「やってみましょう。ただし、これが最後です」


「銃を置く」(吉村 昭 著 『海馬』 新潮社(1992/06発売)新潮文庫に収録)
by office_kmoto | 2016-02-14 06:43 | 本を思う | Comments(0)

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