山口 瞳 著 『男性自身』

d0331556_5151646.jpg 山口瞳さんの男性自身シリーズを読み始めた。まずはシリーズ第一巻である。この本は以前読んでいるが、とにかく今年このシリーズを全巻読破を目指しているので、最初から読むことにした。


 もしそれ、非常に注意ぶかい読者であるならば、私が、この随筆ともオトシバナシとも精神訓話ともつかぬもので何を目論でいるかをすでに察知されたことであろう。
 私自身の心構えとしては長篇小説を書いているつもりなのである。もし私に幸運にもかの「白樺派」の如き長寿が許されるとするならば、実にこれは大河小説ともなるはずのものである。(愛と認識との出発)


 と書いているが、私はこの『男性自身』は読んでいて、これはサントリーが昔出していた「洋酒天国」と同じ乗りで書かれているように思えた。
 私は開高健さんの本でこの「洋酒天国」の抜粋を読んだことがあるので、そう感じたのである。たぶんこの「男性自身シリーズ」が書かれ始めた頃は、まだ山口さんがこの小雑誌の編集に関わっていた頃からではないか、と思うから、その調子が余韻として残っていたのかも知れない。どこか「受け狙い」を感じてしまうところもあった。小咄風のそれでいてちょっとエッチな話を加えて、何とか気を惹こうとしている。


 すなわち、現代に於いて一穴主義(女房だけしか女を知らない男)は果して可能であるか、というのがこの大河小説に課されたテーマなのであります。


 と続く。ここが“夜の岩波文庫”と称された「洋酒天国」の乗りなのである。だから女房しか女を知らない男のことを「一穴主義」「軽石」「1DK」「ミシン」とギャグを入れる。その言葉の意味を面白おかしく解説する。「一穴主義」「1DK」はその意味することはわかるだろう。では「軽石」はカカトスルから来ている。ミシンはひとつの穴ばかりつつくところから来ている。(わざわざ解説することもないかも知れないが)
 要するに男と女の話を中心に、なんとかしようとしたのかもしれない。おそらくこのスタイルが今後変わっていくのだろう。いわゆる山口さんらしい文章、内容になるのが楽しみだ。それでも所々に(だからこそ)いい話もある。


 私は夫婦というのはそういうものだと思う。男と女とはそういうものだろう。つまり永久に理解しあえないものだと思う。理解できると思った夫婦に危機がやってくる。突如として“性格の不一致”などと言い出す。
 理解できないという前提があってツトメルところに夫婦が成立するのだろう。(女房)


 後の山口瞳を一癖ある、あるいは堅物で頑固者の作家としての片鱗ももちろんあった。


 むかしは街を単位にして行われたことが、いまはほとんど会社単位・学校単位になってしまっている。旅行・スポーツ・観劇といったものがすべてそうだ。私の子供のころは、野球は近所の人たちを集めてやったものだ。いまはそうではない。
 遊ぶのも食事をするのも買物をするのも医者に行くのも、会社の近所ですませてしまう。こいつがどうにも私には納得がいかぬ。
 近所にトンカツ屋が新規開店したとする。そこへ行ってやるのがエチケットではあるまいか。うまいまずいは問題ではない。おそらく腕のいい職人が金をため嫁さんを貰いノレンをわけてもらって開店したのだろう。その店を応援してやるのが、その街の住人として人情ではあるまいか。(街)


 買物の仕方のなかにもその人の人生観があるのだろう。(人生観)


 しかし「一局の将棋」あるいは「もうひとつの人生」というものは考えたって無駄なことである。空しいのである。なぜなら、棋士は、そう指さなかったのだから。(一局の将棋)


 このシリーズは「週刊新潮」に1963年から31年間、延べ1614回、山口さんが亡くなるまで一度も穴を開けることなく連載を続けたコラムである。変化も楽しみだが、おそらくいろいろなことを教えてくれるに違いない。楽しみである。


山口 瞳 著 『男性自身』 男性自身シリーズ 1 新潮社(1965/05発売)
by office_kmoto | 2016-02-25 05:16 | 本を思う | Comments(0)

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