川本 三郎 著 『きのふの東京、けふの東京』

d0331556_05370246.jpg こういう東京散策本は楽しい。町の歴史とか生い立ちとなど、その町を、駅を知っているだけに興味が湧く。また忘れていたことなど書かれると、「そうだった!」と思い出したりする。それも懐かしく、楽しい。興味のあったものを単に書き出してみる。


 有楽町には、あまり知られていないが、実は奇跡のような事実がある。
 有楽町駅の駅舎である。手直しはされているものの基本は明治四十三年(一九一〇)に開設された時のまま。



 確かに有楽町の駅は古めかしい。駅を出ても、うす暗く、その先が華やかだけに余計にこの間が古めかしい。


 小岩は江戸時代から昭和のはじめまで和傘づくりで知られたという。


 小岩は地元であるが、そこが和傘の産地だったとは知らなかった。


 JR総武線の新小岩駅は、隣の小岩駅が明治三十二年(一八九九)開設なのに昭和三年(一九二八)と新しい。貨物線の駅が併設されている。貨物輸送の拠点駅。


 新小岩の歴史は「新小岩」というくらいだから小岩よりは新しいんだろうな、ということくらい思っていたがそれがいつ出来た駅なのか、今回初めて知った。


 このあたりはまだ昭和五十年代までは金魚の養殖地として知られた。川に挟まれ池が多かったためだろう。最近は数が激減したが、一之江駅から西に十分ほど歩いたところに佐々木養魚場という江戸時代からの店が健在。ただ金魚は茨城県の常総市で育てているという。


 確かに子供の頃はこの辺りは養殖池が多くあった。今はほとんど埋め立てられてしまって、養殖池はわずかしかない。かつて養殖池がたくさんあったから(今も多少ある)まさか金魚を茨城県から持って来ているとは知らなかった。


 日記『断腸亭日乗』を読むと永井荷風は昭和十一年(一九三六)四月十六日にこのあたりを歩き妙見島を眺めている。


 そう言えば先に読んだ川本さんの本には、『墨東綺談』の挿絵を描いた木村荘八も私の地元に来ていたと書かれていた。


 上野駅は、いまでは新幹線が東京駅に通じたために、その雰囲気が薄くなったが、基本的に終着駅である。


 そして上野駅で特筆すべきは、現在のキオスク、つまり鉄道弘済会の売店。昭和七年(一九三二)に、現在の駅舎が出来た時に営業を開始している。鉄道員は事故が多い。事故で負傷した人や亡くなった人の家族を助けるために売店の売り上げを資金にしようと設立された。


 なるほどキオスクはそういう経緯で設立されたんだ。


 総武本線の錦糸町の開設は明治二十七年(一八九四)。当初は「本所」の名だった。総武本線の前身である私鉄の総武鉄道は、まず佐倉-市川、および市川-本所が開通。次いで十年後の明治三十七年には、本所から両国橋(現在の両国)まで延長され、東京と千葉が鉄道で結ばれていった。


 盛り場としてにぎやかになるのは、阪急・東宝グループの総帥、昭和の大事業家、小林一三が、昭和十二年に錦糸町に江東楽天地を作ってからだろう。車両工場の跡地に、江東劇場が開設されたのを皮切りに娯楽街が作られた。
 よく知られているように、小林一三は、昭和のはじめ、日比谷に東京宝塚劇場をはじえ日比谷映画劇場、日本劇場(これは既存のものを買収)など作り、日比谷界隈を「アミューズメント・センター」と名付け、娯楽街として開発していったが(これによって、それまでの盛り場だった浅草が地盤沈下してゆく)、その「アミューズメント・センター」の下町版として、江東楽天地が作られた。


 神田日活館は、ビヤ・レストラン、ランチョンの並び、靖国通りから少し奥まったところにあった。現在タキイ・ビルが建つ。ちょうど日本文芸社の前。


 これは昔取引先の問屋にいたOさんから聞いたことがあった。


 この(両国)駅は現在では総武線のひとつとしてしか意識されていないが、もともと房総半島へ向かう総武線のターミナル駅だった。



 子供の頃夏休み千葉の海へ行った時はここから出発した。今も総武線からホームが見える。あの夏の頃の華やかさは今はない。


 新橋駅のにぎわいと共にやがて駅周辺に花柳界が作られてゆく。江戸の随一の花柳界は荷風が敬愛した成島柳北が『柳橋新誌』で描いた、両国橋の袂の柳橋だった。明治維新のあと、旧幕びいきの柳橋は新しい権力者となった薩長を「田舎侍」と嫌った。
 その結果、薩長は新しい遊び場所を必要とした。そこで生まれたのが新橋の花柳界。現在の銀座八丁目あたりに数多く芸者置屋が作られていった。


 旧幕びいきの柳橋は江戸時代以来の商家の旦那を客とする。対して新橋は新政府の権力者客とする。そのため「御前の新橋、旦那の柳橋」といわれ、明治が深まるにつれ、柳橋がすたれ、新橋が栄えてゆく。


 最初の新橋駅は前述のように現在の駅より東にあった。明治四十二年(一九〇九)に山手線の開通と共に現在の場所に駅が出来た。当時の駅名は烏森。


 これは知っていた。


川本 三郎 著 『きのふの東京、けふの東京』平凡社(2009/11発売)


by office_kmoto | 2017-04-25 05:41 | 本を思う | Comments(0)

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