佐伯 一麦 著 『草の輝き』 再読

d0331556_6105572.jpg ここのところエッセイとかノンフィクションばかり読んでいるので小説が読みたくなり、佐伯一麦さん本を引っ張り出し読み始めた。昔読んで気に入った本を改めて読み直すのはいいものである。安心して読んでいられる。
 感想は最初に読んだとき書いている。ここでは違うことを書く。
 この本の題名はワーズワースの『幼年時代を追想して不死を知る頃』の一部から引用しているらしい。


今日、五月のよろこびを
全心に感ずるものよ、
かつて輝やかしかりしもの、
今やわが眼より永えに消えうせたりとも、
はた、草には光輝、花には栄光ある
時代を取り返すこと能わずとても何かせん。
われらは悲しまず、寧ろ、
後に残れるものに力を見出さん。


 草木染は植物たちの持っている色を借りて染め上げるものだ。その植物の力をこの詩に見出している。
 背高泡立草という雑草がある。おそらくどこでも生えているし、見ることができる。この花を使って草木染めをすると、鮮やかな黄色に染まるらしい。


 「えっ、これがせいたかあわだち草で染めた布なんですか」
 と、柊子は思わず訊ねていた。
 「そうだよ、あの悪名高き花からこんなに鮮やかないい黄色が採れるなんて、面白いでしょ」
 草木染の先生は、そう言って笑みを浮かべた。


 それ以来、柊子は、東京に戻って仕事をしているときも、通勤の電車から線路際に生えているせいたかあわだち草がよく目に飛び込んでくるようになった。もちろんこれまでも、帰化植物で他の植物を根絶やしにして花粉が喘息など引き起こすという悪名高き名前は知っていたし、実際に見かけることは多かった。だが、それはただ眺めていたということに過ぎなかった、と柊子は思う。
 山形へ旅してからは、せいたかあわだち草を見るたびに、その草花で染めたという布の、胸騒ぎを覚えるほど鮮やかな黄色がまぶたによみがえった。
 

 柊子に師匠は大場キミさんがモデルになっている。たまたま見ていた司馬遼太郎さんの「街道をゆく」DVDで、司馬さんも大場さんの染物の黄色があの雑草のせいたかあわだち草だと知って驚いていた、ということを以前書いた。空き地のどこでも生えている雑草が、どんな色を発するのか、とにかく興味がある。だから同じことを書いた。あの雑草でどんな黄色が染まるのか、実物を見たいものだ。

 
佐伯 一麦 著 『草の輝き』 集英社(2004/10発売)
by office_kmoto | 2016-06-18 06:13 | 本を思う | Comments(0)

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