更級 源蔵 著 『北海道・草原の歴史から』

 この本は沢木耕太郎さんのエッセイを読んで知った。ちょっと古い本だが、いくつか面白いことが書かれていた。
 この本のあとがきにこの本のコンセプトが書かれる。
 北海道の内陸が新しく開拓されて百年の歳月が流れ、開拓功労者はそれなりに名を残しているが、この厳しい自然環境で誰一人この地に一滴の汗も血も流すことなく、また中央に戻っていき、この地に骨を埋めていない。しかしその人たちだけがこの広い北の大地を開拓した功労者ではない。名もない多くの開拓者や開拓失敗者もいた。そうした人々であった父母の話を聞き、採話したのがこの本である。
 故郷を離れるのはやむを得ない事情、食うに困る理由から、この北海道という寒冷地に本州から家族でやってきた。あるいは逃亡の末ここに逃げてきた。そうしたさまざまな理由でこの地を開拓してきた先人たちの苦労を聞き、書き残している。人が寄りつかない過酷な自然の中で生活ぶりが語られる。この地だからこそ成立する話ばかりであった。


 要するに北海道の開拓地では昔の地主も小作も同じスタートラインにつき、力ある強いものが先になるという非情な世界であった。


 戦前までは北海道の各地に旅をすると、岩手屋とか加賀屋、越中屋、宮城屋、または陸奥館などと国の名のついた旅館が多かった。それも日本海岸には本州の日本海岸の国の名がついた宿が多く、太平洋岸には東北地方の太平洋岸の国の名が多かった。大体東北六県と北陸にかけての国名ばかりで、関東地方から西の国名のつく宿はほとんどなかった。雪の多い北国の人たちが率先してこの土地に乗り込んで、生活の根をおろしたからであるが、旅人たちもこの地方の人が多く、故郷の地名を見てなつかしくなり、国の言葉で国の話がしたくてつい草鞋を脱ぐといったもので、旅館の名が客を呼んでいたのである。しかし戦後はほとんど国の名のついた旅館が姿を消してしまった。もう出身地を恋しがる一世がほとんどこの土地の土になり、二世、三世にとっては父や母の故郷は異国のように遠い存在となり、この土地が地球の上で唯一の故郷になったからで、国の名はもう客を呼ぶ力がなくなり、また経営者もかわったからである。そうした本州と絶縁した北海道生まれの人間を、北海道では道産子というほろにがい言葉で呼んでいる。
 元来道産子というと古く南部から漁場の駄送用の消耗品として移入した南部馬が、漁場が終ると無人の島に不要品として捨てられて、雪の中の笹や海岸の昆布を食べながら冬の風雪に耐えて生き抜き、春になって自由に近親繁殖して次第に退化し野生化した道産馬のことをいった。それが次第に人間世界にまで拡大解釈して、荒い開拓地で生き残った開拓者の子孫にまで移行したのであった。それはどこか退化した道産馬と一脈通ずるからでもある。


 開拓地にとって邪魔物の立木は、冬の寒さから生命を護るものであることを、この人たちは知らなかったのであり、移民世話所は農業技術の指導だけをし、生活指導を忘れていたのである。


 そんなわけで北海道で原野というと、「人家のない広い平地」などという生やさしいものではなく、痩せて不毛で雪どけや雨水がすぐ沼になり、或いは薄い表土の下はすぐ砕けた骨のような火山灰の堆積している、日本農業の近寄れない広い平地と受けとっている。


 殖民地の中心に市街予定地が計画的につくられたところは、南何条西何丁目とか、東何条北何丁目というように碁盤割に区画しているのが特徴であり、その市街予定地からはずれたところが番外地である。


 北海道の奥地には、前歴の知れない人の話がよくあった。


 北海道というところは、逃亡者にとって最も選び易い道だったのだろう。


 淋しい原野の生活では、そういうどこの誰とも知れない人とも、気が合えば家族のような親しさで、身を寄せあって暮らしていたのであった。


 第二次世界大戦までは多かれ少なかれ北海道の奥地は、オトと呼ばれ、名前も前歴も定かでない浮浪者たちの吹き寄せられるところであった。それらの人々の気兼ねなく生きられる場があったからである。


 本州からいろんな人々がこの地にやってきたからこそ北海道の「言葉」に特徴が出て来る。同郷の人以外に話をする場合、標準語が使われるという。しかも感情を表した言葉でなく、単に目的を伝える手段として標準語が使われた。


 北海道にはまだ特別な方言が生れず、標準語に近い言葉で話しあっていたからである。よく言えば直訳的で実用的であるが、それだけに陰影が乏しく面白味のない欠点が指摘される。要するに教科書のように機械的で、生活の温かさがにじんでいないのである。


 なぜか?


 封建社会では意識的に他領の者と言葉をちがえ、お互いの内懐を覗かれない排他的な社会を構成していた。


 読んでいて、なるほど、と思った。過酷な自然の中で生きていかなければならないから、仲間とまとまってからだをすり寄せて生きてきた。だから同郷意識、家族意識がそこにはあるのだろう。良いとか悪いとかいう話でなく、そうしないと生きていけない過酷な自然環境だということだ。
 しかし彼らがそれぞれ開拓民として北海道で生活しているうちに、同じ故郷を持つ同士は会話が通ずても、他領の人々とは話が通じないことが出て来る。だから自然に共通語の必要が出てきて標準語がその役目を負い、必然的に標準語の持つ特性である“面白味の少ない”ことになってしまったという。


更級 源蔵 著 『北海道・草原の歴史から』 新潮社(1975/08発売)


by office_kmoto | 2017-01-29 06:13 | 本を思う | Comments(0)

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