安田 隆 著 『安売り王一代―私の「ドン・キホーテ」人生』

d0331556_6443246.jpg 実は我が家は週に3回から4回ほどドン・キホーテに行く。というか、近くにスーパーの「サミット」があり、日々の買い物をそこでする。その上がドン・キホーテになっているので、必然的にドン・キホーテでも買い物をするのだ。
 昔はここは長崎屋であった。衣料品を買うのはここがメインだったのだが、あるとき長崎屋がドンキに変わると知って、正直困ったな、と思ったものだ。
 当時ドン・キホーテとは若い者が買い物をする場所であり、あの狭苦しい売場に詰め込まれ、何があるのかわからないところで買い物などできないな、と思っていた。売っているものも我々が必要とする物ではなく、若者をターゲットとした商品ばかりだろうと思っていたのである。どこかいかがわしさを持っていた。
 ところが長崎屋がドンキとなって、若者のキラキラした衣料品だけでなく、家電から文具、あるいは衣料品、薬、雑貨、そして食品、なんでも売っている。そのうち気になり始め、気がつけば週に何度も通い、電子マネーカードmajica(マジカ)まで作っちゃっている。
 通い出すと面白い。いわゆるスポット商品で今日は何があるのだろうという楽しみさえ覚えている。

 この本によると、今やドン・キホーテは年商6840億円(2015年6月期)。営業利益391億円(同)。従業員数約32000人(パートも含む)巨大小売業となっていて、1989年の1号店開業以来26期連続となる増収営業増益記録更新中だという。近い将来1兆円企業の仲間入りするだろうとのことだ。
 この本はそのドン・キホーテの創業者安田隆さんの書かれたドンキの生い立ちとその商法が簡潔に書かれる。まずは安田さんが小売業に打って出る経歴が書かれる。
 安田さんは小・中学校時代は一貫してガキ大将を通したが、友達はいなかったという。仲間内で群れたりするのは大嫌いだった。勉強も嫌いであったが高校二年の三学期から猛然と勉強しはじめ、慶應大学法学部に入学する。しかし慶應だけに周りの同級生はやたら垢抜けていてかっこよかった。立ち振る舞いも洗練され、親は有名企業の社長や重役だった。それに比べると「自分は田舎のイモ兄ちゃん丸出しで、何のコネも取り柄のない貧乏学生である」「サラリーマンになったらオレは永久にこいつらに勝てないだろうな」と思い、心底羨み、歯軋りし、やっかんだという。


 「どんなことになっても、こいつらの下で働く人間にだけは、絶対になりたくない。ならば自分で起業するしかない。ビックな経営者になって、いつか見返してやろう」


 これが安田さんのビジネス人生の原点となった。しかし一年生のときいきなり留年。親からの仕送りもストップ。バイトで横浜港の沖仲士となり、ドヤ街に寝泊まりし、麻雀三昧の日々を過ごした。なんとか大学を卒業し不動産会社に就職したが十カ月後に会社は倒産し、失業する。特技の麻雀でなんとか糊口をしのいだ。


 その頃の私のライフスタイルは、徹夜麻雀をして朝帰りし、夕方またゴソゴソ起き出して雀荘に出かけていくという、自堕落を絵に描いたような毎日だった。


 二十代終盤に一念発起しその日暮らしにピリオドを打ち、実業界で勝負しようと思うようになる。軍資金は八百万円あったが、何をしていいかわからない。自分は専門のスキルもないし、不器用、無愛想だし、ファッションセンスもない。残ったのは物を売ることぐらいしかなかったが、何を売ればいいかさえわからない。
 ある日ぶらりと入ったディスカウントストアでこれなら自分でもやれると思う。それではじまった店が「泥棒市場」であった。このような店の名前を付けたのは「とにかく目立ちたかった」のと店の看板が小さく四文字しか入らなかったという事情だという。 扱う商品はバッタ品や廃番品のその場限り商品である。従って売れたからといって追加仕入ができない。これがドン・キホーテの「スポット商品仕入れ」の原型である。さらに商品を仕入れても倉庫があるわけじゃないので、売り場の棚にぎっしりと詰め込みダンボールごと天井まで店に積み上げた。ただこれじゃ何を売っているのかわからないから手書きのPOPを棚という棚に貼りまくる。ここにも“ドンキ名物”の「圧縮陳列」、「POP洪水」の原型が見られた。
 しかし売れる物しか売れない。スポット仕入だから売れ筋など補充できないので、魅力的な商品はなくなり、店はさながらゴミ屋敷のようになっていったという。「泥棒市場」は土俵際まで追い詰められた。
 ある日の閉店間際店の前で値付けシールを一人で貼っていた安田さんに「店はまだやっているんですか?」と声を掛けられる。
 このように夜遅く来店する客は大概アルコールが入っているせいもあって、ゴミの山のような商品でも、逆に面白がってよく買ってくれた。いわゆる「ナイトマーケット」の発見であった。


