山口 瞳 著 『人生仮免許』

d0331556_5563486.jpg この本に暮らしの手帖を創業した花森安治さんの追悼文がある。そこに、


 暮らしの手帖社というのは変わった会社であって、ボスである花森さんが、何から何までやってしまうので、そういう人が亡くなるということが考えられなかったのである。
 (略)
 花森さんがいなくなったらどうなるのだろうか。後継者はいるのだろうか。いったい、ひとつの会社を、一人の人間の色彩でもって塗り潰してしまっていいものかどうか。花森さんが病気になったら、従業員はどうなるのか。その場合、花森さんに責任はないのか・・・・。


 つまり「暮らしの手帖」は花森安治自身であり、花森安治があって、雑誌「暮らしの手帖」が成り立っていた。だから花森安治が亡くなれば、「暮らしの手帖」という雑誌の存在がなくなってしまう。山口さんはそれでいいのか、と言っている。
 これは前回の『巨人ファン善人説』のなかにある「出版業のこと」と矛盾している。そこでは文化の担い手であるような仕事をしていたら「一代でもって終ったとしても仕方のないような性質の仕事」と言っていた。
 まあ考えて見れば花森安治さんの仕事がそういうものだったということを言いたかったのだろう。むしろ「出版業のこと」で言っていることの方が出版社が持つべき気概だと思っている。


 それで私は三割方は如何わしいと言うのであるが、同時に、三割方は高貴な職業であると思っている。つまり、文化である。この高貴ということの説明もむずかしい。
 『新潮社八十年小史』を読んで、初代佐藤義亮が一人雑誌や書物を発行してゆくあたりで実に感動した。これは金儲けだけでは出来ない仕事である。文化の担い手である。このことは岩波茂雄でも同じだった。一人でやってきたのである。それは文化であるのだから、佐藤義亮、岩波茂雄一代でもって終ったとしても仕方のないような性質の仕事だった。だから株式を公開して、これを広く民主的に運営するといったような企業ではないのである。変な言い方をすれば、会社を潰してしまってもいいような情熱でもって仕事を支えてきたのであり、彼等は結果的に金儲けのほうも上手だった。(出版業のこと)


 こんな文章を引いたのは、新潮社の社長が今、本が売れないのは、図書館が新刊の貸し出しをしているからで、図書館に新刊の貸し出しを1年間猶予してくれと言っていることに少々疑問を持っていたからである。つまり図書館が公共の貸本屋をやっているから、新刊が売れないのだと言うのである。確かに図書館は無料で新刊の貸し出しをやっている。けれど私はそれは言いがかりというものではないかと思っていた。

 いつだったか朝日新聞の文化・文芸欄で、貸し出し猶予「主張に矛盾」とあった。それによると、データサンプルから図書館を利用している人はそこの人口からすれば少なく、新刊貸し出し数も総貸し出し数からすると少ないことがわかった。で、図書館を利用しないその理由は、「読みたい本は自分で買うから」というのが1位だった。
 これである。本を買って読みたいという人は、その本を買って読んでみたい、と思わせる本を求めている。そこには面白い、あるいは感動した、とかいうものを求めている。つまり自分の本棚に置いておきたいほどの本を求めているのである。
 今、本が売れないというのは、そういう本が出版されていない、という出版社側の事情であり、図書館の新刊貸し出しのせいではない、と思うのである。
 出版されるのは、消耗品に近い、昔で言う“パルプ小説”の類いばかりで、読んでも“何だかなあ”と思うことばかりの本ばかり作っているからこういうことになる。そんな本ばかりつかまされるから、本を買うのにより慎重になる。ましてアベノミックスなんて言っても、どこまでそれが効果があるのかわからない景気である。今やそれさえも雲行きが怪しくなってきているから余計にこれから先、たとえ図書館での新刊貸し出しを1年猶予したからといって、本が売れるなんていうことはあるまい。むしろ全国にどれだけ図書館があるのか知らないけれど、その図書館が新刊を買ってくれている数は馬鹿にならないんじゃないか、とさえ言いたくなる。
 で、そんなつまらぬ本を買わされた読者はその本をブックオフにすぐ売りとばす。そして新刊に近い本がそこで買われる。そうなればさらに出版社に利益など出るわけがない。
 そしてブックオフだって、そんな一時的に話題になった本ばかり集まり、時期が過ぎれば不良在庫になる本ばかり棚に並んでいる。このままだといずれ売上低迷は避けられまい。それが証拠に、本だけではやっていけないと思っているのだろう。最近は使わなくなった携帯や家電の買い取りをやり始めている。

 私は出版なんて「水もの」だと思う。当たるか当たらないか、最終的に出してみないとわからない部分が圧倒的だと思う。そういう不安定さがいつもつきまとう。だから山口さんが言うように「如何わしい商売」なのだ。
 一方で創業当時にあった心意気とでもいうような文化の担い手になるべくものを出版しているかといえば、「否」であろう。文化の担い手であろうと、自分たち一代で終ったとしても仕方のないような性質の仕事をしているのか、そんな情熱が伝わってくるような出版物を出しているのか。(だから私は今の出版業界の人間が自分たちを「文化の担い手」みたいな言い方をするのが気にくわない)
 創業者の気概を忘れて、本が売れないのは図書館のせいだというのはおかしいだろうと言いたくなる。
 図書館を利用しないは、「読みたい本は自分で買うから」というのが1位であるなら、読みたい本があれば、売れるということであり、そうでないということは読者が手元に置いて読みたい本が出版されていないことである。
 花森安治さんが山口さんに言った言葉が書かれている。


 「きみ、本屋へお客さんが来るだろう。そのひとが、ふところへ手を突っこんで、ガマグチを取りだして、パチンとフタをあけてだね、銭をだして物を買うっていうのは、大変なことなんだよ」


 そういうことだと思う。


山口 瞳 著 『人生仮免許』 男性自身シリーズ 14 新潮社(1978/12発売)
by office_kmoto | 2016-06-21 05:58 | 本を思う | Comments(0)

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