吉村 昭 著 『私の好きな悪い癖』

d0331556_455547.jpg この本は以前に文庫本で読んでいる。もちろん文庫は本棚に収まっているのだが、ブックオフでこのゴールデンウィークやっていたセールでこの単行本を手に入れた。それを今回読み直してみた。
 文庫本を読んで持っているのに、わざわざ単行本を買うのはおかしいんじゃないの?と言われそうだが、これは私の悪癖である。好きな作家の本や、気に入った本は出来れば単行本で欲しい人なのである。(単行本であれば初版であろうと重版であろうと構わない)
 しかも古本屋さんで買うのである。長いこと新刊書店に勤めていた人間が古本屋で本を買うって、どうなのよ、とこれも言われそうだが、私が単行本として欲しいと思う本は、そのほとんどが品切れや絶版になっている本なので、古本屋でしか手に入らない。その点気兼ねなく古本屋で本が買える。しかも私の場合高値で買おうとは思わない。手頃な値段で、出来れば安く買えればいいとさえ思っている。
 ついでにもう一つ私の悪癖を書くと、私は今読んでいる本とは別に、次に読む本、その次に読む本と四、五冊決めて、手元に置いている。つまり読む本の順番を決めている。けれどその順番がすぐ狂ってしまう。
 たとえば次に読む本を決めているのに、今回、戦利品として?手に入れたこの本を眺めているうちに、すぐ読みたくなる。それで次に読む本が変わってしまう。
 さらにこの本で吉村さん自身が著作の裏話など紹介しているのを読んでしまうと、その本が読みたくなってしまい、本棚のところへ行きそれを引っ張り出す。つまり最初に決めていた順番が意味を成さなくなる。
 もっとも読む本の順番など、私の場合ほとんど意味がないほど、適当だし、気分的なので、問題はない。結局ある程度手元に本を置いておきただけなのだろう。
 このエッセイには古本を売る話がある。


 ある古書店の店主が、不要と思える文献に類した書物は、売って市場にもどして欲しい、といった趣旨のことを書いたエッセイを読んだ。使わずに個人が所蔵していると、その書物は数が少ないので値上がりし、それを必要とする人は高い価格で入手しなければならなくなる・・・・・と。
 このエッセイに私は感心し、なるほどその通りだと思い、売り払うことに社会人としての義務感をいだくようになった。むろん売るとなると、買った値段よりははるかに安いが、書物が少なくなるだけでもありがたい。
 あらためて書棚を点検してみると、将来決して使いそうもない書物や、類似本がある。それを見出した時は明るい気分になり、処分する。(資料の整理と保管)


 吉村さんは感心すると、義務感としてまで思いこんでしまうところがあるのだが、まあそれはともかくとして、本棚に処分すべき本があったときは、確かに明るい気分になる。
 私の本棚にある本など、売って市場に戻すべき本などないのだが、処分すべき本を1冊でも見つけ、その分の棚が空けば、違う本が入る、といううれしさが、明るい気分にさせるのである。
 あと気になった文章は、たぶんこの本を文庫本で読んだとき、以前に書いた記憶がある。読み返してみても同じところが気のかかるのは、我ながら面白いものだと思う。そして同じようなことを書いているはずだ。でもまた書き出してしまう。


 初めて万年筆を手にしたのは、中学校に入学した時で、母に買ってもらった。それを制服の胸のポケットにさした時の晴れがましさは、忘れがたい記憶として残っている。それ以来私は万年筆を愛用し、万年筆とともに生きてきたと言える。(入学祝い)


 私も自分の万年筆を初めて持ったのはやはり中学校に入学祝いとして貰ったものであろう。吉村さんと同じように制服の胸にさしていた。
 このエッセイは吉村さんが孫娘の中学校の入学祝いに万年筆を贈る話である。しかし今どき万年筆を貰ってもパソコンで文章を書く時代である。使ったこともなければ使うこともないし、その気もない人が増えていることだろう。私だってこうしてパソコンで文章を書いている。
 けれどノートに下書きとして書いているのは万年筆である。下書きであろうと、うまい字でなくても、万年筆で書いたものは、その書き心地の良さが、自分の思いを引き出してくれるような気がする。だから私も万年筆は手放せない。しかもペン先がやっと書き心地が良くなってきたから余計に手放せないでいる。


吉村 昭 著 『私の好きな悪い癖』 講談社(2000/10発売)
by office_kmoto | 2016-07-18 04:56 | 本を思う | Comments(0)

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