 ともあれ泥棒市場は「おもちゃ箱をひっくり返したような変わった店」「深夜も営業している」と地元で有名になり、開業数年後には十八坪で年商二億円という超繁盛店に大化けした。
 泥棒市場こそ後のドン・キホーテの原型であるが、流通業における常識から考えると、“禁じ手のデパート”のような店である。
 知識ゼロ、経験ゼロ、人脈ゼロの素人が開業。ノウハウもなしに徒手空拳で金融品、バッタ品など玄人の世界にいきなり飛びこむ。廃番品、サンプル品などを堂々と販売する。倉庫はない。ギュウギュウに商品を詰め込み通路さえ歩けない。さらに夜中も営業する。
 明らかにこれらはすべて、当時の流通業の「非常識」である。それこそ「やってはいけない店の経営」の見本のようなものだ。
 にもかかわらず、素人が始めた非常識な店が、なぜ大繁盛店になった。一体これは何を意味するのだろうか。
 それは、従来の流通、販売、マーケティングの成功法則が必ずしも正解ではない、ということだ。少なくとも、それらの理論が新たな市場や顧客満足を生み出すものではないということの証しともいえる。


 泥棒市場は大繁盛店になったが、それは安田さん個人の店である。単独の繁盛店に過ぎない。これでは多店舗展開ができないと悟った安田さんはより大きなビジネスを目指し、泥棒市場を譲渡し、卸しの会社を設立する。この卸しの会社も大成功する。
 そして泥棒市場で培った安売りのノウハウと卸しで設けた資金と商品でもう一度小売業に打って出る。そして出来上がったのがドン・キホーテである。
 そして紆余曲折(夜遅くまで営業しているために地域の住民から反対運動が起こったり、放火事件があったり)があったが、先に挙げた業績を上げていく。安田さんはドン・キホーテの成功の要因を次の8つを上げる。

 ①ナイトマーケット
 これは泥棒市場で始めたことだが、「夜は非日常感と自由度が高まり、ストレスの発散度も高くなる。だから消費にも直結しやすい」祭りが夜賑わうのと同じだ。日本の人口動態上、シングル層の増大は確定未来として明らかである。コンビニもドンキも、夜十時以降のナイトマーケットの発見と開拓で、この二十数年間一人勝ちのような成長を謳歌することができた。


 ドンキは今どきの若者の「夜の宝探しの場」として、彼らの潜在ニーズを顕著化させた。


 ②CVD+A
 これは「より便利に(CV:コンビニエンス)」「より安く(D:ディスカウント)」「より楽しく(A:アミューズメント」)を意味する。
 世の中には使い勝手のいい店、安い店、あるいは両方を兼ねた店はある。しかしその上に楽しさを付加したのがドン・キホーテだと言うのだ。これはナイトマーケットが祭りの夜的な感覚になることや、この後に示す「圧縮陳列」が売り場をジャングルみたいにし、それこそ宝探し的な楽しさを醸し出すことによる。

 ③トイレットペーパーからスーパーブランドまで
 ドンキは一箇所で何でも買える。

 ④圧縮陳列
 これは先に挙げた効果を生み出すが、一方坪効率を高め、バックヤード不要とする。商品はすべて店頭にあるから流通在庫はゼロ。在庫管理のマネジメント機能を果たす。

 ⑤脇役商品
 知名度はないがしっかりした価値のある商品を需要喚起を起こさせる。そのためにはその良さをPOPでお客に知らしめる。脇役商品はスポット仕入が多いが、その分圧倒的に仕入値が低い。安く売っても高い粗利益率が稼げる。ちなみにドン・キホーテの基本商品政策は、「定番六割・スポット四割」でこれは一号店以来の黄金比率だという。六割で手堅く商売をし、四割のスポット商品で大きな利益を稼ぐ。
 我が家は近くのドンキを利用すると書いたが、このスポットと思われる商品の値段の安さは驚いてしまう。ただスポット商品だけに翌日もあるかというと、もう売り切れていて買えないことも多い。

 ⑥POP洪水
 これまでの説明で言うことはないだろう。あのPOPのドンキ文字は専門に書く人がいると聞いた。もちろんほとんどが手書きだという。テレビで見たのだけれど、このドンキ特有の文字を書く人が、手際よくPOPを書いていくのには驚いたことがある。面白かったのはこの人がプライベートで文字を書くとき、あのドンキ文字になってしまう、と言っていたことだ。さもありなん、と思い笑った。

