山口 瞳 著 『壁に耳あり』

d0331556_610489.jpg このシリーズをここまで読んで思うことは、山口さんは好きか嫌いかで物事を考えるところが多い。そこからいろいろ話を展開していく。
 まあ誰でも嫌いな物は嫌いだし、好きな物は好きなのだが、山口さんの場合、生理的に嫌いな物にものを言う。ただそこには確固たる理由がないときもある。どちらかと言えば感覚的にものを言うところもある。だからときに理詰めで物事を考える人にとっては、その判断理由が曖昧なので納得出来ない場合がありそうだ。しかも厄介なことにそうした判断基準?というのは、その人の経験則で来ている場合多い。だからある程度疑似体験したことがある、それこそ歳を重ねてきた人々には共感を呼ぶ。でなければおじさんが読む週刊新潮にこれほど長く連載されて来なかっただろう。似たような経験を積んできた人や、同世代の人にとっては、それはわかる。それがこのシリーズの面白さではないか、と思う。
 最近よく思うのだが、本ってその人がその年齢にならないと実感できないことって多いんじゃないか。だからこのシリーズのように若い時に読んでも、ぱっとしないことが、今ならわかることが多い。もちろん逆もあるだろう。若い人が書いたことが私には理解できないことだってきっとあるはずだ。ただ私はそんな若者の書いた本を読まないからそれがわからないだけだ。
 で、その私が、“わかる”と頷いてしまったことを書きだしてみる。


 騙されるというのは、こっちにも欲があるから騙されるのである。(詐欺)


 私ごとき者にも、子供の教育をどうしたらいいのかという質問が寄せられることがある。子供が悪くてどうしたらよいかわからないという相談をうけることがある。私は、いつでも、こう答える。
 「それは言葉です。いい言葉をつかわせるようにしなさい」
(略)
 私には、そのほかのことはわからない。それでいいと思っている。猫っ可愛がりが一番いけない。わるい言葉をつかったときには、すぐ叱らないといけない。
 そのかわり、子供がいたずらしても、失策をしても叱らない。極論するならば、高校生になったら酒を飲んでも煙草を吸ってもかまわぬと思う。暴力教室をなくす近道はこれだと思う。そのかわり、親や教師に対して失敬な言葉づかいをしたときは、ぶん殴るべきだと思う。
 私は、乱暴で生意気な言葉をつかう子供たちを「現代っ子」などとおだてる教育者や、それを自慢したりする親たちがいるという風潮に腹がたってならぬのである。(言葉)


 私は、男が男らしく生きるために第一に心がけねばならぬことは「主人持ち」にならぬということだと思う。男の主人は、彼自身でなくてはならぬ。「主人持ち」というのは文字通り、女房ことである。
 第二は、筋を通すことではないか。
 第三は、物を値切って買うなということである。値切るのは女の役目である。物を正当に評価することだと思う。(淋しい)


そんな男らしい男を観察すると、


 彼等を支えているものは、一種の「無常観」といったものではないかと思われる。


 と書く。おそらくたくさんの修羅場を見てきた男にとって、どうにもならないことがたくさんあり、諦めるしか方法がないことだってある。それがいわば無常観となって、その男の人生観みたいなものを形成していく。そんな中で生まれた「男らしさ」とはこう言うものだ、と言っているような気がする。


 田舎者というのは、ガツガツしている男、目先のことばかり考えている男、世のため人のためではなく「てめえのために」だけを考える男という意味である。(理想)


 山口さんのこのエッセイにはよく「田舎者」という言葉が出てくる。ことわるまでもないが、この場合の「田舎者」とは都会以外の地方に住んでいる人を指すのではない。


 日本と外国の差異は、一にかかって、日本には国境がないというところから生じてくる。日本には民族問題がない。宗教問題がない。階級がない。
 従って、世界観やら自分の考えやら頑固やらが生じにくいところがある。(外国人)


 私小説を書くということは、すでに他人を傷つけることである。(かにかくに)


 未来は漠然と無限にひろがっているのではなくて、確実に、むこう側に壁があるのである。そのことを認識しなければいけない。
 逆に、むこう側から計算しなければならないと思うのである。そう思って、桜も月も紅葉も大事にしないといけない。見定めておかないといけない。
 そういうと日常の生活が固苦しく息づまるようになると思われるかもしれないが、決してそうではない。
 あと七年だと思ってしまうと、厭なことやりたくない。厭なものは見たくない。厭な奴とはつきあいたくないと考えるようになるから、かえって生活は安気になる。のんびりする。(ハナウタ)


 弱い者に確実に勝つ、あるいは弱い者に勝つことに情熱をもやすふうでないと勝負の世界はつとまらないそうだ。そのためには、常に、弱いと思われて男を研究しなければならないという。逆に、いったん追い越されたら、追いつけるものではない。
 弱きを挫くという言葉は、強きを挫くよりも遙かに真実感がある。現実的に有効だと思われる。(弱きを挫く)


 ところでひとつ気になった風景描写があった。


 御茶ノ水駅を出てすぐ左側の神田川の縁に何軒かの家が建っている。電車から見ると、この家を裏側から眺めることになる。さしさわりがあったら許していただきたいのだけれど、私はそこを通るたびに、それを見るたびに、ああ、あれが人間の住居なのだなと思うのである。ということは、ああいう所に住んでみたいと思うということである。
 おそらく、表側から見ると、すなわち都電通り見ると、かなり堅固な、普通の二階建屋なのだろう。裏から見ると、それが三階建にも四階建にも、また五階建にも見える。上にも下にも継ぎ足していったものだろう。折り重なって建っているように見える。(住居)


 JRの総武線を使っていると、この神田川沿いに建っている家が目に入る。そしていつも気になっている。
 こうして言われてみれば、確かにあそこに建っている家々はあの場所で暮らしている内にあのような家の形になったのではないか、と思わせる。だから「ああ、あれが人間の住居なのだなと思うのである」というのがよくわかる。人が暮らしているというのを実感させる。私も「何か濃密なるものが立ち籠めているという意味あいで言っている」
 しかし山口さんはそこに住みたいなら住めばいいではないか、と言われると、おっかないからできないと言う。確かに地震のときはさぞかし恐ろしいだろうし、火事も下から燃えてきたらひとたまりもない。川べりなので悪臭もひどいだろうし、騒音もひどいだろう。地面の下には地下鉄が走ってもいる。
 でも昔その川沿いの建物にあるバーみたいなところに友人と入ったことがあるが、窓から電車が通るのがよく見えた。眺めとしては良い場所だ、という記憶がある。電車が好きな人にはたまらない場所に思えた。


山口 瞳 著 『壁に耳あり』 男性自身シリーズ 5 新潮社(1969/06発売)
by office_kmoto | 2016-03-26 06:14 | 本を思う | Comments(0)

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