死に当てられる

 駅のホームで父と待ち合わせた。私の方が早く着いてしまったので、たぶんこちらの階段から上ってくるだろうと思い、その階段を登りきったところで待っていると、父が一歩一歩階段を上がってくるのが見える。父は足元だけを見ているので、私の姿を見ていない。半分ほど上がりきったところで、歩みを止め、上を見上げる。私と目が合うと、照れ笑いか、目元が笑っていた。
 階段を昇ってくる父親を見ていると、歳をとったなあ、と思う。憔悴しているといっていいのかもしれない。仕方がない。二人目の妻を亡くしたばかりだから。私と父はその人の始末をしていた。
 私はこれまでここでこの人を「知人」として書いてきた。まさしく“知っている人”ということでそう言ってきた。そう書くしかなかった。自分と同じ歳の彼女を母親と呼ぶのも変だし、まして外国籍の女性なので、どう接していいのかわからなかった。しかし彼女は優しい人で控えめな人であることはわかっていたし、会えば話もした。
 その彼女が膵臓癌であることがわかり、がんセンターへ父と一緒に通院していた。私はこれまでがそうであったように、父とは「付かず離れず」の関係でいるつもりでいたが、今の父は私の母が亡くなった頃の父ではなかった。あの頃のように何でもテキパキとやっていた父ではなかった。明らかに困っていた。そんな姿を見てしまうと放っておくことが出来なくなってしまう。気がつけば父を助けていた。それは必然的に彼女を助けることになる。それはそれで一向に構わなかった。彼女は私たちに助けられていると感謝していたが、私は単に父が困っていたから助けただけであった。
 以来これまで以上に実家に行くし、築地のがんセンターにも何度も通った。彼女が10日に亡くなってからは、「後始末」に奔走することになった。
 彼女が亡くなってその遺骨の置き場所に困ることなった。彼女の遺骨を一族の墓に入れることは出来なかった。それに生前故国に帰りたがっていた。まだ元気なときに帰れば良かったのだが、彼女自身治療に専念したがっていたので、延び延びになっていた。やっと一度帰ろうと思ったときは、もう痛みがひどく、モルヒネでそれを誤魔化していた時期であった。それでも帰させてやりたいから、モルヒネの海外持ち出し許可を取ったり、飛行機のチケットを取ったり、あちこち出かけて行ったが、最終的には帰れなかった。
 だから遺骨は家族の元に返すのが一番いいだろうと、今度はその遺骨の持ち出しに東奔西走している。

 父は喪主の挨拶で「これからはみんなに迷惑を掛けないよう生きていきます」と言っていたが、そう言わせるのは、結局彼女との結婚生活がそうだったから、そのように言わせたように思えた。
 確かに父が歳をとって結婚したため、生活に必要な細々ことが手に負えなくなって、手助けをしたし、まして外国籍の女性との結婚のため、厄介事が多くあった。二人の間に女の子が生まれ、娘が成長するにあたり、父では時代の流れについて行けないところが出てくれば、相談されもした。
 そして彼女が病気になり、今日まで忙しく動かされれば、もう迷惑を掛けたくない、と思うのは、父の性格からして当然のように思えたが、何を今さらという気持でもあったあった。ただそれを聞いたとき、どこか寂しい気持ちがしたのも事実であった。
 彼女のことが一段落しても「付かず離れず」で父と接していくつもりだが、父親の性格を考えて、陰ながら支えていくしかない、と考えている。

 この2か月葬式が続いた。叔父が「こういうことは続くものだ」と言っていたのが、その通りになってしまった。二回の骨揚げを経験し、毎日「死」を記した書類を集め、書き込んでいるため、どこか「死」に当てられた感じがする。出掛けて家に帰ってくると、やたら眠くて仕方がない。家ではゴロゴロしている。
 今月は完全に自分のペースが壊れてしまっている。今月は諦めるしかない。彼女の「後始末」は明日で何とか目処が付きそうなので、来月から元の生活に戻りたい。


by office_kmoto | 2017-01-26 18:14 | Comments(0)

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