南木 佳士 著 『海へ』 再読
2016年 07月 26日
西病棟三階の呼吸器疾患部門の医長となって八年目の秋の朝、病室の見回りを終えて外来に向かう途中、老化でふいに強烈な不安感を伴うパニック発作に襲われた。月に三、四人の末期肺癌患者を看とる、生と死の境界線に渡された細い綱の上で微妙なバランスを取る生活に疲れ果てたのだと勝手に物語を組み立てて今日に至っているのだが、主治医になってくれた同僚の心療内科医がふと漏らした、あらかじめセットされていたタイマーがオンになっただけかもしれませんね、との、取りつくしまもない解説の方がいまとなっては身体の芯までしみとおる、風化しない浸透力を保っている。自作の物語は見てくれのよい形容詞で上塗りされている分、それが剥げるのも早い。
と8年前のあの時をふり返る。その時から何とかパニック障害を再発を恐れながらも、回復してきた。
医大時代の友人松山から電話があり、海辺にある松山のところに来ないかという誘いがあった。症状は回復してきたがまだ電車に一人で乗れるかどうか不安があったが、何とか松山の診療所にたどり着く。そこは大学時代見た日本海ではなく、太平洋の海であった。黒い海ではなく、青い海であった。
昨日まで閉じこもり続けていた山国の、周囲を幾重もの山々で囲みつくされた風景との差異を拾い上げてみるのだが、まったくの海だ、とのばからしいほど明快で陰のつかない感想しか浮かばない。
明らかに異質な食文化圏に踏み入った異邦人としての立場がいかに身軽で、鼻唄さえ出そうなまでに浮かれていた。たぶん山の国から海の国に来た中世の百姓そのままなのだ。でも、この連想は不思議な安心感を生んでいた。こんなふうに山国から海に来て、鮮度のよすぎる魚の群れに驚愕し、やがて名もなく死んでいった数多の先祖たちにしっかり連なり、我もまた彼らとおなじ感情の起伏をくり返している。それ以上でも以下でもあり得ないこの歩みをとぼとぼと続けていけば然るべきときに然るべくなる。
私はこうした南木さんの表現の仕方にいつも感心してしまう。その時抱いた感動も想いも、後から考えてみれば、このように自分の想いに文句を付けた形をとる。この、後から見れば“そんなもんさ”という感じが好きだ。
そんな表現をさらに追ってみる。
真の名医とは、おそらく極端に鈍感な医者なのだ。
出来事はいつもふいに背を押すものだ。
他者を無視した鈍感な善意は、やはり受ける側にとっては迷惑以外の何物でもなかった。
薬を飲むと短時間の内に意識の輪がせばまってきて、最後はカメラのシャッターが閉じる寸前のピンポイントまで縮小された雑念がすっと消え、眠ってしまう。薬なしでも眠れそうに感じる夜も月に二、三回はあるのだが、この、多くの場合は悲哀に彩られる眠る寸前の様々な想いを吸い取ってくれる強力な電気掃除機の便利さを知ってしまうと、病む前のように、細かだけど危険なゴミを掃き損じがちな使い古したほうきでの手作業にはもどりにくくなってしまったのだ。
ここのところ私も睡眠導入剤を常用しているので、それを飲まないでいるとき、同じ思いに駆られる。眠れそうであっても、どこか眠れないという不安が付きまとう。まさに今の私も薬は「強力な電気掃除機」であって、薬を飲まないままだと「掃き損じがちな使い古したほうき」状態に陥る不安を抱えている。だからこの気持ちよくわかるのだ。
南木 佳士 著 『海へ』 文藝春秋(2001/02発売)