開高 健 著 『開高健全集』 〈第12巻〉
2017年 02月 26日
私は1964年(昭和39年)に行われた第一回東京オリンピックのちょっと前の混乱ぶりを知りたくてこのルポを読みたくなったのだ。
というのも先日リオのパラリンピックが終わって、次は2020年の東京となったわけだが、オリンピックまでこれから騒がしくなるだろうという鬱陶しさがあり、恐らく前回のオリンピックだってそうだったに違いないと思ったからだ。その時どうだったのだろう、と知りたくなったのだ。
「ずばり東京」は副題に「昭和著聞集」とあるが、当時の東京の無茶苦茶ぶり(もちろん今と比べれば可愛いものだが)、まあそのいい加減さ、狂気に近い様相が、茶化されて書かれている。
この全集には「ずばり東京」が文庫化し、その時書かれたまえがきもあるのだが、そこには次のようにある。
当時のトーキョウは一時代からつぎの時代への過渡期であったし、好奇心のかたまりであってつねにジッとしていられない日本人の特質が手伝って、あらゆる分野がてんやわんやの狂騒であった。破壊は一種の創造だというバークニンの託宣は芸術家と叛乱家の玉条であるが、トーキョウもまたノミのように跳ねまわったのだった。
都の狂気じみた衝動でお尻をあぶられているばかりである。
やっぱりそうだったのか、と思った。呆れるしかない状態。すなわちその時の現状を見聞きして「なにか精のつくものでも食べよう」としかいいようがない呆れた状態が当時もあったのだ。だとすればこれから先2020年までの間の狂騒は当時をはるかに超えるものだろうと思うと、いささかうんざりしてしまう。
二つほど面白と思ったことを書き出してみる。
なお、瑞江の都立の火葬場は都の建設局、公園緑地課に属するのだそうである。あたりに町に木立がないので、夏の若い恋人たちはみんな火葬場の木立のベンチにやってくるそうである。そのたくましい超越した感性に私は感心する。
係の人がいった。
「スウェーデンの社会福祉は子宮から墓場までといいますけれど、ここはまったくそのとおりです。二つとも一つの場所にあるんですから最短距離ですよ。門をしめるときにときどき声をかけてやりますけど・・・・・・」
瑞江の火葬場は我が家の近くである。私が最後に行くのもここだろう。
仕事を辞めて散歩を始めた頃、適当に道なりを歩き、遠くに木が茂る場所が見えると、そこに寄ってみた。そこには公園、神社、あるいは区が保存した歴史的に意味のある場所などあるからだ。長いことここに住んでいて何も知らなかったので、そういうところが面白かった。その時も同じ調子で歩いていたら火葬場に行きついた。確かにここは木々がたくさんある。敷地も広いし、ゆったりしている。だから当時はアベックも入り込んだのかもしれないが、これはちょっと眉唾ものだ。いくらなんでもそれはないだろう。
もう一つ。
駿河台下にある古書会館で業者のための古本市があり、そこで古本業者の為の市が開かれる。その時本が座布団の上に放られる。時代を経てくたびれた古本を放るのだから、放るのにもテクニックが要るらしいが、開高さんは自分の本が「いまにとぶんじゃないか」ハラハラしていた、と書く。
確か出久根達郎さんだったと思うが、当時、市で開高さんの本が競りにかけられるほど有名じゃなかったと書いているのを思いだした。
開高 健 著 『開高健全集』 〈第12巻〉 新潮社(1992/11発売)