色川 武大 著 『離婚』
2016年 09月 26日
次に色川武大さんの「離婚」を読んでみた。なかなか面白い小説だ。この本は四篇の短篇からなるが、まずは羽鳥誠一と会津すみ子が結婚から離婚までの経緯が語られ、次の「四人」で離婚してから誠一とすみ子のその後の生活模様が語られる。さらに「妻の嫁入り」ですみ子に好きな人が出来て、それを応援する元夫の誠一の姿が描かれる。
この連作は、フリーライターの羽鳥誠一とすみ子が六年間の結婚生活にとりあえず終止符を打つところから始まる。もともとすみ子には妻というより妾になりたいという願望があって、妻、主婦、女房という感覚が欠如したところがある。
この小説を読んだ色川孝子さんが怒ったというのは、こうした一方的な“男の都合”でしか女を見ていないところがあったからだろう。「離婚」、「四人」、「妻の嫁入り」も同じ視線で元女房を見ている。
ぼくは、自分にとって役立つような女を配偶者に求めていました。いうならば、ぼくの建前に沿う女です。結婚するのはそのためで、それ以外に配偶者など必要でないのです。そうして女もそうでした。自分の建前に沿う男を求めていました。そうならお互いさまで、そこに何の不思議がありましょう。
お互い自分の建前に固執して二人三脚はうまくいきませんでした。当然、別離のときを迎えて、それだけの話であるはずです。(妻の嫁入り)
しかしそうとはいえ、いくら誠一が望んでいるすみ子との生活がうまくいかないからら別れても、自分の気持ちを簡単に建前だけで割り切れないでいる。
誠一はすみ子に赤坂のマンションを与え、すみ子が働くまでの間生活費を渡す。これで清々したと思う一方、すみ子への気持ちが断ち切れない。
が、しかし、がらんどうの室内に座っていると、腹立たしいことに、彼女の笑顔、彼女の胸乳、彼女のくびれた腹やむっちりした尻のあたりがしきりに浮かんでくるのでした。今、別れたばかりだからな、当分は、頭に残るのは仕方がない。
ぼくはいそいで、好意を抱いているあちこちの知り合いの顔を想い浮かべました。不思議なことに、どんなことがあってももうごめんだと思っている彼女の顔が消えないのです。六年間だからな、とぼくは思いました。残像もあるだろうさ、しかしすぐ忘れていくだろう。(離婚)
ぼくはそのまま自分の部屋に帰りましたが、慣れたはずのがらんどうに戻ってみると、ひとしお彼女のことが頭に浮かぶのです。別れた女房というものが男心をそそるものだという話はきいたことがないけれど、しかし彼女の無茶な物言いや、身勝手で烈しい動きや、傷ついたときの寒々しい表情などがなつかしく思われるのです。(離婚)
別居してから、ぼくが部屋の鍵を忘れて外出してしまって、合鍵を持っている彼女の新居を訪ねたことがありますが、がらんどうのぼくのところと対照的に、ピカピカのマンションで、家具に埋まり暖かそうな部屋に居る彼女を、これは虚構に近い暮らし方と思いながら、ほっと安らいだおぼえがあります。そのときぼく以上に安らいで、ぼくに優しいしてくれた彼女を見て、いつもこんなふうに虚構の世界においといてやればよかったと思いました。それと、彼女の無責任さや、恣意や、手前勝手を放置したのでは、ぼく自身がたまらないと思う感情は、別筋なものです。(四人)
誠一はすみ子のマンションへ行ったり来たりする。すみ子も時々誠一の部屋に来て洗濯をしていく。そうこうしている内に自分たち関係を結婚とは別に見出す。お互いの愛を結婚という形に縛られないで確認できることがわかってくる。
「阿呆だな、俺も」
ぼくたちはずいぶん久しぶり抱き合いました。以前とちがい、彼女は主人側の余裕のせいで充分リラックスしており、ぼくはぼくで、新しい女をはじめて抱くときのように昂奮しました。
「よかったわね。あんたとセックスが合うなんて思わなかったけれど」
「何度もくりかえせば、まだだれるだろう」
「でも、どう、あたし、まだ魅力ある」
「-だろうな、俺には」
「よかった。自信が戻ってきたわ。ねえ、また、よりを戻さない」
「おそろしいことをいうな。それだけは金輪際いやだ」
「結婚じゃないわよ。こういう関係」
「うむ-」
まことに阿呆なことですが、ぼくはときどき彼女のマンションを訪れて泊っていくようになりました。そうして心の中で、離婚をしたあと同棲するというのも悪くないかもしれぬ、と考えていました。すくなくともぼくたちはぴったり合った関係かもしれないと思いました。(離婚)
ぼくたちはいったいどういう関係なのか。お互い離れがたいが、ただ責任をとったり拘束されたりすることが嫌なので、おたがいの勝手ないいぶんを活かすためには、離婚して同棲するというのがきわめて自然な道筋ではありますまいか。
そうなんです。実際、二度三度、ぼくは女房の部屋に行って、充分に情緒的な夜をすごしていました。目茶苦茶といえばそのとおりですが、一緒に暮すには障害になった彼女のマイナス要素が、もう少し責任のない立場になってみると、そっくりそのまま、風変りな可愛い女の子、という要素に早変わりするのです。(四人)
ではなんで、別れたあと、ぼくは追っかけていったのでしょう。彼女が戻ってきたとき、拒めば拒めたのに、けっして長くは続かない関係と思いながらずるずると同棲してしまったのは何故でしょう。
身体でいえば、古女房の馴染んだ身体の、馴染み加減のところに捨てがたいものを感じていたようです。気配でいうなら、彼女の何気ない声音、動き方、息の匂い、そんななんでもない部分すべてとたち切れてしまうのが辛いのです。それらは建前と関係ありません。ぼくは臆病で、容易なことでは他人と深く関わろうとしない男です。ぼくと元女房は、建前以外の海の底のような部分で断ちがたいつながりができていたといえましょう。(妻の嫁入り)
自分たちの気持ちに正直であれば、なにも結婚という形を取らなくてもいい。
こういう男と女の関係を見ていると、それが現実問題として出来るかどうかを考えなければ、自分たちの気持ちに正直である分、むしろ二人の関係が純粋に昇華されていくのを感じてしまう。誠一もすみ子も自然にお互いのところ戻っていく姿は微笑ましい。
色川 武大 著 『離婚』 文藝春秋(1983/05発売) 文春文庫