宮部 みゆき 著 『希望荘』

d0331556_5422332.jpg 『ペテロの葬列』の最後は大きく話が展開する。杉村と菜穂子は離婚するのである。杉村は菜穂子と結婚したいために、それまで勤めていた出版社を辞め、菜穂子の父親の今多善親の条件まで飲み、自分の親や家族にも呆れられでも菜穂子と結婚した。
 それでも菜穂子との生活は窮屈ではあったが幸せであった。一人娘の桃子も溺愛した。けれど菜穂子との生活、今多家との関わりは、やはり杉村にとってどこか無理があった。杉村はいつのまにか「逃げ出したい」と思うようになり、菜穂子も杉村の気持ちを感じ始めた。2人の間に溝が生まれ、杉村が事件に夢中になればなるほど、その溝は大きくなっていったのである。
 そして2人は離婚する。物語はここで終わる。だから読む側はこのあと杉村はどうなっていくんだろうと次を期待させる。なかなか“うまい”ものだ。これじゃ次作も読みたくなる。(たぶん次もあるものと思っているのだ)

 これはそれまでの杉村三郎シリーズを全部読んで最後に書いた私の文章である。ここで菜穂子と別れてこれから先どういう展開になるのだろうと、楽しみであった。
 この本はこれまでように長篇ではなく、「聖域」、「希望荘」「砂男」、「二重身」の四つの中篇という構成になっている。それでも読み応えはある。
 菜穂子と別れてから杉浦がどうなっていったか、もっともその状況を記したのは「砂男」であろうか。<侘助>のマスターの水田大造が杉浦のこれまでの人生を三つに区分する。
 <侘助>のマスターの水田大造とは、


 <侘助>もこの尾上町内にある。真新しいマンションの一階に赤い日除けが目立つ喫茶店だ。マスターの水田大造氏は、私が<今多コンツェルン>に勤めていたころ、同じビルのなかで、<睡蓮>という店を営んでいた。私は常連客の一人だった。
 会社を辞めることになった時、マスターに挨拶すると、<睡蓮>はちょうど店舗の賃貸契約更新が近づいているとか、
 -ずっとここにいるのも飽きちゃったし、どっか他所へ移ろうかなあ。杉村さんの近所へ行ってあげようか。あたしのホットサンド、食べたいでしょう。
 半分以上冗談だと思っていたのだが、私がここに落ち着いて事務所を開いた旨を知らせると、本当に近くで店を出すと言って、物件を探して契約して内装して、五月の初めには<侘助>を開店した。(聖域)


 その水田氏が区分した杉村三郎の人生の第一期は、杉村があおぞら書房の編集者だったころまでとした。
 第二期は、杉村が今多菜穂子と結婚したときから始まる。この結婚を機に杉村はあおぞら書房を辞め、菜穂子の父・今多善親が会長として率いる今多コンツェルンの一員となった。それが菜穂子と結婚する条件だった。今多コンツェルンの広報誌の編集者となった。
 しかし菜穂子との関係がぎくしゃくし始める。2009年1月に菜穂子と離婚する。ここまでを杉村の第二期とした。
 そして杉村は父親が重篤な病気にかかっていると聞いたので故郷に帰る。母とはぎくしゃくしていたが、姉の家に居候しながら、観光案内が出すフリーペーパーの記者や直産場の販売員になったりする。この時蛎殻昴氏と出会う。蛎殻は調査会社の実質的経営者であった。その蛎殻氏から調査を助けて欲しいと言われる。蛎殻氏は杉村がここに来るまでに探偵みたいなことをしていたことを知っていた。
 近くにある蕎麦屋の<伊織>の亭主が女を作って失踪したという話しが疑わしいというのである。
 この<伊織>の亭主の失踪事件から蛎殻氏との関係が出来、事件の深層が判明した後、蛎殻氏からフリーの私立探偵をやったらどうか、とアドバイスされる。サポートもするし、蛎殻氏の会社から仕事もまわすという。
 そして東京の北区の北東部、隅田川上流の流れを望む尾上町で事務所を開設した。これが三期となるだろう。
 
 ということで今回、杉村が探偵事務所を開設して活動していることをこの本で知ることになる。 杉村が探偵になったのは、何でも事件に首を突っこむ性格もあるだろうがやはり北見一郎の影響が大きかったのではないか、と思ったりした。
 杉村の事務所は自宅も兼ねた馳駆40年の木造二階建てのしもたやである。ここで探偵稼業を始めるのだが、調査依頼は事務所の大家から紛れ込む。だからここにある話は、以前杉村が遭遇した事件より大袈裟なものではなく、どこでも転がっているようなちょっとした“不信”であった。
 「聖域」では、大家の柳夫人と近所のおばさんの盛田さんからあった話だ。盛田さんが住むアパートに住んでいたお婆さんが死ぬと言って失踪した。そのお婆さんをしばらくして盛田さんは見かけたというのだ。しかも身なりを小綺麗に飾って。それが気になるので杉村にそのお婆さんが生きているのか。そしてそれなら何があったのか、調べて欲しいというものであった。
 「希望荘」は老人ホームに入居していた亡くなった父親が「昔、人を殺した」という告白を聞いて、それが気になる息子からの調査依頼であった。
 ここでは事件の真相の追求も面白かったが、それよりも杉村の気持ちを書いた部分に惹かれた。
 息子が父親をホームに入れなければならなくなった時の“負い目”を次のように思う。


 高齢になり、日常生活に手厚い介護が必要になった親を老人ホームに預ける。何も恥ずかしいことではないし、誰に責められる理由もないはずなのに、子供はそれを後ろめたく感じ、言い訳がましいことを言わずにはいられない。


 杉村はとにかくやさしい。そしてこんなことを一人思う姿がどうしてもドラマで杉村役をやっていた小泉孝太郎が浮かんでしまう。彼は杉村役に本当にぴったりだった。
 さらに老人ホームに入った依頼者の父親のことを思うとき、自分の現状と重ねて見てしまう。


 離婚からまる二年、私はもう慣れた。武藤寛二は何年ぐらいで慣れたろう。本当に一人きりで呟く独り言の寂しさに。


 「砂男」で、主人が女と失踪した妻のことを思う時もやはり相手の立場、そうなってしまったことを思う場面でも、


 巻田典子は、固く口を閉じてきた故に、自ら真実を打ち明けることができなくなっていたのだ。夫と自分を囲い込む高い堰を築き、それで二人を守っているつもりだったのに、気がつけばその堰はあまりにも頑丈で、内側から壊すことができなくなっていた。


 「二重身」では依頼者が女子高生だった。未成年者依頼は受けられないのだが、杉村相談に乗る。母親の恋人がいなくなった。そして母親はそれを悲しんでいる。いなくなった母親の恋人がどこにいるのか、いないのかを知りたいというものであった。
 母親の恋人はアンティーク的な古い雑貨を扱うショップのオーナーであった。東北へ仕入に行くと言って出かけたが、ちょうどその時東日本大震災が起こる。オーナーは生存しているのか。地震や津波に巻きこまれたのか。とにかく行方がわからなかった。

 こんな身近にいる人からの些細な不安、心配の調査が今回の杉村の話であった。でもそれはそれで味わいがあって楽しめた。
 

宮部 みゆき 著 『希望荘』小学館 (2016/06発売)
by office_kmoto | 2016-07-30 05:45 | 本を思う | Comments(0)

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