出会うのか、それとも探すのか。

 ネットの古本屋さんで本を買って、それが届き、封を切るとき、どんな状態の本が届いたのか、どきどきする。もちろんサイトには本の状態が記載されてはいるが、やはり実物を見てみないと不安な部分がある。同じ本でも状態がよければその分値段が高くなる。そんな本を買えば問題はないのかもしれないが、こちらは出来るだけ安く、しかも本の状態がいいものをと、言わば賭みたいことをしているから、どきどきすることになる。
 今回もAmazonのマーケットプレイスの古本屋から南木佳士さんの古本を2冊買った。包装を解いたとき、驚いた。2冊ともものすごく状態がいい。1冊は帯はなかったけれど、ほぼ新品だ。これで1円。そしてもう1冊は本屋で買ったまま、読まれた形跡もなく、出版社の広告が発売当時のまま挟まっている。新品だ。これが32円。それぞれ送料が257円かかっているが、それでも合計で547円である。マーケットプレイスで出品しているこの古本屋さんからは何度も本を買っている。その都度間違いがない。

 神田の古本屋街は年に何回か行く。今年も数回行っているが、余り収穫がなかった。ブックオフにもよく行くが、ここも最近ダメだ。めぼしい本が見つからない。もちろんいつも欲しいと思う本があるとは限らないぐらいわかっているが、こう何も見つからなくなるとわざわざ出かけて行って本がないのはさすがに徒労感が増す。
 こうなってくるとネットの古本屋さんに目が向く。検索を入れて、見つかれば、本の状態を確認して、ポチッとクリックすればいいだけだ。送料を取られても、神田までの往復の交通費を考えれば安いものである。それに最近本を探すことに疲れてきている。長いこと本を探せないのである。そうなるとネットは居ながらにして、画面上で探せるから楽でもある。
 そういえば朝日新聞の「beリポート」で“個性で競う街の本屋さん”という特集で、「忘れ得ぬ一冊に出会う場」とある。そうか、本は探すものではなく出会うものなのかと思った。いつも本を探すことしか頭にないものだから、“出会う”と言われるとちょっと驚いてしまう。
 この記事は街の本屋さんが生き残りをかけて、独自のセレクトで本棚を作っているとある。まあ差別化ということなのだろう。
 正直なところを言えばこういう本屋さんは苦手である。どこか店主の思い入れが強く出ているような感じがしてしまう。“この本読んでね”ならまだマシだが、“この本を読め”みたいなると、おいおいと言いたくなってくる。こんな店に入ると、ここにある本を読まないとダメだぞ、みたいな、読んでいない自分が馬鹿みたいに思えてしまう。
 だから本は探しやすい方法で並べてある方がいい。店主の思い入れで並べられた棚はその人の主観が煩わしい。それにそういう展示の仕方は、自分の思うところと違うところがあって、思っていたところに本がないことが多い。店には行ってさっと探せるのが自分にとってベストなのだ。
 結局本を探すことに長いこと関わっていられない今の自分がそこにある。根気がなくなっているのは、やはり歳のせいなのだろう。だからネットの古本屋さんが重宝だと思えるのだ。
 それにネットの古本屋さんは神田だけという地域限定ではなく、日本全国の古本屋さんを探せることにもなるから、“探している本”がどこかにあり。実際今回のようにいい本がある。
 通販中毒にならない程度に、今後はもう少しネットの古本屋さんを利用しようかと思っている。年に何度か神田に行くよりは効率が良さそうだ。
by office_kmoto | 2016-12-17 06:03 | Comments(0)

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