ユースホステル

 9月26日の朝日新聞の「Reライフ」に、“もう一度ユースホステル”という特集があった。ユースホステルと聞いてちょっと懐かしくなった。
 私がユースホステルの会員になったのは確か高校二年の頃だったと思う。当時通常の授業時間にクラブというか、仲間内みたいなサークル活動が組まれ、旅行部なるものに加わっていた。
 高校時代は真面目な生徒でなかったので、こういうサークル活動は大の苦手であったが、授業じゃ仕方がないので、一番ラクそうな旅行部に籍を置いていた。
 確か男二名、女二名が組になって旅行プランを立てるというものだったと思う。ところが私と友人が組んだ(組まされた)女の子ががちがちの真面目な高校生だったので、プランだけでは済まなくなり、実際に旅行してみようという話になり、彼女たちに引きずられるように旅行をした。
 その時利用したのが、国鉄の周遊券とユースホステルだった。ユースホステルを利用するには会員登録しないといけないので、当時有楽町のそごうにあった受付で会員登録したはずだ。
 最初に行ったのは東北で、十和田湖から青森へ向かい、帰りは田沢湖に寄ったと記憶する。
 プランは女の子たちががちがちに立てていたが、そんなことに従う私たちではなかった。バスの移動のときは、ヒッチハイクをした。当時東北の人たちは親切で、結構道端で手を上げると車が止まってくれた。
 

 部屋の消灯は午後10時、夕食後宿泊者が全員集まり歌やゲームをする。


 私たちが泊まったYHはキャンプファイアーだった。ゲームあったかもしれない。そしてお決まりのうざったいフォークダンスも付いていた。こういうのは大嫌いなので本当は参加したくなかったのだが、ここも真面目な高校生である女の子に引きずられて、そこにいることとなった。
 ただ今でもよく覚えているのが、夜空がきれいであったことだ。星が夜空にものすごい数がきらめいていて、こんなに星の数をいっぺんで見たのは初めてであった。
 確かに消灯も10時だった。こんな時間に寝られるわけがなく、同室のヒッチハイカーたちと暗い部屋で馬鹿話をしていた。
 翌朝は6時になるとベッドの真上にあるスピーカーから音楽が流れ、叩き起こされた。あまりの音響に驚きみんなでスピーカーに枕を叩きつけた。あのスピーカーはその後音がしなくなったから壊れたかもしれない。
 だいたいこういう真面目で規則正しい生活は今も昔も馴染まない。だから今シニア層のYHの利用が増えていると聞いても、YHに泊まりたいとは思わない。ただ今は会員数、YHそのものも減少しているため、こういう堅苦しいシステムのところは減少しているらしい。消灯時間もゲームないところ増えているという。
 そりゃそうだような。いくらシニア層が増えているといっても、いくら私が還暦なったからといっても、老人クラブに入っている訳じゃないのだから、キャンプファイアーやフォークダンスなど出来るわけがない。

 私たちは真面目な女子たちに引っぱられ、この後もう一回、確か奥日光へ行ったと記憶する。


by office_kmoto | 2016-09-29 19:43 | Comments(0)

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