 ⑦権限委譲と「主権在現」
 小売業の王道と言われる「チェーンストア・システム」は仕入とか情報を本部に集中させ一括で管理する。その方が効率的で、仕入原価も押さえることが出来る。しかしこれは現場は本部の言いなりの「自動販売機」に過ぎないと安田さんは言う。
 ドンキはこれを完全否定し、「主権在現」のスローガンのもと、仕入から値付け、売り場構成まですべての権限を各店の現場に丸投げする。そうすることで“個店主義”を貫く。各売場担当者に大幅な仕入権限と自由裁量が与えられるから、一人一人が個人商店店主となり、売場というゲームの戦場で各人の最大限の力を発揮できることになる。
 この権限委譲というのは創業者の安田さんも例外ではなく、安田さんがまだ体力も気力もあるのに2015年6月末ドンキホーテホールディングス代表取締役会長兼CEO及び国内グループ各社の取締役から引退したのもこの「権限委譲」という考えがあったからだ。そこで安田さんは言う。


 仮に私が七十歳までCEOを続けたら、自ら辞めるという決断を下す自信がない。そうなれば、死ぬまで会社にしがみつくという、最も醜悪な晩年をむかえるかもしれない。世襲などという発想も、頭にチラつき出しかねない。そんな自分を想像するだけでも虫酸が走る。“老害の芽”は、自らきちんと摘んでおかなければならない。
 だからこそ、あえて判断力が確かなうちに勇退しようと決めたのだ。



 ⑧変化への対応力と「顧客最優先主義」
 「主権在現」だから各店、各売場担当はお客のニーズに臨機応変な変化に対応出来る。ドンキにはマニュアルがないという。マニュアルは作業効率は上げるかもしれないが、それに頼っていれば、それは「作業」であり、創造性を伴う仕事にはならないと言う。これだと移ろいやすい客の心理を敏感に読みとれず、変化に対応出来なくなってしまうからだと言う。
 だから徹底した「顧客最優先主義」を愚直なまでに突き詰めてきたと言う。


 さて最後に面白いな、と思ったことを書く。
 安田さんはバブル時代に一切、財テク、土地転がしをやらなかったと言う。安田さんは不動産会社に勤めていたこともあるくらいだから、一丁やってみるかという誘惑にも駆られたことがあったが、今手を出したら絶対にやられる、と直感的にわかったと言う。これは安田さんが若いころ、麻雀で生活していたときに培った「見」(見送ること)に徹するときは徹するということが役立ったと書いている。なんか色川武大さんが書いている文章みたいだ。


 まじめで能力と才能にも恵まれているのに、なぜかビジネスでうまくいかない人がいる。そんな人は、私に言わせると、「見」ができていない。つねに全力疾走でいると、危険を知らせる微妙な変化にも気づかないのだ。彼らは一生懸命であるあまり、自分の墓穴を掘るにも一生懸命になってしまう。


 ITバブルのときも「見」を決め込んだ。


 基本的に私の“鉄板手法”は、バブルの時は一切動かず、バブルが崩壊したと見るや、集中的に土地や物件を仕込み、思い切りよく攻め込んで行くというものだ。前述したように八〇年代後半~九〇年代初頭のバブル時代は「見」を決め込み、崩壊と同時に動き出した。ITバブル崩壊もそうだったし、その後の二〇〇八年のリーマンショック後のバブル崩壊時もそうだ。


 今や企業は中国などアジアに進出していくが、安田さんにもそういう話が持ち込まれるらしいが、断っていると書いている。なぜ断るのか。断る理由である分析がなるほど!と思わせる。
 ドンキという業態は日本のように中間流通をうまく使いこなすことで成り立ってきた。また市場が成熟した流通先進国だからこそ成功した。今や日本はGMS(総合スーパー)、SM(食品スーパー)HC(ホームセンター)CV(コンビニ)とありとあらゆる業態がひしめき競い合っている。だから消費者にとって便利で快適なものであるには違いないが、高度に充足された現代の消費者は、どこへ行っても看板を外せば同じチェーン店や売り場ばかりで同質化と画一化に辟易し飽きている。そこに個性的なドンキの生きる可能性がある。
 アジアはまだ流通の発展途上の段階であり、まず消費者に対して「便利と快適」を提供する業態が整備されることが優先事項である。ドンキが出ていくのはそれからだというわけである。これほど自分の会社の姿を見極め、どこで商売が出来るのかを分析する力はすごい。
 安田さんは言う。


 もっとも、おりからの「爆買い」の盛り上がりで、中国からもお客さまたちが大挙して、わざわざ日本のドンキを目指して来ている。少なくとも彼らにとって、ドンキは「日本にあるからこそ価値がある」のだろう。それなのに、こちらからノコノコ中国に出て行くのはいかがなものか、というのが今の私の偽らざる本音である。


 ここも「見」を決め込んでいるということかもしれない。


安田 隆 著 『安売り王一代―私の「ドン・キホーテ」人生』 文藝春秋(2015/11発売) 文春新書
by office_kmoto | 2016-04-24 06:48 | 本を思う | Comments(0)

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