幸田 文 著 『きもの』

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 「おばあさんのいうことだと多寡をくくらないで、おぼえといたほうがいいね」

 るつ子は祖母からいろいろなことを教わっていく話である。その時々、成長に合わせて様々なアドバイスをもらう。時にそれが鬱陶しくもあるのだが、気がつけばおばあさんの言っていたことが、身に沁みてくる。るつ子も「からだはいつのまにか、苦労なく一人前になるが、中身が大人になるには苦労がいる」とおばあさんの小言を聞いていくうちにそう思うようになる。いわばおばあさんは、るつ子にとって人生の案内役であった。おばあさんの言うことがひとつひとつ生きるための知恵であったことを知る。おばあさんもこのように嫌がらずに年寄りの言うことを聞いてみるもんだと言うのである。
 特にきものについては、この本の主役といっていいくらい、きものが姉妹の上下関係をはっきりさせるし、それぞれが着るきものは性格を表す。この辺りは読んでいると、覗いてはいけない女の世界を見るようでもあった。
 さて、そのきものであるが、これはいろいろ面倒だ。曰く、きものはちゃんと畳め。そうでないと、「たたみ付けない着物は、肩山袖山の折目が崩れて、見苦しい。ぴたりといい気持ちに着ようというなら、畳みつけることから覚えないといけない」という。
 また場面場面でその着方があることを教えられる。あれこれ細かすぎる配慮を必要とするのがきものなのだろう。どんなきものを着るかは、その時の状況によって変わっていく。もしかしたらきものはどんな衣服よりTPOの配慮がいるのかもしれない。そして相手に対しても同様の気配りが必要となる。
 この辺りは男であり、衣服に無頓着な人間にはわからないところである。たとえば、るつ子が痴漢に遭ったとき着ていたきものは横縞のものだった。いくらお気に入りとはいえ、横縞のきももは縞がものさしみたになり、きものの下のからだの恰好が、裸ほどに露わになる。だから痴漢に遭ってしまった、という。
 あるいは関東大震災の焼け跡を歩くとき、「ひどくやつれた裁着袴」のようなものを穿いているのがちょうどいいし、こんな時に絹を着るもんではない。また必要なものを言ってよこしてもらったものは、出来る限り新品がいい。新しくて丈夫なのがいいからだ。そしてこういうときこそ、木綿がいい。おばあさんには“木綿信仰”みたいなものがある。

 「人は大概みんな、木綿で育って、木綿にくるまれて生きていくんだね。そこいらを見まわしてごらん。たいてい木綿の顔をしている人ばかりだろ。」
 「もめんの顔-そんなのわからないなあ。」
 「るつ子にはまだわかるまいよ。ただ、大概の人が木綿に包まれている、ということはおぼえておくんだね。なみの人は、まあ一生末生、木綿のご厄介になってるわけだ。」

 きものに対して言い争いや、こだわりを持ち続けてきたが、震災で焼け出されると、きものの原点みたいなものが自覚出来、本来着るものは身を隠せればいいものであったのを、女は着るものに妄執をもっていたのだと自覚するのである。

 肌をかくせればそれでいい、寒さをしのげればそれでいい、なおその上に洗い替えの予備がひと揃いあればこの上ないのである。ここが着るものの一番はじめの出発点ともいうべきところ、これ以下では苦になり、これ以上なら楽と考えなければちがう。やっと、着るということの底がじかにわかった思いだが、これを納得したのは下町が総舐めのこの大火事にあったおかげなのだ。それにしても大きな損失に対して、あまりにも小さな納得とはいえ、しかしまた逆に考えると、それほどのひどい目に遭わなければ、着物の出発点は掴むことができないくらい、女は着るものへの妄執をもっている、ということである、と考えてきてるつ子は、あははとふきだして笑った。

 結局追いつめられれば人と衣料とは、どうでも必要という一点にしぼられ、そこが掛け値なしの出発点なのだった。

 身を隠せればいい。寒さをしのげればいいだけの実用面だけが衣服の原点だけど、同じ着るならそこは別の付加価値が生じるのは、やはり人間の見栄がそうさせるのだろう。そしてこのことが『きもの』のように、醜い人間関係を垣間見させることにもなる。

 「さあて、寝るか。」
 どんな言い方をされたにしても、それはまだ処女でいる妻には胸がさわぐ。思いもうけた刺戟、期待した刺戟だった。るつ子はそのの選んでくれた、柔かい花もようの寝間着に身を包んで、しち固く伊達巻をしめた。部屋の入口のさし込み錠、窓のしまりをそれとなくもう一度目でたしかめ、そのが入れておいてくれたたとう包みをそっとバッグから取りだしていれば、むずと抱えられた。たとうは飛んで、るつ子は倒されるままに倒された。はじめての感覚が一時にあちこちに押捺された。間もなく裸の胸が相手の裸の胸を感じ、下着のずるずるとはがされる感覚を知った。自分の手ではなく、人の手がはがす下着が、腰をきしっておりていった。それが恙なく進行している結婚の行事であった。

 るつ子を包んでいたきものは初めて自分の手ではなく、結婚相手の男に脱がされる初夜のシーンでこの物語は終わる。こうなることの準備も父の愛人であったそのに言い渡されたようにさりげなくされている。うつくしいシーンの描き方である。

幸田 文 著 『きもの』 新潮社(1996/12発売) 新潮文庫


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Tracked from 観・読・聴・験 備忘録 at 2017-06-23 02:00
タイトル : 『きもの』
幸田文 『きもの』(新潮文庫)、読了。 久々の幸田文作品。 前回読んだ『流れる』が小説として本当に面白かったので、 自伝的要素の強い本作は、やや盛り上がりに欠けるような印象でした。 ただ、祖母が教えてくれる「ものの考え方、生き方」というものが とても興味深く、るつ子と一緒に学んだような気持ちになりました。 当初、るつ子のあまりにも我儘で乱暴な振舞に辟易したところも...... more
by office_kmoto | 2017-06-22 17:34 | 本を思う | Trackback(1) | Comments(0)

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